第八十六話 奇襲



 八月中旬。夏休みも残すところ半分を切った。

 開け放った窓の外から聞こえるミンミンと賑やかな蝉の声をBGMに夏休みの課題をしていた朔夜は、スマホが一件のメッセージを受信していることに気づいた。


「あ、瑞樹くんからだ」


 そこには“話したいことがあるから今日会えないか”といった内容の文面が綴られていた。直ぐに了承の返事を送った朔夜は、一区切りついた課題を片付けて出掛ける準備をする。


「僕、ちょっと出かけてくるね」

「朔夜様、どちらに行かれるんですか?」

「友達に会いに行ってくるよ。夕方までには帰るから。真白にも伝えておいてくれるかな?」


 魁組四天王ののムードメーカーでもある虎熊童子と廊下で鉢合わせた朔夜は、此処にはいない真白への伝言を頼んだ。しかし虎熊童子は何だか困っているような、渋い表情を見せる。


「えぇ、朔夜様、真白が帰ってくるのを待った方がいいんじゃないですか? あと三十分もすれば戻ってきますよ? あ、それとも俺が護衛として付いていきましょうか?」


 現在真白は、茨木童子に剣術の指南を受けるため、家を不在にしているのだ。今日は近くの竹林に行くと言っていた。


 朔夜を一人で外出させたと告げてもしものことがあった時、烈火のごとく怒り狂った真白の非難を一身に受けるのは自分になるだろうと、想像した虎熊童子は小さく身震いした。

 朔夜のことになるとクールな雰囲気が鳴りを潜め、真の鬼へと豹変する真白の姿を、虎熊童子はその目で見たことがあるからだ。


「大丈夫だよ。友達と会ってくるだけなんだから。それじゃあ行ってくるね」

「んー、……分かりました。気をつけて行ってきてくださいね!」


 渋々納得したらしい虎熊童子に見送られて家を出た朔夜は、待ち合わせ場所の学校に向かった。


 燦燦と陽光が照り付ける中、グラウンドでは野球部が白球を追いかけており、校舎周りでは陸上部が走り込みをしている。

 体育館の方からは、バレー部やバスケ部の掛け声に、ボールの弾む音が聞こえてくる。


 身体を動かすことが嫌いではない朔夜は、運動部に入るのも楽しそうだったかなぁ、等と考えながら、瑞樹が待っている第三体育倉庫がある方向に足を進める。


「瑞樹くん、は……まだ来てないみたいだな」


 倉庫前に到着した朔夜は、瑞樹の姿が見当たらないことを確認して、近くの石段に腰を下ろす。


 ――それにしても瑞樹は、何故こんな人気のないところに朔夜を呼び出したのだろうか。メールには相談したいことがあるとも書かれていたから、他の人には聞かれたくない内容なのだろうことは想像できるが……。


「やぁ、朔夜くん」

「あ、瑞樹くん。何だか久しぶりだね」

「そうだね。学校では毎日顔を合わせていたから……一、二週間会わなかっただけでも、ずいぶん久しぶりに感じるものだね」


 制服姿で現れた瑞樹は、気さくに挨拶をして朔夜の隣に腰を下ろした。


「瑞樹くん、良かったらこれ」

「え? ……スポーツドリンク?」

「うん、来る途中に自販機で買っておいたんだ」


 汗をかいた青いラベルのペットボトルは、まだひんやりと冷たい。

 瑞樹はキャップを開けて数口飲み干してから、ふぅ、と小さく息を吐いた。


「……やっぱり朔夜くんは、凄いね」

「え?」


 飲み物を渡しただけだというのに、前触れもなく“凄い”と褒められた朔夜は、きょとんとした顔で瞳を瞬いた。


「人を惹きつける、不思議な魅力を持ってる。そんな君だから、僕は……」

「……瑞樹くん?」


 朔夜に名を呼ばれてハッとした様子で顔を持ち上げた瑞樹は、眉を下げて微笑む。


「……いや、すまないね。何でもないよ」


 そう言って立ち上がった瑞樹は、「君に見てもらいたいものがあるんだ。付いてきてくれるかい?」と何処かに向かって歩きだす。


 瑞樹の様子がおかしいことに気づいた朔夜は心配しながらも、遠ざかっていくその背中をひとまず追いかけることにした。

 瑞樹は第三体育倉庫の更に裏手にある奥まった方へと進んでいく。


「瑞樹くん、こんな所に何がある、っ……!」


 目の前を歩く瑞樹のことを考えていた朔夜は、背後から忍び寄っていた人陰に気づくのに遅れてしまった。布のようなもので鼻と口許を覆われれば、グラリと目の前の景色が崩れていく。


「……みずき、く……」

「っ、……ごめん、朔夜くん……」


 霞む視界の中、瑞樹の悲痛に歪んだ顔が映る。

 それを最後に、朔夜の意識は暗転した。


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