第四十六話 相容れぬ存在(もの)



 時雨は、特別な力を持って生まれ、その身を狙われることの多い葵の護衛として、東雲家の当主より贈られたものだった。

 そのため葵の隣には、いつだって時雨がいた。


 開いていた距離は、少しずつ、少しずつ、その隙間を埋めていき――気づけば互いに軽口を叩き合えるまでの仲になっていた。


 葵にとって時雨は、家族ではないけれど、それに近しい……否、それ以上に心を許せる、傍にいて心地の良い存在になっていたのだ。


 だからこそ、時雨と共に過ごす中で、時々分からなくなることがあった。


 ――どうして、全ての妖怪を滅さなければならないのか。

 どうして妖怪は“悪”なのか。


 葵には、その理由が、その問いの答えが分からなかった。

 けれど東雲の家の大人たちは、皆口を揃えて、いつもこう言うのだ。


 “妖怪は悪だ。人間とは決して相容れることのない存在なのだ。”


 その胸に、脳裏に、深く刻み込むように。何度も何度もそう教えられてきた。


 ――妖怪は、決して相容れることのない存在だ。共に過ごすとしても、決して心を許すことのないように。貴方と“アレ”は違うのだから、と。


 その言葉を聞くたびに、人と妖という存在は決して交わることがないのだという事実を、深く突きつけられた。


 それならば、妖怪である時雨もまた、自分とは“相容れない存在”で。

 ――それなら何故、時雨と自分を引き合わせたのか。


 捨て置く存在なんて、そんなもの必要ない。そんなこと、自分は望んでいなかった。望んでなど――いなかったのに。





「……葵。はやく、逃げ、て……」

「……」


 ボロボロになった時雨が、懇願するような目で、自分を見上げている。

 けれど葵は、足が地面に縫い付けられたかのように、その場から動けずにいた。


 葵はこれまで、見ない振りをして、考えることを放棄して生きてきただけだ。妖怪は悪だと、必死に自分に言い聞かせてきただけだ。


 だから、こうして選択を迫られた時――葵にはもう、何が正しいのか、分からなかった。


 ギリギリのところで立っていた足場が、ガラガラと崩れ落ちていく音がする。


「……」


 葵は、目を閉じた。

 瞼の裏に、何故か分からないが――この場にはいない、朔夜の顔が浮かび上がる。



「――だって僕たち、友達でしょ? 僕は東雲さんの力になりたいんだ。だからさ……困った時は、いつでも頼ってね」



 葵からしたら、最近出会ったばかりの魁朔夜という人間は、馬鹿がつくほどのお人好しで、理解不能な奴で……人も妖怪も関係なく無自覚にたぶらかしてしまうような、可笑しな存在として認識していた。



「――僕は……どちらかだけなんて選べない。僕にとっては、人も妖も、どちらも大切な存在なんだ」



 熱のこもった瞳で葵を見据えてそう言っていた、朔夜の声を思い出す。


 ――もし、諦めなくてもいいのなら。どちらも選び取ることができる、そんな選択肢が、自分の中にあるのなら……。


 葛藤している葵の目の前に、影が落ちる。

 聞き馴染みのない、凛とした低い声が、葵の鼓膜を揺らした。葵は閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げる。



「その手を離せ」


 目の前に広がっていたのは、安心感を覚えるような、大きくて広い背中だった。


 夜風に揺れる、艶やかな黒髪。その頭上には、深紅の角が二本生えている。

 ――鬼だ。鬼の妖怪だ。


 それを瞬時に理解した葵は、その場から飛び退き距離をとった。

 妖怪たちの加勢に来たのだろうか。こんな時に――と、葵は唇を噛みしめた。


 けれど、こちらに振り返った鬼の妖怪の顔を見て、その相貌の美しさに、纏う雰囲気の冷艶さに――葵は警戒していたことも忘れて、魅了されてしまったのだ。


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