第百一話 朝顔色のおもひで



「こちらにどうぞ。朔夜様たちがお待ちです」

「……どうも」


 魁組の正門で待っていた茨木童子に案内された葵は、とある部屋の障子戸に手をかけた。一声掛けてから戸を引けば、室内で待ち構えていたのは時雨一人だった。座布団の上で寛ぎながら、のんきにお茶を啜っている。


「あ、やっと来た。葵ってば遅いよ」

「……よぉ、囚われ人」

「あはは、葵なら助けに来てくれるって信じてたよ」

「ったく、手間かけさせるんじゃねーよ」


 面倒くさそうに頭を掻く葵を見て、時雨は愉しそうに笑いながら立ち上がり、葵が入ってきた障子戸を再び開ける。


「おい、何処行くんだよ」

「ん? もちろん、宴の会場だよ。僕は葵をエスコートする係になったからさ。此処で葵が来るのを待ってたんだよね」

「……どうせまた、アイツが可笑しなことでも考えてるんだろ?」

「さぁ? それは行ってみてのお楽しみだよ」


 クスクスと楽しそうな笑みを漏らした時雨は、廊下を歩いていく。葵もその後を追いかけながら、柱の影や縁側の下からこちらをチラチラと覗いている小妖怪たちに目を向けた。

 けれど視線が交わりそうになれば、葵を恐れているらしい小妖怪たちは、サッと姿を隠してしまう。


「葵、あからさまに怖がられてるね」

「チッ、誰も取って食いはしねーよ」

「あはは。数か月前の葵に今の言葉を聞かせたら、卒倒しちゃうかもしれないね」

「……」


 葵は胸中で、時雨の言葉に深く頷いた。

 ――たった数か月の間で、自分もずいぶんと丸くなったものだな、と。


 廊下を進んで突き当りを左に曲がった二人は、縁側の軒下に置いてあった下駄を拝借して庭に下りたった。


 庭の奥に植えられている深緑の木々の方からは、ミンミンと蝉しぐれが響いてくる。肌に纏わりつく空気からは、もわりとした熱を感じる。

 夏もあと少しで終わりだというのに、聴覚や触覚を刺激するものは、まだまだ夏を滲ませるもので満ちていた。


「あっちぃな……」


 葵が呟けば、前を歩いていた時雨が振り返る。


「ねぇ、そういえばさ……覚えてる? 確か葵が、自由研究っていうので朝顔の花を育ててさ、でも水をあげ忘れたら、暑さにやられて萎んじゃって。葵がひどく落ち込んでたら……望斗也もとやくんが葵を元気づけるために、ゼリーを作ってくれた時のこと」

「……あぁ、覚えてる」


 ――葵と時雨を、引き合わせてくれた人。血の繋がりはないけれど、葵は本当の家族のように思っていた。実の兄のように思い、心から慕っていた男だ。


「朝顔色のゼリーにしたんだ、綺麗だろっつって、笑ってた。これを食べれば、朝顔も元気になるとか言って」

「そうそう。葵ってば、それまでしょぼくれた顔してたくせに、望斗也くんがお菓子を持ってきた途端に満面の笑みになってさ。あの頃は可愛かったなぁ」

「……何だよ、今は可愛くねぇってか?」

「いやいや~、そんなことはないよ?」


 葵がジト目を向ければ、時雨はとぼけた顔でひらひらと片手を振ってみせる。

 そして、一拍の間をおいて、二人は同時に肩を揺らした。小さな笑い声が、夕暮れの中に溶けていく。


 ――望斗也との思い出を、葵は何一つ忘れることなく覚えているつもりだ。葵にとっての唯一の理解者で、安らぎを与えてくれる存在で……このままずっと側にいてほしいと、そう思っていた人なのだから。


「はい、到着!」

「……此処にアイツらがいんのかよ」


 時雨が足を止めた場所は、広い庭を進んだ先だった。目の前には、ご丁寧に木製の仕切りのようなものが真横に複数個並べて設置されていて、向こう側が一切見えないようになっている。


「葵、連れてきたよ」


 時雨が向こう側に声を掛ければ「入っていいよ!」と、朔夜の明るい声が返ってくる。


「入っていいってさ」


 時雨に促された葵は、面倒くさそうに小さく息を吐き出してから、右方向に二歩三歩と歩いていく。そして、仕切りと仕切りの間の開かれた、人ひとり分通れそうな隙間から身体を滑り込ませた。

 一歩、そちら側へと足を踏みだせば、吹き抜ける生温い風に、制服のスカートの裾がひらりと揺れた。


「……すげぇ」


 葵は女の格好をしていることも忘れて、素の口調で感嘆の声を漏らしてしまった。


 葵の目にいの一番に飛び込んできたのは、綺麗に花開いた美しい朝顔だった。

 周りを取り囲むようにして至る所に置いてある鉢植えは、青に紫、赤色に白色にと鮮やかな色で溢れている。


 また、葵の目を引いたのはそれだけではなかった。


 どこか祭りの会場を彷彿とさせるような簡易的なワゴンが四台設置されていて、そこには焼きそばやラムネ、チョコバナナといった食べ物が並んでいる。小さなビニールプールには、色とりどりのヨーヨーがぷかぷかと浮かんでいる。


 鼻腔を擽る、空腹を刺激する美味しそうな匂いに、葵の腹の虫が小さく鳴った。


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