第21話 震える拳
額に汗を流すその人は、大急ぎでここに来たのだということがわかる。明らかな緊急事態だった。
アリスもそれがわかったのだろう。先ほどまでの朗らかな様子を一変させ、凛とした佇まいで口を開いた。
「話せ」
「はっ! 王都より西、二十キロ地点に魔物有り! 数七、魔骸です!」
「なんだとっ!」
アリスが驚く。アステラも私も息をつめてその様子を見つめた。
体長は四・五メートル程で、真っ黒の影のような見た目をしている。両手が以上に細長く、振り回して攻撃してくる。知性のある様子は感じられないけど、その体躯とリーチは十分な脅威なのだ。
「現在ロウ卿の部隊が討伐に向かっております!」
続けた彼の報告に、アリスははあとため息を吐く。
「あいつめ、また先走って……すぐに私も行こう。馬は?」
「ご用意あります!」
「ご苦労」
彼の労を労うと、アリスは私を振り返る。そして安心させるようにほほ笑んだ。
「空、デビュー戦ですね」
「はいっ!」
早速出番が来てしまった! ゲームではこんなに早く出番はないはずだけど……まあ、多少の誤差はあるものだろう。来てしまったからには、頑張らなければ!
自分を奮い立たせるようにアリスに返事をして、歩き出そうと一歩踏み出そうとする。
でも、その一歩は彼の声によってピタリと止まった。
「あ、あのっ! 大変申し上げにくい事なのですが……」
先ほどまでのはきはきとした様子とは違い、言いにくそうに視線を彷徨わせる彼。アリスが不審そうに言葉を促した。
「なんだ? 時間がない。早く言ってみろ」
彼はアリスを見上げ、そして私を見た。ドキリとする。きっと私のことなのだろう。その予想は見事に的中して、彼はおずおずと口を開いた。
「それが……マグワイヤー将軍が、巫女様が出陣するようならば自分は出陣しないと……」
「え……」
「あいつ……!」
アリスが憤怒に声を震わせる。私は突然のことに怒るというところまで感情が行かず、ただ困惑し、そして記憶を遡った。
マグワイヤー将軍。一度聞いた名前だ。それは昨日、初めてアリス達と会った時。王女であるアリスに向かって「誰ですか?」なんて言った私に、怒って怒鳴ってきた人だ。
アリスに窘められていたけど、最後に私を睨んでいった。随分嫌われているらしい。当然っちゃ当然かもしれないけど、まさかここまでとは……。
「何を馬鹿なことを! どういうことだ!」
困惑から驚きに変わった私だけど、アリスの怒りは収まらない様子だった。
彼は首を竦め、言いにくそうに続ける。
「まだ自分は巫女様を信用していないと仰られて……戦場で後ろから襲われてはたまらないと……」
「……そう言っているのは将軍一人だけか」
アリスは頭に手を当ててはあと息を吐く。怒りを収めようとしているようだった。そんなアリスに彼は首を振る。
「いいえ……」
「まさか他にもいるのか!」
「他にも数人が……それに、将軍は自分の部下も出陣させないと言っています。大事な部下を
「あの、男はっ……!」
アリスの声と体が震える。怒りで拳を強く握っているようだった。
私はと言えば、アリスが怒ってくれているからなのか、随分心が凪いでいた。勿論少しの悲しさはあるけれど、突然やってきた小娘を信用しろという方が無理があるのかも知れない。
私はアリスの握りしめられた拳の上にそっと触れた。アリスが驚いたようにぱっとこちらを見る。
「あの……私は大丈夫ですから、行ってください」
「しかし……!」
「私が怪しいのは事実ですし、その将軍さんの不安もわかります。だから今みたいに切迫していない時に、私の力を見せて信用していただくのはどうでしょう。なので今は」
きっとそれが今一番の方法だろう。今アリスについて行ったところで、きっとマグワイヤー将軍は姿も見せてくれないはずだし、要求を退けられたと余計に私やアリスに悪感情を持つかも知れない。
ならばここは、彼の要求に従って私は引いた方がいいはずだ。信用してもらう機会なら、この先にいくらでもあるだろう。
アリスは暫く納得がいかなさそうな顔をして何か言おうとしていたけど、やがて申し訳なさそうに頷いた。
「……本当に、申し訳ありません、空。私達が救いを求めて喚んでいながら、このような……」
「いいんですいいんです! それより早く行って下さい! ねっ」
「……わかりました。ですが空、此度の事は必ず、必ず将軍本人に謝罪させますから」
「気にしないでいいですから! ほら、行ってください!」
ぐいぐいとアリスの背を押して促す。
アリスはまだ謝罪の言葉を言い足りなさそうにしながらも前に進み、そして、あ、と振り向いた。
「あの、空」
「なんでしょう?」
アリスが立ち止まったことで、私もピタリと止まる。するとなんと、アリスは私の耳元に顔を寄せた。
「っ⁉」
ドキリと心臓が鳴って、顔に耳に熱が集まる。アリスはそっと囁いた。
「私が迎えを寄越すまで、空はアステラと
きっと地下のことを彼に聞かれないようにするために耳元で喋ったのだろう。内容を聞けばそうなのだろうということが分かった。でもそれでも、心臓に悪すぎる……!
「わ、わかりました……」
ドキドキしながらも、なんとかそれだけ返事をする。アリスは顔を離して私の顔を見ると、ふふ、と笑った。
ああ、顔が赤いせいできっとドキドキしているのがバレている……。それもこれも、全部アリスの顔が良いせいなのにっ!
ちろりとアリスの顔を見る。桜色の唇は満足そうに弧を描いていたけど、頬はほんのり赤かった。
「では、行ってきます」
「……はい、行ってきて下さい」
羞恥のせいで少しぶっきらぼうに返してしまった。でもアリスはほほ笑むと、アステラに目を向ける。
「アステラ、空を頼んだ」
「お任せをっ!」
アステラの返事を聞くと、アリスは頷き、彼を連れて颯爽と歩いて行った。
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