第百十話 鶏ささみのトマト煮
「お前さぁ、気をつけろよ」
「気をつけろって、何を?」
帰宅した朔夜と真白は、庭でシロ太に食事をやっていた。
器に盛られた鶏ささみのトマト煮は、何と、茨木童子がシロ太のために作ったものだ。犬の食べられる食材をわざわざ調べて、作ってくれたらしい。
まぁシロ太は犬である以前に妖怪なので、そこまで気にする必要はないのかもしれないが、当のシロ太は嬉しそうに器に顔を埋めている。
茨木童子は酒吞童子に連れられて出かけていってしまったが、こんなに美味しそうに食べているシロ太の姿を見たら、とても喜ぶだろう。後で教えてあげようと、朔夜は思った。
「あの陰陽師女のことに決まってんだろ」
「西條寺さんのこと?」
「あぁ。お前が妖怪だってバレたら、また面倒なことになるじゃねーか」
朔夜の隣に屈んだ真白は、シロ太の頭を撫でながら言う。どうやら、心配してくれているらしい。
「そりゃあ、バレないに越したことはないだろうけど……でも、西條寺さんは葵の親戚なんだよ? 悪い子ではないだろうし、そこまで警戒する必要はないんじゃないかな」
「お前はそうやって……いい加減、もうちょっと人を疑ってかかるってことを覚えろよ。ぽやぽやしてっと、痛い目みるぞ」
真白は朔夜の左頬を引っ張る。
「いはい、はひふんらよ、まひろ」
朔夜も負けじと真白の頬に手を伸ばそうとしたが、何なく躱されてしまい、反対の頬も引っ張られてしまう。
「ふはっ、間抜け面だな」
「はらひへよ~」
「さっき、妖怪だとバレたら、と聞こえた気がしたのですが……」
じゃれ合っていた二人の耳元で、低い囁き声が響く。
「あれ、茨木童子?」
「げっ」
同時に振り返った二人は、片や目を丸め、片や口許を引き攣らせた。
「茨木童子、父さんと出掛けたんじゃなかったの?」
「予定していた会合が、先方の都合で中止になったんです。頭はそのまま飲みに出かけました」
「父さんってば、また飲みに行ったんだ……全くもう」
「まぁ、頭の酒好きは今に始まったことではありませんからね。……それで、さっきの話は、一体どういうことですか?」
茨木童子は朔夜に穏やかな笑みを向けながらも、チラリと真白を見遣る。
「(どういうことか説明しろ)」と、そのまなざしから伝わってきて、真白は内心で嘆息した。面倒な人に聞かれてしまった、と。
「――朔夜様のクラスに、また転校生が……それは、用心するに越したことはありませんね」
話を聞いた茨木童子は、器を綺麗に空にしてブンブン尻尾を振っているシロ太の頭を優しい手つきで撫でながら、何か考え込むように難しい顔をしている。
「朔夜様も知っているとは思いますが、魁組の妖怪の中には、陰陽師に滅せられたり、酷い目に遭った者も少なからずいます」
「……うん、そうだね」
葵が遊びに来た時、怖がって身を隠していた者がいたことは、朔夜だって知っている。
茨木童子は、遠回しに忠告しているのだ。心配しているのだ。心優しく人を疑うことを知らない朔夜が、傷つくことがないように、と。
「ですが、朔夜様の交友関係にまで口を挟むつもりはありません。私はただ、朔夜様が楽しく学校生活を送れているならば、それで幸せです。ですから、何か困ったことがあれば、いつでも仰ってくださいね」
「……うん。心配してくれてありがとう、茨木童子」
部屋に戻っていった茨木童子の背中を目で追いかけながら、朔夜はポツリと、独り言にも近い言葉を漏らす。
「僕が、仕えている父さんの子どもだからって……茨木童子って、どうしてあんなに優しいんだろう」
「そんなの、お前のことが大切だからに決まってんだろ」
間を置かずに返ってきた言葉に、朔夜は瞳を瞬いてから、嬉しそうに笑う。
「……うん。僕も茨木童子が大事だよ。もちろん、真白のこともね」
「……そーかよ。それ、師匠本人に直接言ってやれば」
朔夜の前では平静を装いそうだが、陰で泣いて喜ぶのではないだろうか。茨木童子がどれだけ朔夜を大切に思っているのか知っている真白は、師匠のそんな姿を想像しながら、緩む口許を手の甲で隠す。
「ワン!」
口周りをトマトソースで汚したシロ太が、その言葉に同意するかのように、明るい声で鳴いた。
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