第八十一話 鋼の如き喰らうモノ



「っ、何だよあれ……」

「うわぁ、惨いことするね」


 狸吉に先導されて先に現場に到着した葵と時雨は、その惨状を目にして顔を顰めた。


「ゲヘッ、ゲヘヘ……もっと、もっと喰いたい……」


 狼のような見目をした妖怪が、真っ赤に充血させた目を細めて笑っている。その身体は葵たちの三倍はありそうなほどの巨体だ。口許からはダラダラと涎を滴らせており、顔周りに赤黒い血液のようなものが付着しているのが分かる。


 露神様と親しい間柄であったという神様が棲んでいた祠は、妖怪によってめちゃくちゃに壊されていた。――この状況から考えれば、目の前の妖怪が神を喰らったのであろうことが嫌でも察せてしまう。


「……何だ、オマエらも、オレに喰われにきたのかぁ?」

「ひ、ひぃっ……!」


 葵たちの存在に気づいた妖怪が、血走った眼を葵たちに向けた。

 視線が合ってしまった狸吉は、恐怖でブルブルと震えている。


「……はっ、喰えるもんなら喰ってみろよ。その前にオレがお前を喰ってやる」


 葵は胸元から出した式札を構えて、不敵に笑って見せる。


「葵、コイツはヤバいよ。油断しないでね」

「……あぁ、分かってる」


 妖怪化した時雨も、腰元から刀をスラリと抜いて構えた。

 妖怪から視線は外さぬまま会話した二人は、同時に駆けだす。


 葵は左から、時雨は右から、妖怪を挟み撃ちするような形をとって、同時に攻撃を仕掛ける。しかし妖怪の肌は見た目に反して鋼のように固く、時雨が与えた一撃が跳ね返されてしまった。葵が出した水龍の刃も、妖怪の肌に傷一つ付けることはできない。


「クッソ、硬ぇな……」

「これじゃ刀の方が先に刃こぼれしちゃいそうだよ」


 時雨はむっと下唇を突き出して不満そうに言う。


「うぉっ、」


 妖怪の長い爪が葵と時雨に迫った。大きな図体をしているわりには、その動きも中々に速い。間一髪で避けられたかと思ったが、葵の胸元のリボンとワイシャツに爪が掠り、破れてしまった。


「チッ、掠っちまった」


 二人は後ろに飛び退き距離を取りながらも、どうやってこの妖怪を滅しようかと思考を巡らせる。


「へぇ、こりゃまた……随分と躾のなってなさそうな犬っころだな」


 そこに現れたのは、妖怪化した朔夜だ。

 血走った眼をする妖怪を見上げて面白そうに目を眇めながら、葵たちの足元で震えていた狸吉をひょいと抱き上げる。


「なっ、またお前か……!」


 葵が妖怪化した朔夜と対面するのは、叢雲山で共闘して以来になる。


「よぅ、久しぶりだな」


 緩く口角を持ち上げて軽い口調で言葉を返した朔夜は、狸吉を離れた木陰にそっと下ろしてから、腰元からすらりと刀を引き抜く。


「コイツは、俺が方を付けといてやるよ」

「っ、はぁ? ……ソイツはオレたちが先に目を付けたんだよ。妖怪は引っ込んでろ!」


 葵は噛みつくように言うが、朔夜はニヤリと意地の悪い笑みを返す。


「……っつってもオマエ、すでに服もボロボロじゃねーか」

「う、うるせーよ!」


 はだけた胸元を乱暴に握りしめた葵は、再び噛みつくように声を荒げる。しかしそんな葵の言葉を聞く前に、朔夜は駆け出していた。

 素早い身のこなしで妖怪の懐に入り込み斬りかかるが、時雨と同様、その硬い皮膚に跳ね返されてしまい、傷一つ付けることさえ敵わない。


「ゲヘヘッ、そんなの痛くも痒くもねーんだよ。オラッ‼」


 妖怪が長い爪を持った手を豪快に振るう。

 朔夜は寸でのところで避けたが、風圧で飛んできた石ころで左頬を切ってしまう。


「はっ、お前もここ、やられてんじゃねーか」

「……あぁ、そうだな」


 後退してきた朔夜の頬を見て、葵は先ほどのお返しとばかりに嫌味をぶつける。

 しかし朔夜は特に気にした様子もなく平坦な声で返すだけで、その意識は真っ直ぐ妖怪に向けられたままだ。


 そんな朔夜の態度に葵は口許を引き攣らせたが、今はコイツに構っている場合ではない苛立ちをグッと堪えて、ニタニタと気味の悪い笑みを浮かべている妖怪に意識を移す。


「おいおい、何だよこのバケモンは」


 そこに、漸く追いついた不知火が姿を現した。気味の悪い妖怪の姿を目にしてウゲッと声を漏らし、嫌そうに顔を顰めている。


 一緒にやってきた真白は、朔夜の頬に付いた傷に気づくとグッと眉を寄せた。しかし葵たちのいる手前、気安く声を掛けるわけにもいかない。


「……これを飲め」


 静かに朔夜の側まで歩み寄った真白は、そっと酒瓶を手渡した。


「……酒か?」

「あぁ」


 戦いの最中に酒を勧めてくるなど、普通なら考えられない行為だ。しかし、相手は真白だ。何か考えあるのだろうと直ぐに察した朔夜は、言われるままに酒瓶を呷る。

 すると――身体の奥底から力が漲ってくるような感覚に、朔夜は小さく目を瞠った。


「これは……」

「それはお前自身が持つ力。……らしいぜ」


 葵たちには聞こえないように小声で囁いた真白は、叢雲山から帰ってきた翌日、茨木童子に言われたままの言葉を朔夜に伝えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る