第五十八話 百合の花言葉は「純粋」「無垢」



 お光はブロック塀の前に一人立ち竦んだまま、右を見て左を見て、不必要に指先をこねくり回している。

 その姿は傍から見たら挙動不審にも思えるが――半年間ただずっと見つめていただけの意中の相手に、これから自ら話しかけようとしているのだから、相当緊張しているはずだ。少しでも緊張を紛らわせようと必死なのだろう。


「お光ちゃん、大丈夫かな」


 昨日と同じように、朔夜たちは近くの茂みに隠れて様子を見守っていた。朔夜は心配そうにお光を見つめている。


 お光の話によると、あと五分ほどしたら、氷室が見回りのためにこの道を通るらしいのだ。


 つい先ほど瑞樹の家の正面を通ったが、その家は想像以上に大きかった。海外映画に出てきそうな大豪邸だった。

 その家の周りは高い塀で囲まれていたので、妖怪のお光ならまだしも、一応は人というていをとっている朔夜たちがぞろぞろと侵入するのは難しいだろうと考え、こうして家の近くの見回りコースで待ち伏せているというわけなのだ。


「大丈夫だろ」


 ソワソワと落ち着きのない朔夜に、真白が声を掛ける。

 面倒くさがりながらもこうして付いてきてくれた真白は、尋ねれば朔夜の護衛だから仕方なく付いてきただけだ、等と理由を並べるだろう。しかし実際のところは、こう見えて真白も、お光の恋の行方をしっかり気にかけているのだ。


「うん、僕も大丈夫だとは思うけど……何だか僕まで緊張してきちゃって……」

「何でお前が緊張してんだよ」


 葵が呆れ顔で言う。


「それに、あそこまで着飾った女を無下に扱ってくるような奴なら、その程度の男だったってことだろ」


 葵は何てことない口ぶりでそう言うが、朔夜は瞳を瞬いたのち、羨望にも尊敬にも近いまなざしで葵を見る。


「東雲さん……何だか格好いいね」

「っ、はぁ!? 別に格好いいことなんて何も……つーかオマエ、そうやっていちいちこっぱずかしいこと言うの、止めろよ」

「こっぱずかしいことって? 僕は思ったままを言っただけなんだけど……?」

「……あー、もういい」


 これ以上言ったところで、天然誑しな朔夜には伝わらないだろうと諦めた葵は、ガシガシと頭を掻いた。


「ねぇ、来たみたいだよ」


 時雨の声に、談笑していた朔夜と葵は口を閉ざす。

 お光が立っている方に視線を向ければ、その更に数メートル先から、誰かが歩いてくるのが見える。――とうとう、氷室がやってきたようだ。


「おや、こんばんは」

「こ、ここ、ん、ば……ゎ……」


 道路の隅にポツンと突っ立っているお光に気づいたらしい氷室が、声を掛けている。


「こんな所で、お一人でどうされたんですか? 誰かと待ち合わせでもされているんでしょうか?」

「い、いいい、いえ、そっ、そういうわけ、では……」

「そうですか。……女性が夜遅い時間に一人でいるのは、あまり感心しませんね。良ければご自宅の近くまでお送りしましょうか?」

「おっ、おおおおお、おおく……!? い、いえ! だ、だいじょぶ、です……!」


 ――お光は、完全にテンパっていた。


 心配そうな面持ちでお光を見つめている氷室に対し、首をグインと大げさなほどに後ろにひねって、完全に顔を背けている。傍から見たら、言動全てが完璧な不審者だ。通報されてもおかしくないレベルである。


「そう、ですか? ……では、十分に気をつけて帰ってくださいね」


 しかしそんなお光の失礼な態度を気にした様子もない氷室は、柔らかな声で気遣うような言葉を掛けると、お光に背を向け、歩いていってしまう。


「(あぁ、氷室さんが行っちゃう……! お光ちゃん、頑張れ……!)」


 茂みで隠れて見守っている朔夜は、胸の前で掌をグッと握りしめて、心の中でお光にありったけのエールを送る。

 その願いが通じたのか――お光はどもりながらも、氷室を引き止めるために声を上げた。


「あ、あああ、あの! ま、待ってください……!」

「どうかされましたか?」


 足を止めた氷室のもとにゆっくりと歩み寄ったお光は、緊張で小さく震えている手を動かす。


「こ、これ……」


 お光は、右腕に掛けていた紙袋から包みを取り出して、氷室に手渡した。


「これは……私が頂いても宜しいのですか?」

「……」


 お光は無言でコクコクと頷いた。

 不思議そうな顔でそれを受け取った氷室は、お光に確認してから、この場で包みを開ける。


「ほぅ、これは……上生菓子ですか。君の着物に描かれている花と同じ、百合の花の形ですね」

「っ、あ、えっと……」


 お光は緊張しすぎて言葉も出てこない様子で、またコクコクと、必死に頷いて返した。


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