第46話 守って守られて

「……落ち着きましたか?」


 お互い塀にもたれて休んでいると、気遣うようにローレンが声をかけてくれた。吹き抜ける風が気持ちよくて、すっかり気分も震えも落ち着いていた。


「はい。色々、ありがとうございました」

「気分が良くなられたのなら、よかったです」


 ローレンは微笑んでそう言ってくれるけれど、庇ってもらったうえにこうして落ち着くまで側にいてもらうのは、迷惑も手間もかけていて申し訳ない気持ちだった。


「お手数おかけしてすいません……。ああいう、疑われたり、強い気持ちをぶつけられることがなくて……」


 なにぶんここに来るまで話す男性は店員か父親か教師ぐらいだったもので、ああやって怒鳴られるのは酷く怖かった。増々男の人が苦手になってしまいそうだ。

 ため息をついてしまうと、ローレンが慰めるように笑って言う。


「普通に生きていたらそうあることではありませんから。私も、初めの頃は少し戸惑いました。王宮や階級というものは些か面倒が多いもので」

「あ……そういえば、犬って……」


 マグワイヤー将軍がローレンに向かって言っていたことを思い出す。


 マグワイヤー将軍はファンラブのゲームに出てきていなかったし、ロレンスのことをそんなふうに揶揄する人はいなかった。

 でもゲームでも、今みたいにロレンスが王宮や階級は面倒ごとが多いと吐露するシーンはあった。


 犬だなんだというのも、面倒なことの一つなのかもしれない。


「ああ……私は出が平民ですから。時々言われるんです。犬とか、どうとか。しかもアリス様にくっついているものですから、余計に」


 ふふ、とまるで世間話でもするようにローレンは言う。

 ゲームと一緒だ、と思った。ロレンスもそうだった。


 ロレンスは平民としてこの国で産まれて育った。でもある日魔法が使えることが発覚する。

 魔法の使える使えないは血筋が影響していて、魔法が使えるのは貴族がほとんどだ。それでも、時々ローレンのように、親族に魔法が使える人がいなくても突然変異のように魔力を有して産まれてくる人達がいる。


 そして、そういう人達は往々にして王都の士官学校に入るのだ。騎士になれば給与も高いし、出世も出来る可能性がある。ロレンスも例に洩れずそうだった。


 でも、その士官学校で出会うのだ。生涯仕えたいと思う相手――アレックスと。

 そして、以降ロレンスはメキメキと頭角を表し、ついには平民の出ながらアレックスの右腕として彼を支える一番近い存在となる。

 でも、平民のくせにとよく思わない人も多くて、苦労しているらしかった。


 ローレンも、そうなのだろう。色々言われて悲しい思いをしているのかも知れない。

 しかもさっきは目の前で犬だなんだと言われて……それなのに、私は自分ばっかりが傷ついて、ローレンのことを考えられていなかった。


「……すいません、私、自分のことばっかりで……」


 ローレンの気持ちにはまるで寄り添えていなかった。ローレンは私のことを気遣ってくれたというのに……。


 頭を下げる私に、ローレンは微笑んで頭を上げるよう言ってくれる。そして、笑顔で何でもないことのようにぽん、と軽く言った。


「いいんです。慣れていますから」


 その言葉に、笑顔に、私はショックを受けた。こんなこと、あっていいのかと思ったのだ。悪く言われて、慣れてしまうなんて、慣れるほど言われるなんて、許せないと思った。


 もしかしたらローレンは本当に平気なのかも知れない。それでも、少しは嫌な気持ちになるはずだ。

 だって、慣れる、って言葉が出るってことは、慣れなかったことがあったはずだもの。傷ついたことがあるはずだもの。

 そんな言葉をずっと言われるなんて、そんなの、そんなのっ!


「許せないです」

「え?」


 むっとして言った言葉に、ローレンが驚いたような顔で私を見た。自分で思っているよりもずっと、機嫌の悪い声が出たのかもしれない。

 でも私はむっとしたまま、ローレンを見た。


「慣れることなんて、ないです」

「空様……?」

「次また言われたら、私に言ってください。今度は私が怒ります。今日、グレイさんがやってくれたみたいに。今度は私が前に出て、守りますからっ」


 その相手がマグワイヤー将軍だろうがなんだろうが、今度はもうびびったりなんかしない。相手の前に出て言うのだ。それ以上言えば容赦はしない、って! どう容赦しないかは……これから考えるけど……。


「…………」


 と、鼻息荒く宣言したはいいけれど、ローレンの反応はない。ぽかんとして私を見ている。

 これは、やっちゃったか……? うざいって思われたか、出来もしないことをと呆れられたか……?


「あのぅ……グレイさん……?」


 恐る恐る顔を覗き込むようにして声をかける。顔の前で手を振れば、その手を急にがしりと掴まれた。そして驚く間もなく告げられる。


「ローレンです」

「へ?」

「ローレンとお呼びください。敬称も敬語いりません」


 にこりと微笑み、ローレンの赤茶色の髪が揺れる。まさに女子高の王子といえる微笑みに、私は困惑しつつも首を振った。


「え、でも、私は偉い人じゃないし……」

「アステラやレオナにはそうしているじゃありませんか」

「そうですけど……」


 あれは、アステラは歳が近いからだし、レオナはああいう感じだからだっただけで……。

 ローレンはしっかりしている人だし、歳上だし、どうにも砕けた感じではやりにくい。それに本人の性格的にも名前呼びはもう少し後なのでは……?


 そう思ったのだけど、じっとこちらを見つめられては、降参するほかなかった。圧も感じたし。


「……わかった、ローレン」


 もうここまでくればヤケクソだ。どうせ好感度アップを目指しているのだから、早いか遅いかの違いだけである。

 ローレンはそれは満足にそうに頷いて、私の手を離した。


「よろしい。そうやって偉そうにしていて下さい。そうすれば、面倒なことを言ってくる人達を一蹴出来るようになりますよ」

「そういうものですか?」

「はい。それに、実際空様は偉いのですから。なんといっても、この国を救う巫女様ですからね」

「う……プレッシャーが……」


 ぶっ込んできおる……。まだ力を使えないから耳が痛い言葉だ。


「あ、そうだ。私のことも呼び捨てで」


 呼んでください。そう続けようとした言葉は、ばっさりとローレンに断ち切られる。


「それはいけません」

「えっ!? なんで……」


 まさかアステラのように私が国を救う巫女だからとか言うタマではないだろう。

 首を傾げる私に、ローレンは目を細めて微笑んだ。


「……さて、何故でしょうね」


 なぜだか、その微笑みは今日一番のものに見えて。私はしばし見惚れたのだった。

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