第百十三話 弱音と本音
「さ、さささ、朔夜くん!?」
「な、何でこんなに小さく……と、とりあえず、医者を呼べばいいのか……いや、それよりも、爺やを呼んだ方が早いか……?」
友人が縮んでしまうという有り得ない事態に、蛍と瑞樹は軽いパニック状態だ。
そして真白はといえば、パニックを通り越して、不測の事態に脳の処理が追い付いていない。石のようにピシリと硬直している。
「……は?」
「おーい、真白くん。戻っておいで~。蛍くんたちも、大丈夫だから落ち着きなよ。あ、君は一旦帰った方がいいと思うよ?」
「で、ですが……」
「朔夜くんなら、大丈夫だからさ」
一人冷静な時雨が、顔色を悪くしている狸吉に声を掛けた。
狸吉は困惑と心配を綯い交ぜにしたような表情で固まっていたが、小さくなってしまった朔夜がコクコク頷きながら、両手を頭上に掲げて丸印を作っているのを見て、ここは引くことにしたらしい。
「朔夜様、私めのせいで、申し訳ありません……! またご挨拶に伺いますので……!」
「あ、妖怪! 逃がさへんからな!」
翠は、背を向けた狸吉に向かって術を放とうとしたが、それは止められた。
収拾のつかなくなった空間を切り裂いたのは――低く唸るような、静かな声だった。
「おい、翠」
腹の底から出したような、怒りをはらんだ声。
名を呼ばれた翠は、ビクリと肩を震わせる。
「そ、ソイツが悪いんや! ウチ、何も悪いことしてないもん!」
「……もういい。お前、ウチに帰れ」
「は、はぁ? 何でや! せっかく来たのに、何でウチだけ…「翠」
葵は無表情で、翠を射抜く。有無を言わせぬその声に、まなざしに、翠は下唇を噛みながら俯いた。
「っ、……もう知らん! 葵の阿呆! 馬鹿間抜け! 将来禿げろ、このスケコマシ!」
翠は手にしていたスクールバッグを葵に投げつけて、走っていってしまう。
「さ、西條寺さん、行っちゃったけど……い、いいの?」
「いいんだよ。ったく、アイツはいつもいつも……勝手に突っ走りやがって」
葵は、翠が放り投げていった鞄を拾い上げながら、重たい溜息を吐き出す。
「……あ、戻った」
白い煙が上がり、ボンッと小さな爆発音が響いたかと思えば、朔夜の身体は元のサイズに戻っていた。
「っ、朔夜! お前、身体に異常は?」
「別に、特におかしなところはない、かな。大丈夫だよ」
「ほんとか? ……とりあえず、早く帰って師匠に診てもらうぞ」
朔夜が元に戻ったことで漸く覚醒した真白は、その手首を掴んで脈に異常がないか確認したりと、落ち着かない様子で身体のあちこちを触っている。
「とりあえず今日は、このままお開きでいいだろ。……朔夜。巻き込んで、悪かったな」
真白の慌てっぷりに呆れたまなざしを向けながら、葵は皆に帰宅を促す。この状態で妖怪のことを調べるのは難しいだろうと判断したからだ。
蛍と瑞樹も、一先ず朔夜の無事を確認できたため、最後まで心配そうな視線を向けながらも、各々家に帰っていった。
「俺らも帰るぞ」
「うん、そうだね」
「ったく、あの陰陽師女……次会ったら、ぜってー締める」
ボソボソと物騒な計画を立てている真白に対し、何か考え込んでいる様子の朔夜は、その足をピタリと止めた。
「……真白、ごめん。僕、ちょっと用事ができちゃったから、先に帰ってて」
「は? 用事って、急に何言って……おい、朔夜!」
真白と並んで森林公園を出た朔夜だったが、一人で背を向けて、家とは反対方向の道に進んでいく。そして辺りを歩き回ること、二十分程。
「あ、見つけた」
夕暮れ時の小さな公園に、子どもたちの姿は見当たらない。皆家に帰ったのだろう。二つ並んでいるブランコの一つに座っていたのは、朔夜が捜していた人物だった。
「……何や。直々に文句でも言いにきたん?」
朔夜に気づいた翠は、ボソリと呟いて下を向く。髪の毛に隠れて、その表情は見えなくなってしまった。
朔夜は隣の空いているブランコに腰かけて、鞄の中を漁り始める。
「えーっと、あったあった。これ、今朝作ったばかりなんだ。あとで皆におすそ分けできたらって思ってたんだけど、西條寺さん、よかったら食べない? ……あ、ちゃんと保冷バッグに入れてきたから、そこは安心してね」
翠はおもむろに顔を上げた。朔夜の手にある小さなタッパーには、一口サイズに切られた菓子が綺麗に並んでいる。
「……何で朝から、和菓子なんて作ったん?」
「実は、僕の家は小料理屋を営んでるんだ。僕の趣味が和菓子作りっていうのもあって、お店の方を手伝うついでに、和菓子を提供したりもしてるんだよ」
「それじゃあ、これも、その店のやつなんやろ?」
「ううん、これは僕が試作として作ってみたやつ。元々は真白に頼まれて作ったんだけど、作り過ぎちゃって」
「……真白って、あの目つきの悪いやつやろ? 何でわざわざ?」
「実は僕と真白は、えっと……そう、従兄弟なんだ。家の事情で、一緒に住んでるんだよ。最近、真白と剣術の稽古をしてたんだけど、勝負に負けちゃったから、頼まれて作ったんだ」
「……何で、剣術の稽古なんかしてんの」
翠は、質問を繰り返す。朔夜はその一つ一つに嫌な顔をすることもなく、むしろ嬉しそうに、丁寧に答えていく。
「強くなりたいから、かな」
「強く……」
「うん。ほら、この前、西條寺さんも言ってたでしょ? 努力しないと強くなれないって」
翠は、掌を握りしめる。柔い肌に爪が食い込み、鈍い痛みが伝わってくるが、翠は力を緩めることができない。
「ウチやって……強くなりたくて、これまで修行も、頑張ってきたんや。やのに、何で上手くいかんのやろ……」
悔しくて、悲しくて、不甲斐なくて。
思うようにできない自分自身に、嫌気がさす。
負けん気が強く素直ではない翠は、自分以外の誰かに弱音を曝け出すことが苦手だ。
けれど、朔夜の柔らかな雰囲気にあてられて、胸の奥に隠していた本音が、ポロリと零れてしまう。
「今朝やって、ウチはただ、葵のことが心配で……もっと頼ってほしいって、そう言いたかっただけやのに……」
翠は再び、顔を伏せる。膝の上で握りしめられた手の甲に、ポタリと涙が零れ落ちる。
「……そっか。西條寺さんは、葵のことが大好きなんだね」
朔夜の優しい声に――ギリギリのところで張り詰めていた糸が、切れてしまったようだ。
「っ、ひっく……あ、葵の、馬鹿やろ~」
「うん」
「う、ウチは、足手纏いなんかやないもん。修行やって、いっぱい頑張ってきたんやから……!」
「うん、西條寺さんは凄いよ」
朔夜はハンカチを差し出す。そして相槌を打ちながら、泣きじゃくる翠が落ち着くまで、心の奥底に押し込められていたその思いに、耳を傾けていた。
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