第四十七話 魅せられる
「な、何だお前は!」
「まさか、援軍か?」
「そんな話は聞いてねえぞ……!」
美しき鬼の登場に動揺しているのは、葵だけではなかった。
ひそひそとささめき合っている妖怪たちの姿を見て、葵は怪訝な顔をする。
――コイツは、あの妖怪どもの仲間ではないのか、と。
目の前で静かに立ち竦んでいる後ろ姿からは、確かに妖怪の気配を感じる。
漂ってくる妖気は、そこらにいる小物妖怪とは比べようもないほどに色濃く艶やかで、気圧されそうになる。実際葵は、ほんの一瞬、その妖気にあてられてしまったのだ。
葵は、騒めく妖怪たちの足元で倒れ込んだままの時雨に視線を移した。
土と血で濡れたその姿は痛々しく、葵は無意識に掌を強く握りしめる。
「何ボーッとしてんだ。……アイツ、助けなくていいのか?」
鬼の妖がクルリと振り返り、葵に声を掛ける。
まさか話しかけられるとは思っていなかった葵は、警戒を強めながら言葉を返す。
「……あっちには、人質がいんだよ」
「……何だ、そんなことか」
鬼の妖はそれだけ言うと、再び目の前の妖怪たちに視線を移した。
「殺られる前に殺って、どっちも助ければいい。簡単なことじゃねーか」
事もなげに言うその声音は、何だか楽しげに聞こえる。
「……どっちも失ってからじゃ、おせーだろ」
葵の目の前に立つ鬼の妖が、ポツリと呟く。
闇夜に融けてしまいそうなほどに澄んだ声だった。
しかしその声は、驚くほどにくっきりとした形を成して、葵の胸に響いた。
――善と悪、人と妖。どちらかを選ばなければいけないのだと、そう思っていた。悪は切り捨てるべきだと、そう教えられてきた。
幼い頃から植え付けられてきた葵の根底にある概念は、そう簡単には消せやしない。覆せはしない。
けれど、目の前の妖怪が口にした、混じり気のない真っ直ぐな言葉は、葵の胸に突っかかることなく、ストンと落ちてきたのだ。
――そうだ。両方を天秤にかけて、どちらかだけを選び取るなんてこと、する必要はない。そんなの……オレらしくもない。
家の者たちには知られたら、妖怪を助けるなど出来損ないだと、恥さらしだと罵られるかもしれない。
けれど葵にとっては、同じ人間である蛍や瑞樹たちはもちろんのこと――妖怪である時雨も、どちらも同じくらい、守りたいと思う存在なのだ。
「……おい。お前、その足退けろ」
葵は、時雨を足蹴にしている、刀を持っている妖怪のもとへと歩み寄る。
「何だ、お前。コイツを選んで、人間どもを見捨てることにするのか?」
「んなことするわけねーだろ」
「では、こやつを我らに…「そいつはオレのだ。誰がくれてやるかよ。今すぐその足退けねーなら……お前を滅するだけだ」
葵は胸元から素早い動作で式札を取り出した。
鬼気迫る表情に、ニヤニヤと笑っていた妖怪の表情が強張り始める。
「そ、それ以上近づいてみろ。あの人間どもがどうなっても……!」
そう言って妖怪が目を向けた先。そこには、蜘蛛妖怪の糸で作られた網の中に囲われ、捕らえられたままの蛍と瑞樹の姿があるはずだった。
しかし白い糸はバラバラに引き裂かれ、そこに居たはずの二人の姿は、どこにも見当たらない。代わりに、蛍たちを捕えていた蜘蛛妖怪が、ピクリとも身動ぎすることなく地面に伏している。
「残念だったな。コイツらは、返してもらったぜ」
黒髪をたなびかせた鬼の妖が、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて立っていた。
いつの間にかそこまで移動していたのか。この場にいる誰もが気づけなかった。その肩には、ぐっすりと眠り続けたままの蛍と瑞樹が担がれている。
「なっ、そんな、いつの間にそこに…「余所見してんじゃねー、っよ!」
蛍たちの無事を確認した葵は、一気に距離を詰めると、時雨を足蹴にしていた妖怪を勢いよく蹴り飛ばした。妖怪の手から滑り落ちた刀を、葵は拾い上げる。
「っ、何をする! か、刀を、返せ……!」
「ふん、お望みなら……返してやるよ。――死ね」
数メートル先まで吹っ飛んだ妖怪のもとに駆け寄った葵は、その胸に躊躇なく刀を突き立てた。妖怪は叫喚を響かせたと思えば、その身体は乾いた土のようにボロボロと崩れ落ちていく。
「……だから、女の子がそんな乱暴な言葉遣いしちゃ駄目だって」
「……はっ、今更だろ」
「まぁ、葵の猫かぶりは、早々見破られることもないだろうけどね」
起き上がった時雨の身体は薄汚れてはいるが、葵が目視する限り、大きな外傷はなさそうだ。けれど葵は、時雨が無理をしているのではないかと懸念してボソリと声を掛ける。
「……身体、何ともねーのかよ」
「え? あぁ、全然平気だよ。殴打された時もなるべく受け身をとるようにしてたし」
「……そうかよ」
「……ねぇ葵。何で逃げなかったの?」
「……」
葵は答えない。否、何と答えるのが正解なのか、分からなかった。
時雨が大切で、だから置いていくことなどできなかったと――そんなこと、長年一緒に過ごしてきて、一度も伝えたことのない台詞だったから。
素直でない葵がそれを直接口にすることなど、到底できるはずもなかった。
葵は口を噤んで目を逸らす。
そんな葵を見て時雨が口を開きかけた、そのタイミングで、葵と時雨の耳元で、ヒュッと鋭く風を切る音がした。
「お二人さん。敵さんはまだいるみてーだ。気ぃ抜くんじゃねーぞ」
鬼の妖だった。
葵と時雨に斬りかかろうとしていた妖怪を、逆に切り伏せてくれたらしい。その手には、さきほど葵が妖怪に突き立てた刀が握られている。
「……おい、お前。さっきの人間たちは何処にやった」
「あぁ。それならもう、安全な場所に避難させてる」
葵は、蛍たちの姿が見えなくなっていることに気づいた。
まさか、この妖が何処かに連れ去ったのではないかと疑ったが、鬼の妖は平然とした様子でそう答えた。
「……何者だよ、お前」
「……さぁ? 何者なんだろうな。だが、オマエたちの敵ではねーよ」
葵の鋭いまなざしを受けた美しき妖は、やはり落ち着き払った様子で、静かに妖艶な笑みを返す。
「……とりあえず、今だけはお前のその言葉、信用してやる」
目の前にいる妖怪からは、嫌な空気は感じられない。
今は自分の勘を信じることにした葵は、蛍たちは無事だというその言葉を信じることにして、この場に残っている妖怪たちへと目を向ける。
「時雨、行くぞ」
「はいはい。やーっと暴れられるね」
残っている妖怪たちを滅するため、葵と時雨、そして鬼の妖との共同戦線が――此処に張られたのだった。
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