第2話
「先生、本当のことを話してください——」
一時間目が始まるチャイムが鳴る。今日はサボり決定だ。このまま泣いてる先生を放って置くわけにはいかない。
一先ず、先生と私は向き合う形で椅子に座る。
「このまま教師を辞めるなんて納得いきません」
「好きな生徒にそんなこと言われるなんて嬉しいわ。教師になった甲斐があった」
「先生‼」
先生はまるで晩年を迎えたご老人のごとくやり切った感を出す。私は膝の上に置かれた先生の手を握り締める。
「もう疲れちゃったんだよ。私が思い描いていた理想とは違った。ずっと自分に噓吐いて無理してた——」
先生はポツリ、ポツリと今まで歩んできた人生を語り始める。
どうやら先生の無愛想な態度は天性のものではらしい。元は控え目な性格でのんびり屋さんだった。でも、問題児が集うこの高校では舐められると思い、武装するようになったとか。
「スーツをピシッと決め、基本的に感情を表に出さない。本当の自分を押し殺し、生徒思いでカッコ良くて頼れる教師を演じてきた——」
学生の頃はよく親戚の集まりで昼行灯だと馬鹿にされていたらしい。君のような性格は教師に向いていないと小学校からの夢を真っ向から否定されてきた。
「ただ人より勉強ができるだけ。クラスで虐められている子がいても、外野で何もできずに皆と愛想笑いを浮かべるような肝っ玉の小さい女の子。目先の正義よりも自分の保身を優先する悪い子。当然、教師になる素質なんてどこにもなかった——」
弱い自分に悩まされるながらも有名大学に進み無事、高校の教員免許を収得。流されままこの高校に赴任してきた。
「結局、私みたいな奴が教師になる資格なんてなかった。ここの生徒は私の心中を見透かして毛嫌いした。いくら武装しても背伸びしても生徒のことより自分のことしか考えていないのがバレバレだった——」
生半可な気持ちでなるべきではなかった職業。親戚の人たちが言う通り、自分は教師に向いていなかった。このまま教師を続ければ、生徒はどんどん悪い方向へ進んでいく。
一日中、寝る間も惜しんで色んなことを悩み、考え続けた結果。頭の中がメチャクチャになり、全てがどうでも良くなった。
「もう自暴自棄になって教師を辞めてやるって思ったわけ」
「でも先生は今、泣いていましたよね? まだ教師に未練があるのでは?」
「うぅ……。それは図星」
いくら自暴自棄になってもなんとなく心の中にモヤモヤがあった。そのモヤモヤの正体は恐らく“後悔”だろう。またどこかで教師を続けたいという願望が残っていた。
「その願望を消すために私は明美さんに告白し、手を出した」
生徒に手を出せば一生、教師に戻ることはできないという安直な考え。一晩経ってから自分の頭の悪さに気づいて笑ってしまったという。
「じゃあ、私に惚れたのはウソ?」
「ううん。ウソじゃない。貴方のことは本当に大好きなんだ——。でも、この好きは恋愛というより憧れの方が近いかも」
「えっ、憧れ……?」
私は間抜けな顔で口を開ける。先生が私に憧れる要素なんて何もないはずだが。
「明美さんは私とは正反対の世界に住む人間。私には無い物を全て持ち合わせている」
「いやいや、ないない‼」
握っていた手を離し、全力で否定する。
「臆病者の私と違って明美さんは物事をハッキリ言える。悪事を働く人が近くにいれば、ちゃんと面と向かって悪いと指摘することができる」
「それは単純に我慢できないからで——」
「突発的に口に出ちゃうのは凄いことよ。簡単そうに見えて意外と勇気がいることなの」
これは生まれ持った性分だ。とりわけ褒められるようなことではない。だけど、先生の授業中に暴れてる奴がいればそれを注意するのは普通なのでは?
「学生時代の私なら絶対に見て見ぬふりで終わっちゃう。今は先生という立場があるから生徒に対してとやかく言えるけど、そうじゃなかったらきっと怖くて何もできないままだったと思う。何か言ようとしても周りの子たちに嫌われたらどうしようって考えてしまう。ホント、なんでもズバズバ言えてしまう貴方が羨ましくて憧れちゃう。私よりよっぽど明美さんの方が教師に向いてるわ」
先生は私が慌てて引っ込めた手を引き寄せ、両手で包み込む。
「私の代わりに立派な教師になってね」
「——イヤです‼」
私は反射的に先生の手を払う。先生の手はやんわりと赤くなった。先生の目は明らかに動揺していて、せっかく泣き止んだのにまた眉尻に涙を溜める。
「もしかして、先生のことが嫌いになった?」
「違います」
くよくよしている先生を見ていると何故か無性にイライラしてきた。髪をかきむしり、気を落ち着かせる。
「私が中学時代。先生と一度会ったことがあるんです。覚えてますか?」
先生は口を閉じたまま首を横に振る。
「金髪の変な特攻服着てたヤンキー。目つきが悪くて体中に返り血を浴びた——」
「ああ‼ あの子が明美さん⁉」
当時の自分の特徴を順番に挙げていくと、先生が大きな声を出す。すぐに思い出してくれたようだ。
「確か四年前。私が教師になったばかりの頃。夜の公園で座り込んでた派手目の少女——」
「そうそう。多分ソイツです」
眉尻に溜まった涙は乾き、満面の笑みを浮かべる。なんだか、やたらと嬉しそうだ。
「あの時の子、どうなったのかなってずっと心配してたんだ。変わらず元気そうで何よりだよ」
「容姿はだいぶ変わりましたけどね」
中学時代の私は荒れに荒れていた。血気盛んな非行少女で煽ってくる輩を片っ端から鉄拳制裁していた。そのせいで怪我を負うことが多く、いつもお気にの特攻服に血をつけていた。
先生と出会った日は地元の公園で隣の地区のレディースと殴り合いの喧嘩をしていた。なんとか喧嘩には勝ったものの怪我が思ったより酷く地べたで動けずにいた。そんな時に手を差し伸べてくれたのが彼女だった。
「あの時はビックリしましたよ。怪我の手当てをしてくれるのかと思いきや、鞄から古典の教科書を取り出して授業を始め出すなんて」
「その節は本当に申し訳ございませんでした……」
先生は徐に古典の教科書を開くや否や、なんと高校範囲の助動詞を私に教え始めたのだ。どんなヤツが相手でも恐怖を覚えなかった私が、初めて早く逃げないといけないと思った瞬間だった。
「普通、明らかに見た目がヤバそうな見ず知らずの奴に勉強を教えますか。正気の沙汰じゃない」
「あはは……。確か、あの日の晩はヤケ酒してかなり酔っぱらってたからね」
冷たい地べたで訳の分からない勉強を教えられるのは暴漢に殴られるよりも苦痛だった——。でも、その苦痛は最初だけですぐに消えて無くなってしまった。
「あれは流石に不快だったよね。ああ、めっちゃ恥ずい」
「全然、不快じゃなかったです。なんなら、あれがキッカケで今の自分がいます」
先生は「えっ」と目を瞠る。私は優しく微笑み、「あの時はありがとうございました」と感謝の言葉を伝えた。
「私はずっと将来の夢がなかったんです。幼稚園の頃から何かになりたいという願望が無くて、皆と疎外感を感じていました。だから身も心も成長するにつれ、グレていったんです。親からは将来の目標がないヤツはろくでもないといつも𠮟られていました。ま、𠮟られた所で何も変わる気はなかったので、なんとなく不良への道を歩むことに決めたんです」
「そ、そうだったんだ……。意外」
先生は真剣に私の話に耳を傾けてくれる。その様子が私より歳上のはずなのに、ちょっと可愛く思えてしまった。話の途中で吹き出しそうになるがグッと堪える。
「で、私がキッカケとはなに?」
「先生が私に将来の夢を提示してくれたんですよ。『貴方は高校の教師になって私と一緒に働きなさい』って」
「ウソ。そんな生意気なこと言ったの⁉」
自分の両親や今まで会ってきた先生は、私を見て「将来のためにちゃんと勉強しなさい」とか「このままじゃ将来、ろくな大人になれないよ」とかありきたりな事しか言わなかった。将来の夢が一切ない私にとってただ耳障りなだけ。何もない将来のために無駄な労力を使いたくなかった。
でも、白鳥先生は他の大人とは違った。
「先生は私に夢を提示してくれたんです。何もなかった自分に目標を与えてくれたんんです」
「それって酔っ払いが勝手に夢を押しつけたと言った方が正しいのでは?」
「いえいえ、押し付けなんかじゃありません。先生のおかげでやっと何か熱中できるものが見つかったんです」
先生との出会いをきっかけに私は更生して一から勉強をスタートさせた。知識が小学校の低学年レベルしかなかったため、底辺の高校でも入るのに苦労した。高校に入学してからも授業についていくのはかなり大変だった。。
「入学当初は赤点ギリギリの点数を取り続けましたが、今となっては模試で志望校がA判定になるまで成長しました。これも全部、先生が提示してくれた夢のためです」
「ごめんなさい。まさか酔っ払いの戯言をそこまで重く受け止めていたとは思わなかった」
申し訳なさそうに俯いて机を見詰める。そんな覇気のない先生を私は真っ直ぐな瞳を向ける。今の状況を傍から見ればどっちが生徒でどっちが教師なのか見分けがつかないだろう。
庇護欲を刺激された私は慣れた手付きで優しく先生を抱き寄せる。
「申し訳ないと思うんだったら、教師を辞めるとか言わないで。今後一切」
「うん」
「先生が辞めたら、一人の生徒の夢が潰れてしまう。貴方は重い十字架を背負っているんです。それを自覚して仕事に励んでください」
「う、うん……」
今の私の言葉は捉え方によっては脅しになるのかもしれない。でも、これは生徒のワガママだと言えば可愛くなる。
何年後になるか分からないが私は純粋に先生と夢を叶えたいだけなのだ。教師になって彼女と一緒に働くという夢を——。
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