第31話 君に良き眠りを

「わかった! 私は背中側、お前は自分で前を拭けばいい! これでいいか⁉」

「……まあ、それなら」


 神様との大死闘の末、提示された妥協案に渋々頷いた。投げつけようとしていたクッションを下ろす。

 神様はまったく……と深く息をついた。


「この私が手ずから世話をしてやろうというのに嫌がりおって……普通は泣いて喜ぶところだぞ」

「お生憎ですが、私は少女に体を拭かれて喜ぶ趣味はしていません」

「なんだ、大人の女ならいいのか? なら姿を変えても――」

「い、いいからいいから! そのままで!」


 言いかけた神様に慌てて首を振る。きっとあの白い世界であった姿のことを言っているのだろう。あんなプロポーション抜群の美女に体を拭かれるなんて、それこそなんだか変な雰囲気になりそうだ。


「何だ、全く。よくわからんな」


 神様は首を傾げて不思議そうにしたが、まぁいいかとすぐに切り替え、部屋の中のソファを見て顎で示した。


「とりあえず、ほれ、そこのソファに座れ」

「はあい」


 大き目のソファは二人で座っても十分な広さがある。並んで腰かけると、私は神様に背を向けてもぞもぞと服を脱ぐ。あっという間に包帯と下着だけの姿となり、神様が背中の包帯に手をかけた。


「では、包帯をとるぞ」

「わかった」


 神様は包帯をするすると解いていく。すぐに包帯は全部とられ、ガーゼも外される。背中の傷が露わになった。

 すると、神様がそっと傷に触れた。


「ん、何?」

「いや……この世界に来て二日目でこれか、と思ってな」

「そうだねぇ……」


 私は曖昧に笑って返す。多少の怪我はゲームでも主人公が負っていた。だから私もある程度は覚悟していたけど、まさか二日目でこんな怪我をするとは思わなかった。


 でも、この怪我があるのは私が生きている証拠でもあるわけで。


「まあ、勲章、みたいなものだよ。頑張った証ってやつ!」


 えへへと笑うけど、神様の返事はない。不思議に思い肩越しに様子を確認すると、神様の金色の瞳と目が合った。


「なあ、空。気持ちに変わりはないか?」


 真剣な様子で投げかけられた言葉に首を傾げる。


「気持ち?」

「ノーマルエンドだ。目指すと言っていただろう」


 ああ、と私は少し上を向く。ちょうど先ほど気持ちを新たにしたところだ。どこか探るように見ている神様に笑って頷いた。


「……うん。神様のおかげでちゃんと巫女だって再認識できたし。この国に住んでる人のためにも、私はノーマルエンドを目指すよ」

「……そうか」

「それに、アレックスにだって会いたいしね!」


 少し目を伏せていた神様は、私の言葉にふふっと笑う。お前はずっとそれだな、と笑って私と目を合わせた。


「……そうか。であれば、私は変わらずお前を応援しよう」

「うんっ。神様が応援してくれるなら、やる気でるよ!」

「よしよし。であれば体もしっかり清めねばな! ほら、手をあげろ! 脇を拭くぞ脇を」

「や、まってくすぐった……あははは! ちょっとかみさ、ふっははは!」

「これ、暴れるな。綺麗に拭けんだろう」

「だ、だって! あっははは!」


 わざとくすぐるように拭いてくる神様に私は大笑いして、中々体を拭くのは進まなかった。

 でも、少し楽しくて。久しぶりにここまで大笑いしたような気がした。




「ひぃー……疲れた……」


 体を拭き終わる頃にはぐったりで、私はソファに突っ伏す。神様はこら、と私の腰をぺちんと叩いた。誰のせいでこんなに疲れていると……。


「ほら、体を起こせ。包帯を巻き直すぞ」

「はあい……」


 のろのろと起き上がり、神様が処方された薬を塗ってガーゼと包帯を巻き直してくれるのを待つ。

 でも私の背中の傷口に触れたのは薬でもガーゼでもなくて、ちゅっと軽い音とともに微かに息が触れるのが分かった。


「……神様?」


 何をしているのかがわからなくて問いかける。

 でも神様は返事をせず私の手を取ると、手のひらの傷に向かって唇を近づけた。ちゅっと音だけのそれは触れてはいなくて、背中と同じように神様の息だけが触れる。


 なんだか神聖な儀式にも見えるそれをぽけっと眺めていると、私を見た神様がふっとほほ笑んだ。


「早く治りますように……ってところだな」


 きっと神様パワーで治す、とか、そんなことではないのだろう。

 神様は私が死んだときに言っていた。死んだ事実は消せないと。であればきっと、怪我をした事実も消せないのだろう。


 ならこれはきっと、神様が言った通りのことで。ただ、私の怪我が早く治るように祈ってくれたのだ。


「……ありがとう」


 神様の優しさに頬が緩む。神様は笑って私の頭をぽんぽんと叩くと、それは丁寧に包帯を巻き直してくれたのだった。




 体も綺麗にして、寝巻着に着替え終わった頃、見計らったようにコンコンとドアがノックされて、メイドさんが夕飯を持ってきてくれた。


 メニューは、簡単にスプーンで食べられるリゾットだ。これなら傷に響かずにご飯が食べられる。

 もしかしたらアリスが指示してくれたのだろうか。それともメイドさんとか?


 どっちにしても、暖かい人の心に触れて、体の芯からあったまるご飯になった。




 すっかり食べ終わるとお腹もいっぱいになったからか、うとうととし始める。今日は随分疲れたから、そのせいだろう。


「空、眠いなら寝室に行け」


 一緒に食後の紅茶を飲んでいた神様に、両手で持っていたカップを取り上げられる。

 ああ、私はカップを持っていたのか、そうか、危なかった。零すところだったのかも知れない。


「うん……わかってる……」


 返事はするけれども、どうにも体は動かない。神様がため息をついた。


「まったく、世話の焼ける」


 と、ふわりと体が持ち上がる。ぼんやりと目を開けると、神様の顔がすぐ近くに見えた。運ばれているらしい。でも、神様は小さいから、いくらなんでも私を持ち上げられないはず……。


「うむ……かみ、さま……?」


 うつらうつらと呼ぶと、神様がこちらを向く。あら、大人だ。そうか、神様は大人にもなれるのか。そうだった……。


 もにゃもにゃとしていると、神様がふふ、と笑う声が聞こえた。そしてすぐにぽすんと体が沈む。

 ああ、ベッドについたんだ。ふわりと掛布団をかけられて、優しく頭を撫でられた。


「眠れ。私が傍についている」


 それはなんて、安心できる言葉だろうか。なんにも憂うことなく、私の意識は落ちていく。


「……おやすみ、かみさま……」

「ああ、お休み」


 神様のキスがおでこに降ってくる。優しいそれを最後に感じて、私は幸せな気持ちで眠りに落ちたのだった。

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