第六十四話 尾裂狐組の良からぬ噂



「それでは、乾杯」

「「乾杯―‼」」


 九尾狐の合図で、各々盃を掲げていた妖怪たちは、その中身を一気に呷った。

 どんちゃん騒ぎ、とまではいかないが、その場は一気に賑やかになる。


 酒呑童子や茨木童子も、他の組の者たちと酒を飲み交わしながら談笑しているようだ。


 まだ酒が飲めない朔夜の目が向く先は、目の前にある豪華な御膳だった。鯛や鮪の造りに、旬の野菜を使った天ぷら、茶碗蒸しやバラ寿司に、目で見ても楽しめる色とりどりの小鉢。


 手を合わせた朔夜は、まずは海老の天ぷらを箸で摘まみ上げた。

 ちょんちょんと塩を付けてからパクリと頬張れば、サクサクの衣の下から、ぷりっとした弾力のある海老の上品な甘みが、口いっぱいに広がる。


「お、おいひぃ……」

「……お前、頬緩みまくってるぞ」

「ほんとに美味しすぎて……頬っぺた落ちちゃいそうだよ……」


 顔を蕩けさせている朔夜を見て、大げさな奴だなと、真白は呆れ顔だ。

 けれど自身も茶碗蒸しを掬って一口食べてみれば、表情には出さずとも、その美味しさに驚き、内心で感動していた。


「なぁ、聞いたか。尾裂狐おさき組の奴ら、またよからぬことを考えているらしいぞ」

「あの組、また人間どもを――……」

「……全く、何を考えていることやら」


 朔夜と真白が美味しい料理に舌鼓を打っていれば、何処からかひそひそと噂をしている声が聞こえてきた。どうやら、下座の方にいる、他の組の妖怪たちが話しこんでいるようだ。


「今、尾裂狐組って聞こえたけど、さっき壇上で話していた妖が頭首なんだよね?」


 海の幸がふんだんに乗せられたバラ寿司をごくりと飲みこんだ朔夜は、同じくバラ寿司を頬張っている真白に尋ねる。


「あぁ、そうだな」

「烏羽組のことは知ってるけど、尾裂狐組の話ってあまり聞いたことないなぁって、今思ってたんだ。だって尾裂狐組も、かなり大きな組の一つなんだよね?」

「……それは、」


 応えようとした真白だったが、こちらに近づいてくる人影に気づくと、その口を閉じて眼光を鋭くさせる。


其方そちたち、我らの話をしているのかのぅ」


 朔夜は顔を上げる。

 目の前には、話の渦中の妖怪でもある、九尾狐が立っていた


「ほぅ、其方が酒呑童子の息子か。妖怪へと変化したと耳にはしていたが……お父上とは、あまり似ていないようだねぇ」


 九尾狐は、朔夜を見下ろしながら口許を扇子で隠し、意地の悪い顔で目を細めている。

 妖怪の血を引いているとはとても思えないと、九尾狐は遠回しな皮肉を言ったつもりだったのだが――しかし朔夜はそれに全く気づくことなく、ニコリとまっさらな笑顔を返した。


「あ、はい。僕はどちらかと言えば、母親似なので」

「……ほぅ、それはそれは。母君に相見えないのが、残念でならないのぅ」


 朔夜の返しに、九尾狐は面喰った様子で一瞬真顔になったが、直ぐに微笑を湛えて言葉を返した。


「初めての宴だろう。存分に楽しんでいくと良い」

「はい。ありがとうございます!」


 九尾狐はそれだけ告げると、お供の狐たちを引き連れて、自席へと戻っていった。


「……お前って本当に、肝が据わってるっつーか……」


 去っていった九尾狐の背中を見据えながら、真白は緊張を解く。


 真白は茨木童子から、尾裂狐組の“良くない噂”もしょっちゅう聞かされていたため、何かしら仕掛けてくるのではないかと警戒していたのだ。

 さすがに人目の多さもあるため、真白の心配は杞憂に終わったのだが……。


「この小鉢に入ってる料理、すっごく美味しい! これ、何て食べ物なんだろう……」


 呑気に食事を再開している朔夜に気づいた真白は、その丸い頭を、軽い力でペシリと叩いた。


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