第百六話 遠き日々を懐う
「朔夜様、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。まだやれるよ」
早朝、竹林に囲まれた静謐な空気の中。
朔夜は茨木童子と向き合っていた。
飯井綱山に行くことを決めた朔夜は、それまでの一か月の間、茨木童子に修行をつけてもらうことにしたのだ。
「では、次は実戦形式でいきましょうか。真白、朔夜様のお相手を」
離れた所で静観していた真白は、茨木童子に呼ばれて前へと歩み出てくる。
「真白、手加減は無用だからね」
「当たり前だろ」
二人は各々、竹刀を構える。早朝の冷え込んだ風で、落ち葉がカサリと音を立てて舞い上がる。――音が、止んだ。
次の瞬間、二人は同時に前へと踏み出した。激しい音を立てて、竹刀がぶつかり合う。
「朔夜、右ががら空きだぞ」
「分かってる、よ!」
真白は朔夜の隙を狙って、そこに的確に打ち込んでいく。真白に比べてまだまだ剣術が未熟である朔夜は、防戦一方になりながらも、何とか真白に食らいついている。
「(朔夜様も、あの頃に比べてずっと成長しましたね)」
朔夜と真白、二人が打ち合う様子を見ながら、茨木童子は思い出していた。
数年前、今よりもずっと背丈の小さかった幼い朔夜と、今の朔夜と同じくらいの背格好をした青年が、楽しそうに竹刀を交えている姿を。竹刀を思うように振ることもままならず、不貞腐れている朔夜と、そんな朔夜の頭を撫でている青年の、優しい表情を。
「(望斗也様……今、どこにおられるのですか)」
茨木童子は、胸中でその名を呼ぶ。自身が仕えるべき存在であると同時に、幼い頃から、我が子のように思って接していた。朔夜と同じくらい、自分にとって大切な存在だった。
しかし望斗也は、ある日突然、姿を消してしまったのだ。
「あぁっ、また真白に負けた……!」
「俺に勝てないようじゃ、飯井縄山での試練なんて乗り越えられねーぞ」
「うっ……分かってるよ!」
「つーか、妖怪化すればいいだろ。その方が元の能力だって上がんだから」
「それはそうなんだけど……でも、人間の姿でも関係なく戦えるようになりたいんだよ。それに今の真白だって人間の姿だけど、凄く強いしさ」
「ふーん。ま、俺はどっちでもいいけど、なっ」
「あ、真白! 今のはズルい! 反則だよ!」
「余所見してる方が悪いんだよ。これで俺の三勝目だな」
真白に竹刀で頭部を軽く小突かれた朔夜は、不満げに唇を尖らせているが、対する真白は、愉しそうに口角を持ち上げている。
「勝ったら何でも好きな甘味を作るって約束、忘れんなよ」
「それは全然構わない、けど……やっぱり負けたままなのは悔しいから、もう一回勝負しよ!」
地面に座りこんでいた朔夜は立ち上がって、再び竹刀を構える。
その姿が、いつの日かの望斗也に重なって見えて――茨木童子は、眩しいものを見るように、そっと目を細めた。
「(いつかまた、お会いできた時には……立派に成長された朔夜様のお姿を、ご覧になっていただきたいものだな)」
茨木童子は、嬉しそうに笑う望斗也の表情を瞼の裏に思い描きながら、そんな日がやってくることを、心から願った。
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