第3話
「これからは変に虚勢張らないでください。自分のありのままを曝け出した方が好感持たれやすいから——」
私は職員室を出る前にそう助言した。先生は小さく頷き、天使の笑顔で私へ手を振る。友達との別れ際かよというツッコミが喉元まで出かかる。
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あの一件以来、先生は百八十度変わった。
辞職を撤回し、本当の自分を表に出すようになった。ポーカーフェイスを貫いてきた人が、今となっては生徒の前で泣いたり笑ったりと忙しい。無機質でロボットのようだったら彼女はもういない。すっかり生徒愛と人間味に溢れた聖母へと生まれ変わったのだ。ギャップ萌えからか男女ともに生徒からの人気が鰻上り。常に彼女の周りには沢山の人がいる。
「俺、今まで先生に酷いことしてきちゃった。どうせ心の中で俺たちのことバカにしてんだろって勘違いして一方的に毛嫌いしてた。ホントにゴメン——」
ある日、リーダー格のヤツが顔を真っ赤にして先生に謝りにきた。お人好しの先生は「別に今は気にしてないからわざわざ謝りに来なくて良かったのに~」と軽くあしらっていた。ちなみにソイツはその流れで先生に告っていたが、「私にはもう好きな人がいるから」とフラれていた。ざまあみろ。下心が丸見えなんだよ、クソが。ファ○ク‼
「明美さん。今日の放課後、時間空いてる?」
「あ、はい。塾がないんで空いてますよ」
「良かった~。急で悪いんだけど改めて二者面談しない? この前は進路について何も話せなかったから」
先生の告白から一ヶ月後。再び進路面談を持ちかけられた。場所も時間もあの時と同じだ。私は勿論、二つ返事でオーケーした。
■■■
「明美さんの助言のおかげで教師を辞めずに済んだよ。本当にありがとう」
「それ何回言うんですか。私は感謝されるようなことは何もしてませんよ。変われたのは先生自身の功績です」
「またまた謙遜しちゃって」
二者面談が始まるなり先生は深々と頭を下げ、繰り返し感謝の言葉を告げられる。あの無愛想な先生の本性がここまで律儀な人だとは思わなかった。感謝の言葉を受け続ける私は毎回毎回、気恥ずかしくてそっぽを向くのが定番となっている。先生の感謝は嬉しさより最早、辱しめに近い。胸の辺りがむず痒くなる。
「ほら、サッサと面談始めてください」
「うん」
先生との距離間が日に日に縮まっている。歳の差はあるもののほとんど親戚や友達との関係性まで進展した。私としてはそろそろ、次のステップに進みたいところではあるが。
「こないだの模試の結果凄いね。全教科合わせてほとんど満点。全国順位はかなり上位よ」
「それは良かったです」
「あれ、意外と反応が薄いわね」
「努力した分に見合った結果だったので特に驚きません」
まだ志望校に合格したわけではない。これからも勉強を怠らず、着実に点数を上げていく必要がある。
「ちょっとは喜んだらいいのに。明美さんはつくづく勉強にはストイックよね」
「勉強は、ですか……」
どうやら先生はまだ私を勘違いしているようだ。私が何を原動力にして勉強に執着しているのかまるで分かってない。
「先生はつくづく鈍感だな」
「へっ、明美さん⁉」
私は椅子から立ち上がり、目を丸くする先生を見下ろす。
「今日はキスしてくれないんですか?」
「——はい?」
「キスしないの?」
「ええっと……」
暫し沈黙の時間が流れる。グランドの喧騒が遠く感じる。黄昏色の夕陽が窓から影を差す。
先生の瞳孔が左右上下に荒ぶり、動揺の色を示す。
「早くしてくれないとこの前、強引にキスされたこと他の人にバラしちゃいますよ」
「——っ⁉」
「もし、他の人にバレたら、もう教員人生が終わっちゃいますね~。てか、警察に捕まって人生ごと終わっちゃうかも」
「それは——」
「そうなったら困りますよね?」
圧力をかけるように先生の顔に迫る。胸に手を当てなくても分かるぐらい先生の動悸が聞こえる。近くによるとリンスの香りと僅かだが、汗の匂いが鼻孔を刺激する。緊張のあまり表情が強張ってしまった。上の立場で物を教える人間が私に主導権を握られているこの状況。実に背徳的で興奮する。
先生は目を閉じて不器用に唇を尖らせた。そして、ゆっくり私の唇へ近づき、触れる——。
「んっ‼」
ダメだ。またも唇ではなく顎にキスをお見舞いされた。大胆に告白できたくせに最後の一歩が中々踏み出せない。じれったいが、こういう所が先生らしい。
私は離れようとする先生の顔を両手でがっしり掴む。
「あ、明美さん‼ んむっ⁉」
何か言おうとする先生の唇を人差し指で黙らせる。黙らせた直後、先生の唇と私の唇が重なる。
「んんんん~⁉」
これが本当のキスだ。ついでに舌も入れてやった。
「ぷはっ……」
目的を達成した私は先生から一歩離れる。
ほんの数秒の時間だったが、感覚的にもっと長く感じた。唇が重なり合った瞬間、時間が止まったような不思議な感覚に陥る。
「先生。まんまとハマりましたね」
「な、なにが……?」
「私があの事をバラす訳がないじゃないですか~」
刺激的な接吻に脳をやられて放心状態の先生はキョトンと首を傾げる。
「何回も言ってるでしょ。先生が教師を辞めちゃったら、私の夢が叶わなくなるって」
「うぅぅ」
してやられた先生は声にならない声で唸り始める。顔を真っ赤にして地面につきそうなぐらい顔が下に傾く。実のところ、私も顔が真っ赤である。今すぐ布団の中に潜りたいぐらい恥ずかしい。動揺と羞恥を先生に悟られないように一度、咳払いして正面に向き直る。
「いつになるか分かりませんが絶対、立派な教師になってみせます。詩心センセー♡」
「ちょっ、明美さん⁉」
こんな不純な関係は教師として、生徒として失格だ。でも、先生への愛に噓は吐けない。
私は再び、先生の唇を襲ってしまった——。
本日をもって教師を辞めます。 石油王 @ryohei0801
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