第66話 綺麗で小さな温室

「まずは深呼吸です! 吸って〜吐いて〜」


 では修行しましょう! ということで、私の膝に頭を乗せたアステラに魔法を教わることとなった。

 膝枕のまま、という、イマイチ格好の付かない姿のアステラの言う通りに深呼吸をする。


「そうですそうです。そのまま目を閉じて、耳を澄ませて見て下さい」


 言われた通りに目を閉じる。何も見えなくなるけれど、光は感じていて、ほのかに明るい気がする。


 それに、目を使わない分、先程より周りの音がよく聞こえるようなった。風の音、葉っぱが揺れる音、鳥の声、私の呼吸、アステラの呼吸。


 それから風が頬を撫でる感触。座ってる芝生の匂い、背中の木の力強さ。太陽の暖かさ。


「……さっきより、色々な事を感じると思います。魔力とは、体の中に宿るものです。ただあるだけでは使えません。その魔力を感じ、表に出して、自然と調和させる。そうしなければ魔法にはなりません」


 アステラの静かな声が耳に入り、目を閉じたまま自身の中の魔力を感じようとしてみる。

 巫女の力のイメージは光だ。光。光がきっと私の中にあるはず。光、ひかり。


 ――けれど、どれだけ探しても、私の中に光は見つからなかった。


「……駄目だ。アステラ、やっぱり私――ってひゃああ!」


 落胆しながら目を開けた私は、膝の上の光景に大声を出した。アステラが私の膝に顔を埋め、すんすんと匂いを嗅いでいたのだ。

 すかさず膝を抜くと、アステラの頭がごちんと地面に落ちた。


「あたっ!」

「なな何してるのっ!」

「すいませぇん……目の前が魅惑の肌だったのでつい……」


 えへへ、とアステラは額を擦りながら起き上がる。

 絶対すいませんなんて思ってないな……真剣な修行だと思ったら、これだから巫女オタクは……。


 呆れつつため息を吐く。でも同時に不思議にも思った。アステラの態度が、あまりにも変わらないな、と。

 アステラは異世界の巫女の私が好きなはず。でも巫女の力も無ければこの世界に来た動機も巫女らしくない私のことを、まだ興味があるのだろうか。


 さっきも不思議に思ったけど、やはり聞かずにはいられなかった。

 私は膝を抱えて、恐る恐るアステラを見る。


「……アステラは、巫女の私が好きでしょう? さっきの話を聞いて、がっかりしなかったの……?」

「がっかり?」

「私が、恋がしたい、なんて身勝手な理由でこの世界に来たこと……」 


 私の言葉にアステラは目をぱちくりとさせて、そうしてゆっくりと頭を振った。


「身勝手なのは、私達のほうですよ」

「え……?」

「私達は自分達を救って欲しいがゆえに、全く関係のない世界から人を……空様を喚び出し、自分達のために戦わせようとしています。それが身勝手でないならなんと呼びましょう。私達の方こそ、軽蔑されて然るべきなのです」

「そんなこと……」


 私は否定しようとしたけれど、アステラは緩く首を振って続けた。


「だからきっと、アリス様も。そのことで悲しまれたわけではないでしょう。それに……私は嬉しいのです」

「嬉しい?」


 私は首を傾げる。アステラは笑顔ではい、と頷いた。


「本来なら、空様は別の世界の私に会う予定だったのでしょう? それが今、こうして私の前にいます。この私が空様に会えたことが、嬉しいです」

「アステラ……」

「それに……私だって、勝手な理由で巫女様に憧れているのですから」


 アステラは空を見上げる。綺麗な青空だけれど、それはガラスの範囲までしか見えない空だ。

 アステラは空を見上げたままぽつりぽつりと零した。


「私は、守り人の使命ゆえに、生まれたときからこの王都から出たことはありません。だから私は、異世界からこの国を救いに来てくれる巫女様に憧れていました。白竜を倒して、この国を救って……私を教会から連れ出してくれる、巫女様を」


 アステラがアステルと同じ様に育ったのなら、アステラは文字通り箱入りで育ったのだろう。


 物心つく頃には既に教会で暮らし、王都から出られず、有事の際は教会からも出られない。

 エイルズ家の使命でそう定められたというだけで、どれほど窮屈な思いをしてきたことだろうか。


 でもその使命は、白竜自体が倒されれば無くなる。外に出られるようになるのだ。白竜が倒せる巫女に憧れ、救いを見出すのは当然のことのように思える。

 でもアステラは私を見ると、自嘲するように笑った。


「どうですか? 幻滅しましたか? 私は守り人で聖職者なのに、ほんとはこの国のことも、白竜のこともまるで考えていないのです。それより私は、この国を出て、もっと広い世界を知りたい。知らない土地で、見たことのないものを見て、食べたことのないものを食べて、自分が生きているということを感じたいのです。使命のために生きる人形ではなく、自分のために生きていると、感じたい」


 それはきっと、アステラの心からの願いだった。泣きそうにも見えるアステラの体は、重い使命を背負うには小さく見えて。私はそっと、その体を抱き締めた。


「今度こそ、約束させてほしい」


 思い出すのは、教会の地下でのこと。あの時私はまだ自分に巫女の力が無いなんて思いもしなくて、白竜を倒せるものだと思ってアステラに約束した。任せて! って。

 今はそれがどれだけ難しいことか、身をもって知っている。でも。


「必ず、この国を平和にする」


 アステラを抱き締めながら私は言う。どれだけ難しいか知っていても、私はそう言わずにはいられない。

 あの時と違うのは、覚悟だ。必ずやり遂げるという覚悟。私は何があってもこの約束を守る。

 だから。


「すぐに、アステラはどこにでも行けるようになるよ。自由に、好きな場所へ」

「そら、さま……」


 アステラが泣きそうな声で私を抱き締め返す。

 

 きっと、アステラの望みを叶えよう。この綺麗で小さな温室から出て、果ての見えない大空を、アステラに見て欲しい。そう思った。

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