第五十六話 臆病者の恋心
翌日の放課後。
お光と約束をしていた朔夜は、待ち合わせ場所に向かって歩いていた。その隣には、真白と時雨、葵の姿もある。
「でも、東雲さんたちも一緒に付いてきてくれて心強いよ」
「別に……あの妖怪が何かやらかさないか、見張るために付いてきただけだ」
「ボクは葵の付き添いと、単純に面白そうだなって思っただけだから」
フイッとそっぽを向いてしまった葵を、時雨は可笑しそうに見ながら笑っている。
「つーか、コイツらが来たって何の役にも立たねーだろ」
真白は時雨をジト目で見ながら、次いで朔夜に非難めいた目を向けた。朔夜がわざわざ声を掛ける必要はなかったのではないか、と。
「そんなことないよ。だって僕、そういう色恋沙汰とかのことは全然分からないから……でも時雨くんは格好いいからモテそうだし、東雲さんも美人で、クラスでも人気者だしさ」
サラリと褒められた時雨は「あはは、ありがとう」と爽やかに返しているが、葵はますますそっぽを向いてしまった。いつものように照れているだけだ。
「でもね、朔夜くん。よく考えてみてよ。葵は見た目は綺麗でモテても、中身はこれだよ? いくら男にモテたって、そこから恋だ愛だに発展する可能性は皆無だと思わない?」
「あ、そっか。確かに……」
「それにボクも、恋とかしたことないからなぁ。真白くんの言う通り、役には立てないかも」
時雨の言葉を聞いた真白は、ふふんと勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ほらな。やっぱり役立たずじゃねーか」
「……そういう真白くんは、恋したことあるの?」
「は? 恋? ……気っっ色ワリィこと言ってんじゃねーよ。死ね」
「……え、何? 聞いてみただけなのに、何でボクここまで罵倒されてるわけ?」
真白にギンッと鋭い目で睨まれた時雨は、納得がいかないといった表情で唇を尖らせた。
「あ、皆。お光ちゃんだよ」
喋りながら歩いていれば、あっという間に待ち合わせ場所に到着していた。
先に着いていたらしいお光が、こちらに控えめに手を振っている。
「遅くなってごめんね」
「いえ。あの方もまだいらっしゃっていないので、大丈夫ですよ」
お光は長い黒髪を手櫛で梳かしたり、着物の襟もとを整えたりと、昨日に比べてどことなくソワソワしているように見える。
「……あ、来ました! あの車に乗っている方です!」
朔夜たちは見つからないようにと、現在近くの茂みに身を潜めている。
数メートル先の路肩に停まったのは、黒塗りの高級車だった。あの車に、お光の意中の相手が乗っているらしい。
「というか、お光ちゃんの好きな人って……妖怪じゃなくて、人間だったの!?」
「は、はい。言ってませんでしたか?」
朔夜に尋ねられたお光はきょとんとした顔をしていたが、車から降りてきた人物が視界に入ると、頬を上気させて一心に熱いまなざしを向ける。
お光の目線の先にいるのは――朔夜たちがよく知る人物だった。
「え、瑞樹くん?」
ウェーブがかった金色の髪に、青い瞳。あれは間違いなく瑞樹だ。よく見ればあの高級車も、五月雨祭りに行く際、朔夜たちが乗せてもらった車によく似ている。
――まさか、お光の意中の相手が瑞樹だったなんて。
朔夜たちは一様に驚きを顕わにしたが――それが勘違いだと気づくのは、直ぐだった。
「はぁ、左之助様……今日も素敵です……」
「「さ、左之助様……?」」
今お光は、“左之助”と口にした。
意中の相手が瑞樹ではないとするならば、残るはただ一人。
「お光ちゃんの好きな人って、もしかして、氷室さんのこと?」
「は、はい。氷室左之助様、という方です」
――氷室左之助。
朔夜の同級生である瑞樹の身の回りの世話をしているという、執事のような人だ。
どうやら氷室は、これから塾に向かう瑞樹を送り届けにきたらしい。
車から下りて瑞樹の後ろ姿を見送った氷室は、また運転席に乗り込み、直ぐに車を発進させてしまった。その姿はあっという間に見えなくなる。
「はぁ、今日もとっても素敵でした……」
「お光ちゃん、もしかして……毎日ここから氷室さんのことを見てるの?」
「はい。此処だけではありませんけど……あの方の一日の行動は、大体把握していますから」
お光は当然のことのように言うが、一度しか話したことのない相手の一日の行動スケジュールを把握しているのは、どう考えても普通のことではない。
「「それ、ストーカーってやつだろ(じゃねーか)」」
葵と真白が、ほぼ同時に言葉を発した。
「す、すとーかー?」
言葉の意味が分からなかったらしいお光は首を傾げているが、あまりいい意味を持つ語句ではないということは、何となく察してしまったらしい。その表情が僅かに強張っている。
「でも、朔夜くんの後をこそこそ付けてたことのある真白くんにだけは、言われたくない言葉だと思うけどねー」
さっき“死ね”と罵倒されたことを地味に根に持っていたらしい時雨が、嫌味たっぷりの声音でボソリと呟く。
「はぁ? それはお前もだろ。コイツの後をこそこそ付けてたのは、お前も一緒だろーが。チッ、気持ち悪ぃんだよ」
「は? 何、気持ち悪いって。そもそもボクは、護衛で仕方なく付いてただけだから」
「……おい時雨。仕方なくって何だよ。別にオレはお前に付いてこいだなんて…「ちょ、ちょっと皆、落ち着いて!」
売り言葉に買い言葉、しかも飛び火までし出して収拾のつかなくなりそうな無意味な応酬に、朔夜がストップをかける。
その間に、お光は一人でこの場から走り去ってしまった。
「え!? っ、お光ちゃん、待って……!」
走っていくお光の後を、朔夜は慌てて追いかける。
手首を掴んで引き止めれば、お光は抵抗することなくその足を止めた。けれど顔は俯いたままで、今どのような表情をしているのか窺うことはできない。
「お光ちゃん、真白たちがごめんね。皆悪気はないんだけど…「いえ。皆さんの言う通りです。影からこそこそ見てるだけなんて……やっぱり気持ち悪いですよね、私」
朔夜は、お光が泣いているかもしれないと思った。
けれど顔を上げたお光の顔に、涙の痕は見られない。
その代わりに、力のない笑みを浮かべて――そこに諦めの色を滲ませていた。
「ですが私は、こんな陰気な見た目ですし……そもそも人であるあの方に、私みたいな醜いものが近づきたいだなんて……到底無理な話だったんです」
お光は、自分自身を傷つけるような言葉を、わざと声に出して紡いでいく。
「っ、醜いだなんて、そんなこと…「昨日! ……あの方が私の容姿を褒めてくれたと言いましたが、あの時は夜で、月の光がぼんやりと照らしている程度だったんです。それに距離が離れていたので……あの方も、私の顔まではよく見えていなかったのでしょう。だから、間近に私の姿を見られてしまって、もし罵倒されたり、怯えられてしまったらと思うと……想像するだけで、怖くて堪らないんです」
否定の声を上げようとした朔夜の言葉を遮ったお光は、震える掌を強く握りしめて、無理やり作った笑顔を浮かべた。
朔夜はお光の顔を真っ直ぐに見据えながら、自身の率直な考えを伝える。
「僕もね、氷室さんとは、一度だけ会って話したことがあるんだ。氷室さんのことを詳しく知っているわけじゃないけど……でも僕は、氷室さんが他人の容姿を罵倒したりするような人だとは思わないよ」
朔夜の発言に、お光はハッとした顔をしてから、血色の悪い唇を噛みしめる。
「……はい。私も、そう思います。でも……そもそも、もう半年も前のことですから、私のことなんて、覚えていないかもしれませんし……」
朔夜は暫し考え込むように黙り込んでいたが、何かを閃いたような顔をして、きつく握りしめられているお光の手に、自身の手をそっと重ね合わせた。
「ねぇ、お光ちゃん。今から僕の家にきてくれないかな?」
「……朔夜さんの家に?」
「うん。僕に考えがあるんだ」
朔夜の優しい笑顔に一瞬見入ってしまったお光は、半ば無意識に、コクリと頷いた。
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