第四十五話 巡り合わせ



「……妖怪、消えちゃった」

「うん。きっと、帰るべき場所に帰ったんだろうね」


 一括りには妖怪と呼ばれている、それら異形の類のものは――鬼や天狗、河童にろくろ首、座敷わらし等……その種族は、全てを把握するのは難しいと思うほどには数多く存在している。

 そして妖怪の中には、人間に対して深い憎しみや嫌悪感を抱いている者も多く存在していた。

 古い時代に記された書物には、人と妖が共存する時代もあったと語られているものも見られるが――その真偽は、寿命の短い人間には分からない。


「ねぇ、お兄ちゃん。さっきの……滅さなくても良かったの?」

「うん。特に悪さをしていたわけでもないしね」

「でも……皆、言ってたよ。妖怪は、見つけたら必ず滅さなくちゃならないんだって」

「そうだね。でも僕は……全ての妖怪が悪だとは思わないんだ」


 青年は、妖怪が立っていた場所をジッと見つめながら言う。


「東雲の人に聞かれたら、怒られちゃうだろうけどね」


 そう言った青年は、クスクスと笑いながら、葵の小さな手をそっと握る。


「そろそろ僕らも、帰ろうか」

「……うん」

「あ、そうだ。これから葵にね、会わせたい人がいるんだよ」

「会わせたい人?」

「うん、そう。いや、人っていうか……妖怪?」

「……えっ、妖怪?」

「色々と扱いづらい部分もあるかもしれないけど……根は悪い奴じゃないからね」


 葵は驚いた。青年は妖怪に会わせたいと言っているが、どう考えても、その妖怪を滅しに行くような雰囲気ではない。むしろ妖怪のことを語る声音からは、友好的な雰囲気すら感じる。


 人間と妖怪は、相容れない存在だ。

 それなのに……妖怪と仲良くしているなどと知られたら、家の者たちに怒られてしまうかもしれない。


 葵は不安げに青年を見上げるが、青年はその視線に気づきながらも、歩みを止めることなく進んでいく。

 そのまま真っ直ぐ家に帰り、青年に手を引かれたまま連れていかれた先は、葵の部屋の隣、居候の青年にあてがわれている部屋だった。


「え? お兄ちゃんの部屋……?」

「うん、そうだよ。中で待ってるはずだからさ」


 青年に促され、葵は恐る恐る障子戸に手を掛けた。おずおずと室内を見渡せば、部屋の端に、誰かが座っている。

 背筋を伸ばして静かに座していたのは、薄水色の髪に青い瞳を持つ、綺麗な顔をした男だった。葵と目が合うと音もなく立ち上がり、その場で深く頭を下げる。


「……初めまして、葵様。ボクは時雨といいます」

「しぐれ……?」

「はい。今日から葵様の身の回りのお世話をするようにと、仰せつかっております」


 きょとんとした顔の葵に対し、時雨と名乗った青年はニコリと作り笑顔を浮かべる。

 そこに、部屋の近くに控えていたらしい東雲家の者が現れた。


「葵様、お帰りさないませ」

「あ、うん。ただいま……」

「そちらの妖怪は、元々は阿部家に仕えていた妖怪です。九頭竜という、水の力を操る、神にも似通った力を持つ妖です。大昔に悪さをした際、阿部家の陰陽師に捕らえられ、主従の契約を結ばされた者のようです。古くより親交の深い阿部家から東雲家に授かりました。そして御当主様の命により、本日より葵様の護衛として仕えることになっております」

「ご、護衛? 妖怪が……?」

「はい。ですが契約を結んでおりますので、葵様に危害を加えることはできません。葵様の命に従い、手足となってくれます」

「て、手足……?」


 困惑する葵を置いて、使用人の男は、淡々とした口調で説明を続ける。


「はい。ですから、もしもの際には、葵様の身代わりになさってくださいね。力はあれども所詮は妖怪、捨て置ける存在ですので」

「……捨て置ける、存在……?」


 葵は、言葉の意味がよく分からなくて――いや、分かりたくなかったのかもしれない。不安げな顔で、隣に立つ青年を見上げる。


 青年は青年で、今の使用人の物言いに色々と思うところがあったのだが、東雲家のことに部外者の自分が口を出すことができるわけもなくて。

 先ほど公園で目にしたものによく似ている、困ったような、悲しそうな顔をして、葵に微笑み返すだけだった。


「葵様のお出迎えご苦労様でした。御当主様がお呼びですので、こちらにいらしてください」


 使用人が、黙ったままの青年に声を掛ける。

 青年は直ぐに行かなければならないようで、葵の頭を軽く撫でると、「時雨と仲良くね」と耳元で囁いて、使用人の後を追いかけて行ってしまった。


 葵がそろりと視線を動かせば、腰を低くしたままの時雨が視界に入ってくる。

 時雨は使用人からの酷い言われように、怒ることもなく、悲嘆するようなこともなく、作り物のように綺麗な微笑を湛えたままだ。


「えっと、それじゃあ……よろしくね、時雨」

「……はい、葵様」


 これが、葵と時雨が、初めて目を見て言葉を交わした瞬間だった。


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