第45話 猛犬注意
ローレンが彼の人の名前を呼ぶ。振り返った彼は私達を見て顔を顰めた。
「あ? 何でお前たちがここにいる」
「それはこちらの台詞ですよ、マグワイヤー将軍。貴方は何故ここに?」
ローレンが問う。その声はおよそ味方に対するものには聞こえなかった。どちらかといえば、敵に対して発しているような、緊張と疑いの混じった声。
彼もそれに気付いたのかどうか、機嫌の悪そうな大柄な態度で返した。
「それをお前に言う必要はあるのか?」
「是非お聞かせ頂きたいですね。事によってはアリス王女へご報告しなければいけませんので」
そのローレンの言葉に彼は眉間に皺を寄せ、殊更不機嫌そうな顔をした。ちっ、と舌打ちをすると、がしがしと頭を掻く。随分苛立っている様子だった。
「……ったく、これだから犬は嫌いなんだ。ご主人様ご主人様と、うるさくてかなわねぇ」
「そうですか。でしたらこれ以上吠え立てられたくなければ、何故ここにいたのか、お聞かせ頂けますか」
苛々と態度に出す将軍とは違い、ローレンは冷静に言葉を返す。彼は大きなため息を吐くと、また舌打ちをした。
「……俺は不審な奴がいるっていうから見に来ただけだ。お前達はどうなんだ?」
「……将軍と似たようなものですよ」
「本当か?」
はっ、と将軍は鼻で笑って私達を見た。ローレンが眉をしかめる。
「どういう意味です」
「魔骸が街に入ってきたあの日、黒髪の女がここで不審人物と話してるのを見たって奴がいる」
告げられた言葉にぎくりとした。私のことだ。誰かに見られていたらしいが、私達は別に見られて困るようなことはしていない。
でも通報? されてるってことは、ヴィラの姿はこの国では不審なのだろうか……。それともローレンが不思議に思ったように、今のこの国では旅人が珍しい存在だからだろうか?
そんなことを考えていると、彼が私の方を見た。
「なあ! どうなんだ? 異世界の巫女様よ!」
私自身に向けられた大きな声に、びくっと体が震え縮こまる。すると、ローレンが守るように私の前に出てくれた。
「確かに、その黒髪の女性は彼女でしょう。ですが、彼女はその相手を不審だとは思わずに、ただの旅人だと思って話をしていただけですよ。他にはなにもありません」
「その旅人と話しているところを、お前は見たか? 聞いたか?」
「……直接見たわけではありませんが」
「そうだろう? お前はそこの女からそういう風に聞いただけだろう。そんなの、何とでも言えるぜ?」
彼は口角を上げてローレンにそう言ったあと、私を見た。その目は怒りや憎しみに満ちているように見えた。
「なあ、巫女様よ。お前は何を企んでやがる。そもそも本当に巫女か? 王女を取り込んで何かしようとしてるんだろ? なあ!」
勢いのままに、彼は一歩二歩と、私に向かって足を踏み出す。その迫力に、足が震えた。後退ることも出来ず、彼を見つめる。
この世界に来たばかりのとき、アリスに向かって無礼な口を聞いたときのことを思い出した。あの時も、こうやって怒ったマグワイヤー将軍が私に向かって来た。
でもあの時よりも怖いと思った。何よりここには、止めてくれるアリスはいない。
ぎゅっと両手を握ったその時、ローレンが将軍の目の前に立ちはだかった。
彼の足がぴたりと止まる。ローレンは自身の腰の剣に手をかけていた。
「……何のつもりだ?」
彼は怒気の混じった低い声を出してローレンを睨みつけた。ローレンは柄から手を離さず、将軍を見据えた。
「これ以上近づけば、貴方とはいえ容赦はしません」
「……犬如きに何が出来るってんだ、ええ?」
「そうですね。私にできることと言えば――貴方を斬るぐらいでしょうか」
そのローレンの声は、冗談には聞こえなかった。本当に、これ以上近づけば、斬る。そんな気がした。
「はっ……まるで猛犬だな」
将軍は茶化すように口端を上げた。でもその態度とは裏腹に、その瞳はギラギラとしていて、武器に手をかけていないはずなのに彼のほうが優位にさえ見えた。
――それでも、先に折れたのはマグワイヤー将軍の方だった。
「…………まあ、いいさ。俺も暇じゃねえ。犬の散歩に付き合ってる時間はねえんだ」
ふっ、と怒気を緩め、彼は言う。そして私の方をちらりと見ると、またローレンに視線を戻した。
「だが、次その女が不審なことをしたら、俺は今度こそ処分を進める。そう飼い主にも言っておけ」
精々しっかり監視しておくんだな。そう言い残し、将軍は去っていった。
アリスは言っていた。私を良く思っていない人達がいて、巫女の力が使えない私を疑い、危害を加えようとしていると。
きっと、マグワイヤー将軍がそうなのだろう。彼の背中を見ながらそう確信した。
将軍の姿が見えなくなると、ローレンが深く息を吐いて剣の柄から手を離した。緊張していたことがよくわかる。ローレンでも緊張するような相手なのだ。それほどに、強いということなのだろう。
ローレンは私に向き直ると、深く頭を下げた。
「……御見苦しいところを見せました。空様、申し訳ありません」
「そんな……むしろ庇って頂いて……ありがとうございました」
私も同様にぺこりと頭を下げる。ローレンがいなかったら、私はどうなっていたかわからない。
まだ少し震える手を握りしめていると、そっと、その手にローレンの手が重ねられた。驚いて彼女を見上げると、ローレンは微笑んだ。
「私は今日、空様の護衛ですから」
今日幾度か聞いたはずのその言葉は、今になって胸に染みた。とても心強くて、とても暖かくて。
私は泣かないようにしながら、こっくりと頷いた。
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