第百十四話 ネオ和菓子



「ねぇ、西條寺さん。ネオ和菓子って、知ってる?」

「ねお……? 何やそれ」


 漸く涙が引っ込んだ翠は、朔夜に貰ったティッシュで鼻をかみながら、首を傾げる。


「僕も最近知ったんだけどね、定番の和菓子を色々アレンジしたり、創意工夫を加えたもののことを言うらしいんだ。進化系和菓子っていう意味なんだって」

「進化系和菓子って……何や、ポケモンみたいやな」


 怪訝そうな顔をしていた翠は、思わずといったように、クスリと笑みを漏らした。


「凄いよね。現状に満足するんじゃなくて、もっと良くしようっていう作り手の思いがあるからこそ、どんどん良いものが生まれるんだから。こんな風に和菓子だって進化してるんだって思ったら、僕も頑張らないとなぁって思えたんだ」


 和菓子に負けないように頑張るだなんて、何だか可笑しな話だが、翠はそんな朔夜の考えを、スッと受け入れていた。


「……そう、やね」


 翠の顔を見てニコリと笑った朔夜は、自身の手元にある和菓子を差し出す。


「西條寺さん、よかったら食べてみて」


 翠はタッパーに手を伸ばす。見た目だけみれば、ショコラテリーヌのようだ。

 そして、パクリと頬張った。


「っ、何やこれ! めっちゃうま……!」


 口の中に、濃厚でいて、まろやかな甘みが広がる。


「ほんと? よかったぁ。それはね、餡子とチョコ、あとはマスカルポーネチーズなんかを練り合わせて作ってみたんだ」

「めっちゃ濃厚で、口の中でとろける……珈琲か紅茶が飲みたくなってきたわ」


 翠はそう言いながら遠慮なく手を伸ばし、タッパーに入っていた五切れ分を、あっという間に平らげてしまった。


「……甘いもの食べたら、まぁ、ちょっと元気出てきた気するし……だからその……一応、礼は言っておくわ」


 翠は消え入りそうな声で、ボソボソとお礼を言った。


「うん! 今度は家にも遊びにきてよ。他にも美味しい和菓子を用意しておくからさ」

「そ、そこまで言うんやったら……行ってやらんこともないけど」


 腕を組んで、唇を小さく尖らせて、若干早口で言う。素直になれず、横柄な態度をとっているという自覚もある翠だったが、チラリと目を向ければ、そこには嬉しそうに笑う朔夜がいて。


「楽しみにしてるね」

「……アンタって、本当に変な奴やね」


 肩の力を抜いた翠は、そこで初めて、作り物ではない――心からの柔らかな笑顔を見せた。


「ウチ、そろそろ帰るわ」

「そうだね。もう暗くなってきたし、送っていくよ」

「はぁ? アンタみたいなどんくさい奴に送ってもらわなくても大丈夫や。むしろ、アンタの方が心配なんやけど?」

「でも、西條寺さんは女の子だから……心配だよ」

「お、女の子!? あ、アンタ……よくそんなこっぱずかいこと口にできるな」


 翠はきょとん顔の朔夜を振り返って目を見開くと、その顔を薄っすらと赤らめる。

 猫を被っている時ならまだしも、素の状態でいる自分をあからさまに女の子扱いする者など、周りにはいなかった。――翠は単純に、照れているのだ。


「……と、とりあえず! ウチは一人で大丈夫やから! またな!」


 翠は大きな声でそう言うと、走っていってしまった。


「西條寺さん、行っちゃった」

「ったく、お前はいつもいつも……この人たらしが」


 ポツンと残された朔夜が漏らした独り言に、声が返ってくる。


「……え、真白? いつからいたの?」

「ずっと」


 姿を現したのは、先ほど別れたはずの真白だった。

 何故、此処にいるのかといえば、朔夜に先に帰っていいと言われて、そう易々と大人しく帰るようなおとこではないので。こっそり後をつけていたのだ。


「俺らも帰るぞ」

「うん」

「……あの菓子、俺の分もまだ残ってるんだよな」

「勿論まだ残ってるよ。……真白ってさ、意外と食いしん坊なところがあるよね」

「……俺から一本もとれなかった奴が、何か言ってるな」

「……あと、意外に意地が悪い」


 意地悪げに目を細める真白に、朔夜は不貞腐れた顔を作りながらも、最後には可笑しそうにクスクスと笑い声を響かせる。真白とのこんな他愛もないやりとりが、朔夜はたまらなく好きなのだ。


「ねぇ、真白。帰って一緒にネオ和菓子を食べたらさ、また稽古、付き合ってくれる?」

「あぁ。……俺だって、まだまだ強くなるつもりだからな」

「だね」


 朔夜と真白。

 和菓子と同じように、二人もまだまだ、進化の途中だ。


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