第百二話 錦玉羹と花言葉



「東雲さん、いらっしゃい! 待ってたよ」


 待ち構えていた朔夜たちは、皆が祭りの法被のようなものを羽織っている。後ろを振り向けば、いつの間にか時雨も同じものを着用しているし、その手にも同じ法被を一着持っている。


「……これを着ろってこと?」


 無言で法被を差し出してくる時雨に、湛えた微笑を崩しそうになりながらも、背後から突き刺さってくる期待に満ちたまなざしを感じ、葵は渋々法被を羽織った。


「し、東雲さん、法被似合ってるよ……!」

「……ありがとう」


 ただ法被を羽織っただけだというのに、蛍は興奮気味に賛辞の言葉を送る。

 葵は顔を薄っすら赤く染めている蛍を見て内心で不思議に思いながらも、改めて辺りに視線を巡らせてから、にこにこ朗らかに笑っている朔夜に顔を向けた。


「……で、これはどういうことかしら? どうしてお祭りなの?」

「もう夏も終わっちゃうし、最後に何か、夏らしい思い出を皆で作れたらいいなって思ってたんだ。だから、皆でプチお祭りごっこをしようってことになったんだよ。どう? 吃驚した?」


 純粋無垢な眩しい笑みを向けられて、葵は「(うっ……)」とたじろぎそうになりながらも、肯定するべく頷き返す。


「……まぁ、そうね。驚いたわ。でもね、先に言っておくけど、私はもう同好会を辞めた身なのよ? だから、こういう場に参加するのはこれきりに…「やだ」


 葵が言い切る前に、きっぱりと否定の言葉を吐き出した朔夜に、一拍置いて、葵は口許を引き攣らせた。


「嫌とかじゃなくて、私はもう…「東雲さんが辞めちゃうの、僕は嫌だよ。それに、辞めるには会長の蛍くんの許しがないと駄目なんだよ。ね、蛍くん」

「え!? え、えっと、うん。そうだね……?」


 朔夜に話を振られた蛍は、戸惑った様子を見せながらも首を縦に振る。


「それじゃあ月見くん。私が辞めるの、許可してくれる?」

「そ、それは……あの……ぼ、僕も、嫌です!」

「……え?」


 葵のお願いを、蛍はきっぱりと拒否した。

 まさか断られると思っていなかった葵が呆ける間もなく、瑞樹も良く通る声で、蛍の意見に賛同するように話し始める。


「僕も嫌だよ! 東雲さんが辞めてしまうだなんて」

「だから、私は…「そうだよ東雲さん! 辞めないでよ!」

「いや、だから…「うん、辞めないでほしい……!」

「「辞めないで、東雲さん!」」

「……」


 突如始まってしまった三人からの“辞めないでコール”に、口を挟む暇すら与えてもらえない葵は、困惑を通り越して虚無顔になっている。目など死んだ魚のようで、すっかり覇気がなくなっている。


「ふっ、葵、凄い顔……!」


 そんなやりとりを見て、時雨はもう堪えきれないといった様子で、一人で腹を抱えて笑っている。朔夜の斜め後ろに控えている真白は、我関せずだ。


「でも、東雲さんがどうしても同好会を辞めたいって言うなら……まずは、これを食べてみてくれないかな?」


 朔夜は、側に設置されていた木製の丸机に置いてある、硝子製の平皿を手に取った。皿の上に被せられていたクロッシュをパカリと持ち上げれば、そこに鎮座していたのは、美しい朝顔の色をした和菓子だった。


「僕たち皆で作ったんだ。これは錦玉羹きんぎょくかんって言ってね、寒天や砂糖、水あめを煮溶かして固めた和菓子だよ」

「へぇ……綺麗ね」

「うん! 見た目も涼やかだから、夏の代表的な和菓子の一つでもあるんだ」


 円柱の型を使って作られたその菓子は、下の方が白色で、上半分はクリアな青や紫色をしている。添えられた黄緑色の蔦や型の模様から見ると、この菓子は朝顔を模して作られたようだ。


「優しい甘さで、ひんやりしていて……とても美味しいわ」


 一口食べた葵は、思ったままの感想をそのままに口にする。


「それなら良かった」

「でも、どうしてこれを私に?」


 これを食べることと同好会を辞めることに、何の関係があるというのか。


「花にはそれぞれ、色々な花言葉があるでしょ? 東雲さんは、朝顔の花言葉が何だか知ってる?」

「朝顔の? ……いいえ、知らないわ」


 目を細めた朔夜は、柔く微笑んで答えを言う。


「朝顔の花言葉はね、色によっても違ったりするんだけど……愛情や冷静、儚い恋、あふれる喜び、それに――“固い絆”っていう意味もあるんだよ」


 葵は手元の朝顔をジッと見つめてから、周囲を彩っている可憐な花々に目を移す。


「朝顔って、長いツルを伸ばして巻き付いて、どこまでも伸びていくでしょう? だから“固い絆”っていう花言葉がついたらしいよ」

「……へぇ、そうなのね」


 葵は、朔夜の言わんとすることが分かってしまった。けれど素知らぬふりをして、わざと平坦な声で返す。

 しかし朔夜は、気にせずに言葉を続ける。


「僕たちは、確かにこれまで、危険な目にだって遭ってきたよ。でも、それが全て東雲さんのせいってわけじゃない。それに、これまで一緒に乗り越えてきたでしょ? だったら、これからもそうすればいい。僕たちは、妖怪研究同好会である前に――友達なんだから。東雲さんが僕たちのことを思ってくれているように……僕たちだって東雲さんのことが、大切なんだよ」

「……」


 葵は言葉も返さずに俯いてしまった。長く艶やかな黒髪に隠れて、今どんな表情をしているのか、その相貌を窺うことはできない。


「朔夜くんの言う通りさ。共に過ごした日々は短いけれど、僕は東雲さんのことを大切な友人だと思っているよ。それに、皆を裏切るような真似をしてしまった僕のことを許してくれた……君が優しい人だということを、僕はもう十分に知っているからね。そんな優しい君が辞めてしまうのは、僕も嫌だな」

「そ、そうだよ! 東雲さんは優しいから、気にするなっていうのも難しいのかもしれない、けど……し、東雲さんが気に病む必要なんてないよ! それに、東雲さんが、妖怪が寄ってくる体質だっていうなら、これからも妖怪に狙われる危険があるってこと、なんだよね? だったら、僕は、その……っ、東雲さんのことを守りたいって、思ってるんだ! だから……!」


 穏やかな表情で話す瑞樹に続けて、蛍はいっぱいいっぱいな様子で、つっかえながらも、けれど自身の思いが伝わるようにと、懸命に言葉を紡いでいく。


「っ、ふはっ」


 俯いていた葵が、突然、小さく肩を震わせた。


「ほんとに……馬鹿ばっかりだな」


 顔を上げた葵の顔に浮かぶのは――笑顔だ。

 笑い過ぎたのか、目尻には薄っすらと生理的な涙が滲んでいる。


「つーか、そんなに優しくなんてねーっつうの。買い被りすぎだ」


 葵は照れ臭そうにぼやいてから、呆けた顔をしている蛍と瑞樹、そして、全てを察した顔で微笑んでいる朔夜を、順に見遣る。


「……とりあえず、同好会には、まだいてやる」


 蝉の声にかき消されてしまいそうなほど、小さな声。けれど確かに葵の口から発せられたその言葉に、顔を見合わせた朔夜たちは、わっと歓喜の声を上げる。


「よかったぁ! 東雲さん、これからもよろしくね!」

「さ、作戦大成功、だね!」

「C’est bien! それにしても、東雲さん、急に口調が変わったけど……素はそういう感じなのかい?」


 疑問の声を上げる瑞樹に、葵は「……あぁ」と、自分が男である事実を瑞樹と蛍には伝えていないことに気づいた。そして、このメンバーにならバレてしまっても構わないだろうと考え、事実を口にしようとする。


「実は俺は、おと…「あ~! 折角用意した焼きそばが冷めちゃうよ! ほら、皆早く食べよ!」


 葵の言葉を遮ったのは、時雨だった。朔夜たちが屋台の方に向かったのを確認してから、葵の側まで近づいて、耳元で声を潜めて話す。


「葵、男だってことは、蛍くんたちには言わない方がいいんじゃないかな?」

「は? 何でだよ」

「何でって、それは……」


 時雨は、朔夜と談笑している蛍の方をチラリと見る。


 ――純粋な淡い恋心を打ち砕くのが可哀そうという思いも勿論ある。あとは単純に……。


「(その方が、面白そうだからね)」


 ニコリと笑った時雨は、「その方が何かと都合が良さそうだからさ」と適当な言い訳を並べて、訝しがる葵を納得させたのだった。


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