第四十三話 定められた選択肢



「……コイツに何した、爺さん」


 真白に軽く睨みつけられてもホケホケと笑っている山神様は、まるで別人のように姿を変えた朔夜を見ながら答える。


「儂はきっかけを与えてやったに過ぎん。これは、こやつが元々持っていたモノ・・・・・・・・・だ」


 山神様は、妖怪化した朔夜を見て「……ふむ。纏う雰囲気も、あやつにそっくりだな」と目を細める。


「……真白、行くぞ」


 鼓膜を揺らしたのは、重厚感のある艶やかな声。鋭さを感じさせる冷艶な瞳に射抜かれた真白は、小さく息を呑んだ。

 左右で異なる金と紅の瞳は、ゾクリと肌が粟立ってしまいそうなほどに美しく、畏怖の念を抱かせる。けれど同時に、高揚感にも似た熱いモノが自身の中で込み上げてくるのを、真白は感じていた。


 姿は違えど、纏う雰囲気がガラリと変わってしまっても――そこに立っているのは、確かに朔夜だった。

 この麗しい鬼が朔夜本人であることを、真白は肌で感じ取っていた。


「……あぁ」


 それならば、己がすることは変わらない。朔夜が行くというのなら、どこまでも付いていく。朔夜のために共に戦い、身を呈して朔夜を守るだけだ。


 真白は、力強く頷いた。

 そして、いつの間にかリュックサックから取り出した黒の羽織を翻しながら、何処かに向かって歩いていく朔夜の後を追いかけた。



 ***


 妖怪たちに周りを囲まれた葵は、まさに絶体絶命という窮地に陥っていた。


 今から時を遡ること五分前。狐目の妖怪から交換条件を持ち掛けられた葵は、数秒思案した後、その案をキッパリと跳ねのけていたのだ。


 付いていった先で妖怪たちを一網打尽にするのも一つの手かと考えたが、大人しく付いていってやる義理はないと、瞬時にその考えを覆したのだ。そして葵は、手近にいた妖怪を式札で滅した。


 まさか人質がいるこの状況で攻撃してくるとは思ってもみなかったのだろう。

 妖怪たちは驚いていたが、しかし直ぐに臨戦態勢をとり、葵と時雨に攻撃を仕掛けてきた。


「ねぇ。どうせ戦うことになるなら、ボク、殴られ損じゃなかった?」


 繰り出される攻撃を避けながら、時雨は不貞腐れた顔で言う。


「一発くらいいいだろ。とりあえず、まずはアイツらの奪還最優先だ」

「はぁ、……はいはい。分かってるよ」


 時雨は渋々頷きながら、殴りかかってきた敵の拳を翻して、その腕を刀で一刀両断した。

 目の前で悲鳴を上げる妖怪を冷めた瞳で見下ろしながら、時雨は一縷の迷いも見せずに、その首を切り落とす。


「チッ、この糸が厄介だな……」


 葵も妖怪たちと対峙しながら、眉を顰めて舌を打った。

 初めに葵が対峙した蜘蛛妖怪が、想像以上に厄介だったからだ。


 あちこちに仕掛けられた蜘蛛の糸は、暗闇の中では細くて見えづらく、足を引っ掛ければ容赦なく肌を切り裂いてくる。しかも粘着力まであるものだから、身体にくっつけば、一々炎を出して燃やさなければならない。

 蜘蛛の罠に引っ掛かっているところを狙って攻撃を仕掛けてくる妖怪たちに多少手こずりながらも、葵は式札を使って妖怪を滅していく。

 しかし、背後に潜んでいた妖怪に気づくのが遅れた葵は、式札を持っていた手を押さえつけられ、その首元に刃物を向けられる。


「っ、葵!」

「おっと、お前は動くんじゃねーっ、よ!」


 葵まで人質に取られてしまった時雨は、抵抗することなく攻撃を受けた。

 腹部を蹴られて吹っ飛ばされた時雨は、木の幹に勢いよく身体を打ち付ける。妖怪たちは更に時雨を蹴って殴ってと嬲り続け、その身体を痛めつけた。


「っ、おい! もう止めろ‼」


 葵が声を張り上げる。

 葵の側に歩み寄った狐目の妖怪は、葵の頬をそっと撫でた。葵の瞳に、獣のような怒りがぎらついている。


 妖怪たちからの攻撃を避ける際に地面へと転倒し、葵の膝や掌には掠り傷ができていた。妖怪に斬りつけられた際、衣服の所々も破れて、そこからは血も滲んでいる。

 葵からより色濃く漂ってくる血の匂いに、狐目の妖怪は、恍惚とした表情をして目を細めた。


「……そうだ、良いことを思いついたぞ」


 狐目の妖怪が、ニンマリと笑う。


「お前をあの方のもとに連れていくのは決定事項だが……我らも腹が減った。そこで、お前に選ばせてやろう」

「……何だって?」

「そこの妖怪か、この人間共。どちらかは助けてやる。だがどちらかは、今此処で、我らの食料になってもらおう」


 ――っ、この下衆野郎が! 死ね……‼


 葵は心中で、目の前の妖怪に悪態を吐きながら、捕らえられたままの蛍たちと、地面に倒れこんでいる時雨に目を向ける。


 葵はこういう窮地に立たされた時、妖怪は捨て置くものだと教えられてきた。

 それは、幼い頃から共に過ごしてきた時雨も例外ではない。だから、悩む必要などないはずなのだ。けれど葵は……何故かその決断を下せずにいる。


 葵が迷っていることを瞬時に見抜いた時雨は、地面に倒れ込んだ状態で顔を上げて、この場から逃げるようにと葵を諭す。


「……何やってるのさ。そんなことで悩む必要なんてないだろ。あの子たちと一緒に、さっさと逃げなよ」

「あぁ? お前は黙ってろよ!」

「グッ……」


 時雨の側に立っていた妖怪が、下卑た笑みを浮かべながら時雨の背中を思いきり踏みつける。呻き声を漏らす時雨を見て、葵は思わず駆け出しそうになるが――首元にあてがわれたままの刃物が、それを邪魔する。


 葵は唇を噛みしめた。

 下唇がプツリと切れて、口内に、鉄に似た不快な味が広がる。


「さぁ、どうする?」


 迫られた選択に、葵は葛藤する。

 自分は、妖怪を滅して、人を助けるために、此処にいる。それが自分に課せられた使命だ。


 だけど、時雨は自分にとって――。



 葵はもう一度、時雨に目を向ける。


「っ、オレは……」


 時雨と出会うより前。

 弱くて泣き虫でどうしようもなかった幼き日の自分自身のことを――葵は思い出した。


 あの頃の記憶に押し出されるように、悲痛さを帯びて零れた呟きが、静かな山奥に響いた。


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