第百十五話 仲直り



「あ、西條寺さん! おはよう」

「……おはよ」


 廊下で朔夜に声を掛けられた翠は、照れくさそうに目を逸らしながらも、小さな声で挨拶を返す。

 昨日公園から帰った翠は、朔夜の前で年甲斐もなく号泣してしまったことを思い出し、夜は羞恥心に苛まれて中々寝付けなかったのだ。けれどそんなこと露知らずの朔夜は、翠の隣に駆け寄り、屈託のない笑顔で話しかける。


「葵とは仲直りできたの?」

「まぁ……普通に会話したりはしてる、けど」

「けど?」

「……昨日のこと、謝れてへんから。葵、まだ怒ってると思う」


 翠がそう言ったタイミングで、話の渦中の人物がやってきた。傍には時雨の姿もある。


「おはよう」

「葵、時雨くんも、おはよう」


 挨拶を交わしながら、朔夜は翠の顔をチラリと見た。翠は二人から目を逸らして、眉下で切り揃えられている前髪を、手持ち無沙汰に指先で整えている。

 ――やはり、気まずいのだろう。そう思った朔夜は、何とか二人の仲を取り持てないかと考えて、開口した。


「ねぇ葵、今日も森林公園に行くよね? 昨日は結局、何も分からなかったしさ」

「えぇ、そうね」


 周囲に生徒の目があるので、葵は猫を被った淑女モードでニコリと微笑む。


「もちろん、時雨くんも行くよね?」

「うん、本当に妖怪が出るのか気になるしね」

「西條寺さんも一緒に行くでしょ?」

「……ウチ?」

「うん」


 まさか話を振られると思っていなかった翠は、面喰った様子で口をはくはくと動かしている。


「う、ウチは……」


 おずおずと顔を上げた翠は、葵の方を窺うような目で見つめる。


「……葵。もう勝手なことはしないって約束するから……ウチも付いて行ってもいい?」


 そう、恐々とした声で尋ねた。そこにいつもの勝気な姿は見られず、大きな瞳は不安そうに揺れている。


「……勝手にすればいいだろ。昨日も言ったけど、自分の身は自分で守れるなら、付いてきても問題ねぇよ。……あと、もう怒ってねぇから」


 葵は小さな声でそう言って、翠の頭を軽く撫でると、先に教室に入っていった。残された翠は、葵の背を目で追いかけながら、きょとんとした顔をしている。


「西條寺さん、よかったね!」

「翠、よかったねぇ」

「……うん。ありがとう、魁くん。時雨はうっさい」


 ニコニコ嬉しそうな朔夜を見て、翠は照れ臭そうにしながらも、素直にお礼を告げた。朔夜が話を振ってくれなければ、気まずいまま一日を過ごしていただろうから。

 そして、朔夜と同じ言葉を紡いだ時雨には冷めた声を返してから、葵の後を追いかけて教室に入っていく。


「朔夜くんが、翠に何か言ってくれたんでしょ?」

「え?」

「あんなに素直な翠見たの、久しぶりだし。朔夜くんは、妖怪誑しの人誑しだからな~」


 時雨は、翠の素っ気ない態度も然して気にしていない様子で笑いながら、朔夜に尋ねた。疑問符が付いてはいるが、その声音は「朔夜が何とかしてくれたのだろう」と、そんな確信を持った響きを持っている。


「真白くんも、無自覚な主様を持って大変だね」

「……もう慣れた」


 朔夜の斜め後ろで事の成り行きを静観していた真白は、時雨に哀れみの目を向けられると、どこか達観したような顔になって、溜息をひとつ落とした。


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