第3話 涙のデコピン

「……はあ?」


 一体何を言っているんだこのスカポンタンは。冗談はその美しい姿だけにしてくれ。


「ほう、神に向かって随分な言いようではないか……」


 すっと冷たく細められた神様の目と声を聞いて、そういえばと思い出す。神様は私の心の声が読めるのだった。美人は怒る姿が怖いというのは本当だ。気迫が違う。


 反射で謝りそうになるが、いやいやと首を振った。確かにひどいことを言ったかも知れないけど! こっちは死んでるんだからもう怖いものはない!

 その意気で私は神様に食ってかかる。


「だって! 死んでるのに誰と恋しようっていうんですか! 幽霊ですか、幽霊とですか! そんなの私ごめんです!」


 食ってかかった勢いのままに、私は座り込んでいた体を立ち上がらせて神様に詰め寄った。今度は神様がたじろぐ番である。キッと睨みつけた私の目を見て、うっと声を詰まらせた。


 これを好機とみて私はより神様との距離を縮めさせる。神様の豊満なおっぱいが私のつとめて平均的な胸を潰すが、そんなのは構っていられないのだ。


「そもそも、何で私の前に現れたんですか! 死ぬなら死ぬですぱっと終わらしてくれれば、こんな、こんな気持ちになることもなかったのに……!」

「うっ」

「それに、恋ができるってなんですか、気休めはよしてくださいよ! 私もう死んでるんだから、これから先の未来なんてないじゃないですか! 恋ができるなんて適当なこと言うなら、私の望み叶えてくださいよ! ファンラブの世界に行って恋させてくださいよっ!」


 叫びたいことを叫び尽くして、興奮と息切れで息が荒くなる。はぁはぁと荒い息を吐きながらも、目だけは神様からそらさなかった。

 神様も最初はたじろいでいたようだけど、だんだん冷静になったようで、今は金色の瞳の心の揺れ動きは全くわからない。

 でも私と同じように、ただ真っすぐに私を見ていた。と思ったら、すっと目線を斜め下に落として一言。


「手を離せ」


 えっ、と思って神様の視線の先に目をやれば、私の手が神様の肩口の服を思いっきり掴んでいた。無意識で手が出ていたらしい。

 慌てて手を離したが、私が掴んだ場所がぐしゃぐしゃに跡になっていて、さっきまで昂揚していた私の気持ちもぐしゃぐしゃと萎えていくのが分かった。


「……ごめん、なさい……」


 意気消沈。人に怒鳴るなんてこと、今までしたことがなかったから興奮しすぎた。

 神様から数歩下がって下を向く。こういうの、晩節を汚すっていうのかな……いや違うか、人に称えられるようなことしてきたわけじゃないし、そもそももう死んでるし……。

 不注意で勝手に死んで、泣きわめいて神様困らせて、しまいには怒鳴って手が出てしまった。惨めすぎる。


 止まっていた涙がまたじわじわと出てきて、ぽとりぽとりと落ちていく。涙は白い空間に吸い込まれるように無くなっていく。一体どこに消えていくのだろうか。私もこのまま消えていくのだろうか。

 そんなことを考えていると、ふわりと、頭に暖かいものが乗せられた。


「泣くな」


 呆れたような、でも何だか優しさを感じるような声で、神様が私の頭を撫でている。

 まさかそんなことをされるとは思ってもいなかったから、びっくりして私の涙は引っ込んでいた。ゆっくり顔をあげれば、神様がほっとした顔をした。


「あの、神様……」

「うむ」


 もう一度ちゃんと謝ろう。そう思っていると、神様は一つ頷いて私の頭から手を離し、その手を私の眼前に持ってくると中指を親指で抑え込んだ。

 あら? この形知ってるぞ? これはもしや――。


「いっっ……!」


 強烈なデコピンである。バチコンと派手な音を立てて、私のおでこに神様の中指がさく裂した。強烈な痛みにおでこをおさえる。涙目で神様を仰ぎ見れば、彼女はにやりと悪い顔で笑っていた。


「これで、先の無礼は許そう」

「あ、有難き幸せっ……!」


 ぽろり。悲しみではなく痛みの涙が頬を一筋つたった。おでこをおさえながら苦痛に悶絶しつつ、でも、気持ちは不思議と晴れやかになっていた。


「全く、人の話をちゃんと聞きもせず怒ったり泣いたり、人の子は疲れる」

「わぷ、ご、ごめんなさい……」


 どこから出したのやら、いつの間にか神様の手には真っ白のタオルが握られていた。そのタオルで顔をごしごしと拭かれる。乱暴な手つきだけど、タオルがふかふかなので痛くはない。


 そういえばずっと泣きっぱなしで一度も顔を拭いたりしていなかった。拭かれながらも謝れば、神様はふん、と鼻を鳴らして、これでよし、とタオルを離した。

 綺麗になったのだろう、顔もすっきりとして気持ちいい。神様は満足げに笑みを零すと、タオルをまたどこかへと消した。


「許すと言っただろう。それよりも、だ。恋がしたいんだろう?」

「したいです……」


 恋はしたい。したいけど、先ほどのすぐあとなので何となく声が小さくなる。

 神様はふうとため息をつくと、椅子に座って肘をついた。いつ出したんだその椅子は。


「ファンラブの世界に行きたいんだろう?」

「行きたいです!」


 ファンラブと言われて、反射的に手を挙げて返事をしていた。神様が噴き出すようにふっと笑う。


「急に元気になりおって」

「私の元気の源ですから!」


 ファンラブと言われれば力も元気も湧くというものだ。とはいえ、ファンラブの世界に本当行けるとは思っていないのだけど。

 さっきは勢いでファンラブの世界に、なんて言ってしまったけど、そんなことが無理なのは理解している。だって私死んでるし。そもそもゲームの世界なんて行けるわけがないし……。


 そう思っていたら、神様がふむと頷いて、ぽんとひじ掛けを叩いた。


「よし、ではその世界に行くとするか」

「……え?」

「その世界で、空、お前が恋をできるように取り計らってやろう」


 神様は足を組んでスリットから覗く生足を惜しげもなくさらすと、にやりと笑みを深くしてそう宣言した。

 私はその神様の綺麗なおみ足とご尊顔を見ながらゆっくりと瞬きをする。ぱちぱち。そうやって言葉を咀嚼するように瞬きを一つ二つして、ようやく神様の言った言葉の意味が頭に浸透した。


「ええええ!?」

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