第五十九話 届く思い



「……あれ、コソコソ何作ってたんだよ」


 茂みに隠れてお光たちの会話を盗み聞きしている最中、葵が朔夜に尋ねた。

 葵が言っているのは、今から数刻前、朔夜が着付けを終えたお光を店の厨房に連れ出して作っていた物のことだ。


「あれは練り切りだよ。ほら、東雲さんも初めて店に来てくれた時に食べたでしょ?」

「……あぁ、あの菓子のことか」

「うん。和菓子ってね、実は含まれる水分量の違いによって、生菓子、半生菓子、干菓子の三つの種類に分けられるんだよ。一番水分量の多いのが、生菓子だね」

「へぇ、それじゃあ氷室さんが言ってた“上生菓子”っていうのは、生菓子と同じってことなの?」


 今度は時雨が尋ねる。


「うん、そうだよ。特に上等な生菓子のことを“上生菓子”って呼ぶんだ。上生菓子は作り手の技術を生かして、季節の風物を映しとってつくる練り切りなんかが代表的だね。基本的に二、三日は美味しく食べられるって言われてるんだけど……団子とか大福とか、作ったその日に食べる生菓子のことは“朝生菓子”っていうんだ」

「へぇ……何だか和菓子の世界も、色々と奥が深そうだね」

「うん、そうなんだよ! 氷室さんは見ただけで上生菓子だって口にしてたし……もしかしたら、普段から和菓子を食べる人なのかもしれないね」


 朔夜たちが氷室に視線を向ければ、丁度これから、練り切りを食べようとしているところだった。



「今食べてみても宜しいですか?」

「っ、ぁ、は、はい……」


 氷室は百合の形をした練り切りを、添えられていた黒文字――和菓子を切り分けて口に運ぶ際に使う楊枝のようなもの――で一口大に切って、パクリと口に入れる。

 ゆっくりと味わうように咀嚼すると、その眦を下げて微笑んだ。


「とても優しい味がしますね。美味しいです」

「……あ、の……そ、それは、お、教えてもらって、私も一緒に、つ、作ったもので……」

「君がこれを? ……そうですか。料理には作り手の思いが表れると聞いたことがありますが……君の優しい真心が込められているんでしょうね」

「はっ、…わ、……あっ、……う……」


 間近で氷室の優しい微笑みを直視してしまったお光は、声にならない声を漏らしながら、顔を真っ赤にして硬直している。


「ありがとうございます。残りは家に帰って大切に食べますね」


 氷室はまだ家の仕事が残っているようで、お光に向かって綺麗に頭を下げてから、この場に背を向けようとする。


「……っ、あ、の!」


 お光は、勇気を振り絞って再び声を上げる。

 朔夜に手伝ってもらいながら、思いを込めて作った和菓子は渡すことができた。けれどまだ、自身の思いを――感謝の気持ちを、伝えられていないからだ。


「わ、私……あ、貴方は、覚えてないかも、しれませんけど……以前、あなたに綺麗だって、そう言ってもらえて……っ、嬉しかったんです。こんな私でも、認めてもらえて……嬉しかったんです……!」


 伝えたい思いを言いきったお光は、ギュッと目を閉じて、氷室からの返答を待つ。


 ――気持ち悪いと思われていないだろうか。そもそも氷室は、自分のことを覚えているのだろうか。


 不安でバクバクとうるさい心臓を着物の上からぎゅっと押さえつけていれば、氷室が一歩二歩とこちらに歩み寄ってくる気配を感じた。


「あの日も今晩のように、月の綺麗な夜でしたね」


 お光が恐る恐る顔を上げれば、氷室は夜空を見上げていた。お光も視線を持ち上げれば、綺麗なまんまるの月が、遥か上空で優しく光っている。


「覚えていますよ。あの日も貴女は、綺麗な白い着物を着ていて……恥ずかしそうに声を掛けてくれましたよね」

「っ、……」

「今日の着物姿も、とても素敵ですよ。よければまた、お話しましょうね」

「っ、はい……」


 ――あの日のことを、覚えていてくれた。


 お光は嬉しくて笑いながらも、感情が一杯いっぱいになったようで、その瞳からぽろぽろと大粒の涙を流す。


 泣き笑いするお光にハンカチを差し出した氷室は、二言三言話してから、最後に朔夜たちが隠れている茂みの方をチラリと一瞥して――静かに微笑んだ。


 朔夜たちがそこに隠れていたことを、初めから全て知っていたかのように。


 そして、今度こそお光に背を向けて、この場から立ち去っていった。


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