第52話 一緒にどこかへ

 どきっとした。そんなこと、ヴィラは知らないはずだ。

 でもヴィラはカマをかけているとかそんな雰囲気じゃなくて、事実を淡々と喋っているだけのようだった。


「……なんで、」


 かろうじて、それだけを返す。ヴィラは変わらぬ様子で答えた。


「この間聞いたんだ。あの高台で、軍服の男が空ともう一人の人に怒鳴ってるのを」

「あそこに、いたの?」

「不穏な雰囲気だったから隠れて見ていたんだよ。そしたら、男が君に向かって言っていた。異世界の巫女って」

「それは……」


 異世界の巫女伝説は一般にも広く知られている話だ。でもヴィラに話して良いものかわからず、言いよどむ。

 隠していることではないし口止めはされていないけれど、力が使えない今の私が大ぴらに“そう”であると言うのは憚られた。


「それから、空が何か企んでるとかどうとかって。監視もつけられているの? 君はこの国を救いに来たのに」


 ヴィラが眉根を寄せて嫌そうに言った。私に対してではなく、私の現状に怒っている様だった。


「……しょうがないことだから。私が、巫女としてちゃんとしてないから、だから――」


 それ以上の言葉は続かなかった。ヴィラに抱きしめられたのだ。突然のことに驚いていると、ヴィラが抱きしめながら言った。


「空のせいなんかじゃない」


 ぎゅっと、私の背中に回っているヴィラの手に力がこもる。


「しょうがなくもない」


 そう言って、私の肩口に顔を埋めた。表情はわからないけれど、心から、私のことを想って言ってくれている気がした。


「ヴィラ……」


 私もヴィラの背中に手を回して、そっと抱きしめ返した。ヴィラのさらさらの白髪から、ほのかに爽やかな青空の香りがした気がした。


「……この国の奴らはどうしようもない。心に悪徳を飼っている。そんな奴ら、救ったってしょうがない。救えやしない」

「ヴィラ? どうしたの?」


 低くて、怒っているような、吐き捨てる声だった。どうしてそんなことを言うのか分からず聞き返す。

 するとヴィラは私の肩を離すと、私を正面から見つめた。ヴィラの金色の瞳が私を射抜く。


「ねえ、空。一緒に逃げよう」

「え……」

「私なら、誰にも見つからずに空とこの国を出ることが出来る。二人でいなくなっちゃおうよ」

「ヴィラ、待って。私――」


 そんなつもりはない。そう言おうとしたけれど、すぐにヴィラの言葉に遮られた。


「それで、二人で色んなところに行こう。この間話した場所だって案内するし、他にも綺麗な景色とか、誰も知らない秘密の場所だって教える」

「ねえ、聞いて、ヴィラ」

「二人で遠くへ行って、こんな国の奴ら忘れて楽しく暮らして、それで、それで」

「ヴィラっ!」

「っ!」


 声を張り上げて、ヴィラの肩を掴む。びくりとするヴィラの目の前に、選択肢が浮かんだ。


《一緒に逃げる/逃げない》


 一緒に逃げるを選んだらどうなるんだろう。それはそれでヴィラルートでエンディングを迎えるんだろうか。

 でも、私の心は選択肢なんてなくても決まっていた。


「私は行かない」


 言葉にすれば、選択肢は消える。後には悲しい顔をしたヴィラがいた。


「……なんで」

「決めたの。この国を、この国に住んでる人達を救うって」

「どうやって。巫女の力がないんでしょう」

「でも、私が巫女であることは事実だし、私には救える可能性がきっとまだある。それなのに、その可能性を投げ捨てて見捨てることなんて出来ないし、したくない」


 神様は言ってくれた。私は巫女だって。なら私はその神様の言葉を信じて、出来ることをしていくしかない。私に救える可能性があると信じて、出来ることを。

 

 ヴィラはショックを受けているように、一歩、よろめくように後ろに下がった。


「……疑われてるのに? そんな奴らも救うの?」

「そりゃ、疑われるのは悲しいし、怖いよ。でも、私のことを疑ってる人達も、怖いだけだと思うから。だから、私は私のことを疑ってる人達も救いたい。何より、信じてくれる人達もいるし……ヴィラみたいに、怒ってくれる人もいるから」


 そもそも私が最初から巫女としての力を使えていれば、ここまで疑われることもなかった。私を疑っている人たちは、今の状況が恐ろしくてしょうがないだけなのだ。     

 だったら、私はその人たちも含めてまるごと救いたい。

 

 それに、私の悲しい気持ちは、神様やアリスや、他のみんなが受け止めてくれるから。


「……随分、お人好しだね」


 口角を上げて、少し、軽蔑しているような、そんな声だ。

 でもそれも致し方ないのかも知れない。自分でも綺麗事だと思う。

 でも、諦めたくないから。あの時、魔骸の前で死を受け入れようとしたときみたいに、諦めるのはもう嫌だから。


「どうだろう。私がそうしたいってだけだから、どっちかっていうと……独善的なのかも」


 私は少し笑って言う。するとヴィラは、私をじっと見つめ、長い沈黙ののちにため息を吐いた。


「…………そう、」


 ヴィラはひどく疲れているように見えた。のろのろとフードを深くかぶると、私に背を向けた。


「……また会おうよ。それまでにどうするか、もう少し考えておいて。その時やっぱり逃げたいと思ったら……今度こそ、一緒に」


 そう言うと、ヴィラは細い路地に入って行ってしまった。後を追うように路地を覗き込んだけれど、暗闇で目立つはずの白い姿はどこにも見当たらなかった。


「ヴィラ……」


 どうしてあんなに必死に、私をこの国から出そうとしたんだろう。その理由も良くわからないし、何かが引っかかる。そして何に自分が引っかかっているのかわからず、首を捻る。


 すると、遠くから私の名前を呼ぶ声が聞こえた。あの声はレオナだ。


 合流しようと真っすぐ進んで、突き当りの角を一つ曲がる。そうすると大通りに出た。この場所は知っている。レオナとレストランに行くために歩いた道だ。ヴィラはしっかり道案内をしていてくれたらしい。


 心の中でお礼を言うと、すぐにレオナがやってきて、謝りながら私を抱きしめた。

 大丈夫だから、とレオナの背中をぽんぽんと叩いていると、なにかに引っ掛かっていたことも、いつの間にか忘れてしまっていた。

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