第26話 生きたいという願い

「おかあさん……」


 それは、ほぼ反射だった。

 え、と思って立ち上がりかけて、上手く立ち上がれず、体がべしゃりと地に臥せる。その私の背中の上を魔骸の手が風を切って通り過ぎて行った。


 でもそんなことは気にならなくて、地に伏せた私の視線の先には、泣いている女の子がいた。

 見覚えがある。アリスと馬車に乗った時にすれ違った親子、その子供だ。さっきは瓦礫に隠れて気づかなかったらしい。

 

 今まさに、その子に向かって新たに来た二体目の魔骸が近づいているところだった。


「危ないっ!」


 慌てて立ち上がり、魔骸の横をすり抜けてその子の元に向かう。


「早く逃げなきゃ!」


 泣きじゃくる子供の手を取って連れて行こうとしたけど、その子の傍に女の人が倒れているのを見て動きが止まる。子供は泣きじゃくりながら指を差した。


「おか、おかあさんが!」


 母親の足が瓦礫に埋もれていた。自分では抜けないようで、足を押さえながら苦悶の表情を見せている。

 慌てて瓦礫をどかそうとしたけど、重くて動かない。こんなことなら日々筋トレぐらいしとくんだった!


 瓦礫に悪戦苦闘していると、私の腕を母親が握った。


「私はいいんです! この子だけでも……!」


 力強いまなざしだった。何かを覚悟している強い瞳に私は射抜かれる。怪我をしているとは思えないほど強い力で腕を握られて、痛いぐらいだった。


「いやだ! おかあさんも一緒がいい!」

「いいの! 早くこの人と逃げて!」

「おかあさん!」


 子供が母親に縋りつく。母親は必死に子供を引き離そうとしながらも、私を見つめた。

 目の前の傷ついた母親と、さっきまでの自分を重ねた。


 あの時、死を覚悟したとき、私はこんな強い瞳をしていただろうか。

 自分を犠牲にしてまで、何かを守ろうと、次につなげようという覚悟を持っていただろうか。


 ――いや、違う。私はただ逃げようとしていただけだ。辛い現状から、恐怖から逃げ出したかっただけだ。

 本当の巫女のためとかこの世界のためとか綺麗事を思いながら、その実自分のことしか考えていなかった。


 その時、かしゃんと何かが落ちた。地面を見ると、そこにはアリスが選んでくれたループタイが落ちていた。

 転んだりしていたから、紐が緩んだのかも知れない。こんな時でも青い宝石は綺麗で、アリスの瞳を思わせた。


『――はい。必ず』

『私が……白竜を退治して、平和を取り戻します!』


 アリスに馬車の中で「この世界を救ってほしい」と言われた時と、地下でアリスとアステラに宣言した時のことを思い出す。

 あの時の私はまるでわかっていなかった。命をかけて戦うということを。

 

 それでも、私は約束した。私はこの世界を救うと、平和を取り戻すと約束したのだ。


 ループタイを拾い上げて、適当に首に結ぶ。かっこ悪くてもいい。私は、私の信念を守る。


「――必ず、お二人とも助けます」


 母親の目を見返して“約束”する。母親は一瞬ハッと失望の色を隠しきれていない様子だったけど、ぎゅっと目を閉じると縋りつく子供を抱きしめ、私を見返した。


「……助けて、私達を、助けて下さいっ……」


 それは、期待、願い――渇望。

 私は力強く頷くと、近くにあった壊れた木の窓枠を取る。それ母親の足に乗っている瓦礫の隙間に差し込むと、てこの要領でなんとか持ち上げようと全体重をかける。


「ふんんんんっ!」


 重い。瓦礫ってこんなに重いのか。魔骸の距離が近くなっている。早く、早く!


 ぐっぐっと力を込めていると、子供も私の前に来て木に力を込めた。目頭が熱くなる。ここにいる三人の気持ちは一緒だった。


 生きたい。ただそれだけの、どうしようもなく難しく、当たり前の願い。


「せーのっ!」


 思いっきり力を込める。すると、かすかに瓦礫に隙間が出来た。すかさず母親は両手を使い、なんとか瓦礫から足を退ける。


「抜けたっ!」


 母親が声を上げる。力を抜くと、どすんと瓦礫が地面に落ちた。


「おかあさん!」

「ああ、良かった!」


 子供が母親に縋りつき、母親もきつく子供を抱きしめる。でも喜んではいられない。


「早く逃げ――」


 振り返って、私はピタリと言葉を止めた。いつの間にか、二体の魔骸が目の前に来ていた。後ろは壁。逃げられない。


「そんな……」


 母親の悲痛な声が私の耳に届く。どうしよう、終わりだ。恐怖に体が震える。でも、でも……!


「約束、したんだ……!」


 必ず、二人を助けるって。


 ぐっと体に力を込めて、頭を働かせようと辺りを見回す。

 ちょうど魔骸の足元に剣が落ちていた。きっと兵士の物だろう。すぐに駆け出すと、素早く剣を拾い上げた。そしてそのままの勢いで剣を突き刺す。


「わああああ!」


 剣が肉にめり込む感触。確実に突き刺した。バッと魔骸を見上げる。


「嘘でしょ……」


 魔骸はまるで何事もなかったように蠢き、そして手を私に向かって振り上げた。


「きゃあ!」


 転ぶようにして避ける。なんとか避けられはしたけど、剣は突き刺したままになってしまった。武器が手元に何もない。


「……いや、あるはずなんだ」


 私自身が、武器になるはずなんだ。もう一度、試そう。

 精神を集中させて、一から魔法の手順を繰り返す。

 ――でも、やっぱり何も変化は起きなかった。


「出てよ! なんか出てよ!」


 叫びながら手をかざす。それでも何も起こらない。魔骸がまた手を振り上げる。どうしよう、どうしよう。守りたい、二人を守りたい。私も、まだ生きていたい!


「なんでもいいから、なんか出なさいよっー!」

「はぁい」


 え、と目を見張る。やけくそになったその時、もの凄い速さで一体の魔骸が吹っ飛んだ。剣で薙ぎ払われたのだ。

 呆然と見ていると、オレンジの柔らかな髪が私の目の前に躍り出る。


「よおく頑張りました、巫女サマ。後は任せてね」


 ちらりと横目で私を見てウインクをするその人は、国一番の騎士、レナード・ロウ。――いや、違う。彼女は。


「来て、くれた……」


 ほーっと息を吐いて、その場にへたり込む。もう力が抜けて、指一本だって動かせそうにない。


 彼女は目の前の魔骸から振り上げられた手を大剣で払うと、素早く、だけど力強く切りつけた。魔骸の体が真横一文字に切り分けられて、どしゃりと地に沈む。

 次に吹っ飛ばした魔骸の方を向くと、高く跳躍し、一刀両断した。

 あっという間に、二体を倒してしまったのだ。


 彼女はふうと息を吐くと、ぴしゃりと大剣を振るって剣についた血を払う。そして背中の鞘に剣を収め、私を見て微笑んだ。


「最強の騎士、レオナ・ロウ。推参仕りました。以後お見知り置きを、巫女サマ♡」

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