第四十二話 山神様と変化の時



「東雲さんたち、いないね。……皆、どこに行っちゃったんだろう」


 テントを抜け出した朔夜は、真白と共に山の中を彷徨っていた。


 今から十分ほど前。

 寝袋で横になっていた朔夜が微睡み始めていた中、テントの外から、何か大きなものがなぎ倒されたような轟音が聞こえてきたのだ。


「……今の音、何だろう」


 気になった朔夜が外に出て他のテントを確認しに行けば、葵も時雨も蛍も瑞樹も――全員が忽然と姿を消していた。

 心配した朔夜が皆を捜しに行くと言えば、護衛である真白も当然付いてくる。


「ねぇ、真白。もしかして皆、何か危険なことに巻き込まれてるんじゃないかな」


 朔夜が心配げな面持ちで言う。

 先ほどから辺りを漂う嫌な空気を感じ取っていた朔夜だったが、しかし、その気配が何処から発生しているものなのかまでは分からなかった。


 夜空に浮かぶ三日月は、雲に隠れてしまっている。月光が当たらない山の中は余計に暗く、おどろおどろしい雰囲気を醸し出している。


 神妙そうな顔で周囲を見渡す朔夜に対して、真白は何を考えているのか分からない無表情で、朔夜の横顔をジッと見つめている。


「……普通に、俺らだけ置いていかれたんじゃねーの?」

「え、何で!?」

「……いや、知らねーけど」


 真白が適当に返した言葉を真に受けた朔夜は、それが本当だったらどうしようと、少しだけ気落ちした様子だ。

 真白としては、朔夜以外の他の者がどうなろうと知ったことではないのだが……蛍たちに何かあれば朔夜が悲しむだろうということも、もちろん分かっている。


 そのため、辺りを漂う不穏な空気には気づきながらも、捜索を続ける朔夜を危険だからと止めることもせずに、こうして大人しく後に続いているのだ。


「……あれ、あんな所に祠がある」


 朔夜が見つけたのは、小さな祠だった。山奥にポツンと佇む様は、何だか寂しい印象を受けるが、近づいて見てみれば、意外にも綺麗に管理されているようだ。

 祠の前の水鉢には透き通った水が入っていて、祠の中を覗けば、少し古びた数十体の折り鶴がぶら下がっている。


 朔夜は祠の前で手を合わせてから、背を向けて再び葵たちの捜索を開始する。

 しかし――背後から聞こえてくる声に、前へと動かしていた足をピタリと止めた。


「声が、聞こえる……」


 真白は朔夜の左隣にいる。

 それでは、後ろから聞こえてくるこの声は、一体誰なのか。


 朔夜はそうっと振り返る。けれどそこに、人陰は見られない。

 視界に映るのは、つい今しがた手を合わせたばかりの祠だけだ。


「お前さん、儂の声が聞こえるんだな」

「うわぁっ!」


 再び鼓膜を揺らした声に、朔夜はビクリと肩を震わせる。


「はっはっ、驚かせたか。儂は此処だ」


 朔夜は、恐る恐る祠へと近づく。声は確かに、この祠の中から聞こえてくるからだ。


 祠の中を覗いても、やはりそこには誰もいない。――と思ったが、よくよく目を凝らせば、ぼんやりと小さなシルエットが浮かび上がってくる。

 祠の中に座っているのは、朔夜の半分の背丈もなさそうな、小さな身体をした老人だった。


「あの、貴方は一体……?」


 尋ねる朔夜に、老人はニコリと笑って答える。


「儂は、この叢雲山に住まう山神だ。土地神とも云うがな」

「山神様? ……あっ、もしかして……!」


 朔夜は、家を出る際に、酒呑童子が言っていた言葉を思い出す。


「あの、もしかして、酒呑童子をご存じですか?」

「酒呑童子……おぉ、久しい名だ。あやつとは、昔に何度か盃を交わしたことがある」

「酒呑童子は、僕の父なんです」

「おぉ、そうかそうか! いやぁ、あやつも親になっとったのか」


 山神様は、神様というには、存外気さくな雰囲気だった。朔夜が酒呑童子の息子だと知ると、嬉しそうに目元を細める。

 言葉を交わすごとに、その姿もはっきりと見えるようになってきた。笑うと目尻にくっきりと皺ができて、優しい印象を受ける。


「あ、そうだ。父から、山神様に渡すように頼まれたものがあるんです」


 預かっていた酒を取りにテントに戻ろうかと考えるが……それよりも今は、葵たちの安否が気になる。

 どうするべきかと考えていれば、真白が背負っていたリュックサックを下ろした。それは真白のものではなく、朔夜が背負ってきたリュックサックだ。


「ほら、これだろ」

「あ、そうこれ……! 真白、ありがとう!」


 リュックサックから取り出した酒瓶を、真白は朔夜に手渡した。

 ……まさか、山神様との遭遇を予見していたのだろうか。朔夜は真白の先を見据えた行動に驚きながらも、受け取った酒瓶を山神様の祠の前にそっと置いた。


 そうすれば、酒瓶はすぅっと空気に溶けるように消えて、気づけば祠の中にあった。山神様は自前の盃に酒を注ぐと、それを一気に呷る。


「……ふぅ。やはり、あやつの持ってくる酒は格別だな! 美味い!」

「あはは、良かったです。……あの、それじゃあ僕は、これで失礼しますね。また明日、改めて挨拶にきますので」


 朔夜は挨拶もそこそこに、葵たちを捜しに行くため、山神様に頭を下げた。しかし山神様は、そんな朔夜の行動を制する。


「まぁ待て。……お前さんの仲間、窮地に陥っとるようだな」

「……え? っ、あの、窮地ってどういうことですか?」


 朔夜は尋ねる。

 けれど山神様はその問いには答えることなく、朔夜に尋ね返した。


「お主は、何故仮の姿をしている?」

「か、仮の姿……?」


 問われている言葉の意味が分からず、朔夜は首を傾げる。


「あの、それってどういう意味ですか?」

「……ふむ、自覚がないのか。まぁ、今のお主が行っても、足手纏いになるだけだろうな」


 そう言って、山神様は、顔くらいの大きさのある丸い鏡を取り出した。そこに、捕らえられている蛍と瑞樹、地面に膝をついている葵たちの姿が、ぼんやりと映しだされる。


「っ、大変だ。早く助けに行かないと……!」

「待たんかい。言っただろう。お主が行っても、足手纏いになるだけだと」


 山神様は、諭すような口調で言う。その言葉は厳しい響きを孕んでいて、朔夜が無力だということを突き付ける。

 けれど朔夜は、それくらいの言葉ですんなり足を止めるような男ではなかった。


「……確かに、僕が行ったところで足手纏いになるだけかもしれない。だからって、僕は友だちを置いて逃げるような真似は絶対にしたくないんです。だから……足手纏いなりに、僕は僕にできることをしてきます」


 葵たちのもとに駆け出そうとする朔夜を、山神様は呼びとめる。


「待て待て。……ふむ、良いだろう。美味い酒の礼に、今、お主が一番に望むものをくれてやろう。――酒呑童子の息子よ。お主は何を望む?」


 山神様からの問いかけに、朔夜は間髪入れず答える。


「力が……友達を助けられる、力がほしいです」


 朔夜が望みを口にした瞬間――その場に、一際強い風が吹き荒れる。

 真白は警戒を強めて、朔夜を守るために一歩前に踏み出した。


「……朔夜、大丈夫か?」


 風が止んだ。真白が背後に振り返る。


 しかしそこに、朔夜の姿は見られなかった。――否、そこにいるのは、確かに朔夜だ。間違いない。けれどその姿は、数秒前とは一変していた。


 すらりと背丈が伸び、いつもは紅い瞳の片方が、金色こんじきへと色を変えている。艶やかな黒髪から生えているのは、紅い二本の角。

 ――人間から妖怪へと完全に姿を変えた朔夜が、そこには立っていた。


 雲に覆われていた月が、ゆっくりとその輪郭を見せる。

 月光の下、美しき鬼の妖怪が――妖艶な微笑を湛えて、静かに真白を見つめ返した。


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