第百十一話 足手纏い
時刻は朝の八時過ぎ。雲一つない青空が広がっている。時折通り過ぎていく秋風はさらりとしていて、気持ちがいい。
学校に着いた朔夜と真白が廊下を歩いていれば、葵と翠の姿を見つけた。
二人で登校してきたのだろうか、仲が良いんだなぁと、朔夜はのんきに思っていたのだが……近づいてみると、何だか様子がおかしい。
「ウチに言うことがあるんやないの?」
「……何の話? 私は特に、西條寺さんと話すことはないけど?」
周囲に他の生徒の姿もあるため、葵は猫を被っているのだろうが、それにしては、他人行儀な物言いだ。葵の返答に、翠の口許がへの字に歪む。
「っ、言っとくけどなぁ、アンタなんか、東雲家のはみ出し者なんやから、どうせっ、むぐっ」
翠の声が、中途半端に途切れる。
何故なら、二人の間に割って入った時雨が、翠の口許を手で覆ったからだ。
「やーっぱり葵に絡んでた」
「っ、何すんのや!」
「だって翠が、心にもないことを言おうとしてるから。止めてあげようかと思って」
「っ、うっさいわ!」
翠は図星を突かれたかのように言い淀んだが、時雨の手を払いのけると、この場に背を向けて一人で教室に戻っていく。
しかし前を見ずに歩いていた為、朔夜にぶつかってしまった。よろけて転びそうになったが、朔夜が身体を支えてくれたおかげで事なきを得た。
「西條寺さん、大丈夫?」
「……なんや、相変わらずぽけーっとした男やなぁ。そんなんやから、妖怪どもに狙われるはめになるんや」
「……はぁ?」
苛々していた翠は、その矛先を、関係のない朔夜にぶつけるかのように突っかかる。
横で聞いていた真白は、眉間に皺を寄せて翠に掴みかかろうとした。この男、朔夜のこととなれば、例え女であろうと容赦がないのだ。
それを時雨が「どうどう、落ち着いてよ真白くん」と、取り押さえる。
けれど、馬鹿にされた張本人である朔夜は気分を害した様子もなく、朗らかに笑っているだけだ。
「あはは、そうだね。もっと強くならなきゃって、思ってるんだけど」
「……思うだけじゃ、変われへんよ。努力せんと」
「うん、そうだね」
ニコニコ笑っている朔夜に毒気を抜かれた翠は、居心地が悪そうに目を逸らす。
「コイツは、こういう奴なんだよ」
近づいてきた葵は、朔夜に視線を向けたまま、ボソリと呟いた。
声が聞こえた翠は、目線を斜め上に向ける。葵の顔は無表情だったが、翠の目には、やはりいつもより柔らかな表情をしているように見えた。――自分には、呆れたような顔ばかり見せるくせに。
「……ムカつくわ」
翠は俯いて呟くと、今度こそ、一人で教室に入っていった。
***
放課後、妖怪研究同好会の部室にて。
いつものメンバーに加えて、今日は翠の姿もあった。妖怪研究同好会の活動に、興味を持ったらしい。
「じ、実はね、昨日の夜、掲示板に気になる情報が寄せられていたんだ」
「気になる情報?」
「う、うん。ここ数日前から、月詠町の外れにある森林公園で、頭上に角が生えた大男を見たっていう目撃情報が、寄せられているんだ」
興奮気味に話す蛍は、カタカタとキーボードを叩いて、開いたページを見せてくれる。
そこには、多少ブレているが、赤っぽい色をした街灯ほどの背丈の“何か”が、確かに写り込んでいる。
「この写真じゃ、はっきり分からないけど……これが人か妖なら、確かにかなりの大きさだよね」
時雨がチラリと葵の方を見れば、葵は神妙そうな顔をして頷いた。
「と、とりあえず、皆で見に行ってみるのは、どうかな?」
「うん、そうだね。現場に行ってみれば、何か分かるかもしれないし」
蛍の提案に、朔夜も賛成する。
皆異論はないようで、このまま森林公園に向かう流れになった。
しかし、そこに待ったをかけたのは、葵だった。
「……お前は付いてくるなよ」
「はぁ? 何でや!」
「何でもだ。そもそもお前は部外者だし……お前が来ても、足手纏いになるだけだ」
翠は一瞬、傷ついたような顔をした。けれどすぐに、眉根をグッと寄せて、不満そうな顔で葵に掴みかかった。
「はぁ? 誰が足手纏いや。冗談言うのも大概にしぃや」
「あ、葵ちゃん、何もそんな言い方しなくても……」
「そうだよ葵くん。彼女も君と同じ、陰陽師の家系なんだろう? むしろ共に付いて来てもらえれば、心強いじゃないか」
蛍と瑞樹からの援護に乗っかるように、翠は更に声を張り上げる。
「そうや! それにウチは、アンタのサポートをするためにわざわざ京都から来てやったんや! それを足手纏い? はっ、笑わせんといてくれる? ウチよりアンタの方が足手纏いなんやないの?」
「……はぁ、勝手にしろ。けど同行するつもりなら、もし何かあったとしても、自分の身は自分で守れよ。お前のことまで構ってやれねぇからな」
「っ、当たり前やろ! そんなん、言われなくても分かってるわ!」
葵に啖呵を切ってみせた翠は、椅子から勢いをつけて立ち上がる。
「はよ行かんと、陽が暮れてしまうやろ! アンタらも、さっさと立って!」
「あ、う、うん!」
皆を急かした翠は、一番に部室を出ていく。その後を蛍が追いかけ、瑞樹、時雨と続いていく。
「葵、大丈夫?」
朔夜は尋ねた。さっきの言葉は、葵の本心ではないと思ったからだ。ぶっきらぼうで多少きつく感じる物言いではあったが、翠を心配していることが伝わってきた。けれど肝心の翠には、それが全く伝わっていないようだった。
「……あぁ。大丈夫だ」
葵はそれだけ返すと、皆の後を追って部室を出ていく。
「朔夜、俺らも行くぞ」
「……うん」
朔夜は窓の外を見た。今朝方には広がっていたはずの青空には厚い雲がかかり、今にも泣き出しそうな空模様をしていた。
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