第八十三話 盃を交わす



 森の中を歩いていた朔夜は、背後から飛んできたモノを片手で受け止める。手中のモノを見てみれば、それは盃だった。赤い漆塗りの盃は、底の中央に金で不死鳥の絵が描かれている。


「よぅ。オマエ、朔夜なんだろ?」

「あぁ、よく分かったな」

「そりゃ分かんだろ。にしてもオマエ……随分変わるもんだなぁ。見た目だけじゃ別人じゃねーか」

「……そうか?」


 不知火は愉しそうに笑いながら、朔夜の背中をバシバシと叩く。


「なぁ朔夜。オレはオマエのこと、これでも結構気にいってんだよ」

「……そりゃあ、どうも」

「だからよ、盃を交わさねーか?」

「盃を?」

「あぁ。オレは形式上でも誰かの下につくつもりはねーし、従うつもりもねぇ。だが……今後オマエが困った時には、力を貸してやってもいい」


 二ッと笑った不知火は、朔夜を森の更に奥地にある大木の下まで誘導する。そこには小妖怪たちが待ち構えていた。不知火と朔夜に気づいて、嬉しそうに手を振っている。


 深緑の葉が、風に揺れてさわさわと心地の良い音を立てている。大きな木の下に設置されていた縁台の上には、大きな酒瓶が用意されていた。

 縁台とは、団子屋の店先などに置かれていることの多い木製の腰掛けのことだ。朔夜の家で経営している小料理屋でも店先に設置しており、上には緋毛氈ひもうせんと呼ばれる赤い布がかけられている。


「これは最近のオレの気に入りの酒なんだよ。オマエ、盃は持ってるか?」


 縁台の上にドカリと腰を下ろした不知火が、隣に座るよう目で促す。


「否、生憎だが持ってきてな……」


 不知火の隣に腰を下ろした朔夜の目の前に、黒い盃が現れた。

 ――真白だった。いつの間に用意していたのか、魁家の家紋が入った盃を朔夜に手渡す。


「こんなもん、いつの間に用意してたんだ?」

「師匠に渡されてたんだよ。これはお前専用の盃だそうだ」


 真白の言う“師匠”とは、茨木童子のことだ。真白がこの組に入った時から茨木童子に剣術を教わっていた為、そう呼んでいるらしい。


「よっしゃ、これで盃を交わせるな!」


 不知火の嬉しそうな声に、朔夜も緩く口端を持ち上げた。


 妖怪間で対等の契りを結ぶ際には、互いの盃を交換して酒を飲み合うのが公然のしきたりとして決まっているのだ。


「ほらよ、オレの盃だ」


 朔夜から盃を受け取った不知火は、大きな酒瓶を片手に、まずは朔夜に酒を注いだ。次いで朔夜が、不知火の持つ盃に酒を注いでいく。


「んじゃまぁ、これでオレたちは正真正銘のダチってわけだ。宜しく頼むぜ、相棒」

「あぁ。困った時には力を貸してくれ」

「おぅ、任せとけ!」


 朔夜が不知火と酒を飲み交わす姿に、はじめは複雑な顔をしていた真白だったが――朔夜が決めたことならと口を出すことはせずに、静かにその様を見守っている。


 小妖怪たちは、あの主君が誰かと契りを交わすなんて……‼ と感動に打ち震えていた。


「……やっぱり酒を飲むと、力が漲ってくるみてーな感覚があるな。何だよこれ……」

「それは頭から引き継いだ体質でしょうね」


 一口二口と酒を飲み干しながら、朔夜は身体の奥底から不思議な力が満ちていくのを感じていた。ポロリと零した疑問に答えたのは、この場にはいるはずのない人物で。


「何で此処に茨木童子がいんだよ。それに……オヤジまで」

「よぉ、朔夜」


 ピンと伸びた美しい姿勢で佇む茨木童子と、その隣には――愉しそうに笑っている酒吞童子が立っていた。


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