第四十一話 人質と交換条件
「あの、すみません」
暗い山奥で、二人の若者が、何やらひそひそと話しこんでいる。
そこに声が掛けられた。
二人が同時に振り返れば、そこに立っていたのは、見覚えのある少女だった。
昼間、湖畔で魚釣りをしていたキャンプ客の中にいた一人。――葵だ。
「……どうしたんだい?」
一人の男性が、人好きのしそうな笑みを浮かべて尋ねる。
「あの、私、道に迷ってしまって……」
「あぁ、そうだったのか。そこの道を真っ直ぐに進めば、テント指定地に着くはずだよ」
「そうなんですね! 一人で不安だったので、助かりました。ありがとうございます」
「いやいや、困った時はお互い様だからね」
「……あの、皆さんは此処で何をなさってるんですか?」
今度は葵が尋ねる。
しかし男性は、その問いには答えない。
ニコリと笑みを深めて、一歩、二歩と、葵との開いていた距離を詰める。
「僕らは、相談していたんだ。今度はどの子にしようかなって。でも、君が自ら来てくれたおかげで――今、決まったよ」
男性の手が、鋭い鎌のような形状へと変化する。
――妖怪だ。
「やっぱりお前ら、妖だったんだな」
葵はキャンプ客から微かに感じる妖気に、日中出会った時には直ぐに気づいていた。目撃情報のある妖怪は、多分コイツらだろうと、既に目星も付けていたのだ。
だからこうして一人でテントを抜け出し、妖怪を滅しにきた。朔夜たちに気取られると、また邪魔されてしまうかもしれないと考えたからだ。
「――悪なる
葵が文言を唱えれば、小さな風が巻き起こる。
それは次第に強さを増していき、鋭い刃となって、二人の妖怪に向かっていく。
「なっ、何で人間がそんな芸当を……!」
ニタニタと薄気味悪い笑みを浮かべていた妖怪達だったが、その顔に焦りが滲む。
そして、妖怪の驚愕に満ちた声は――そこで途切れた。
「……オレは、ただの人間じゃねーからな」
葵はニヒルに笑って、つい今しがたまで
久し振りに“妖怪を滅する”という本来の任務を達成できた葵は、安堵の吐息を漏らしながら、他の妖怪の気配を探る。
キャンプ客は三人いた。つまり最低でも、あと一人は仲間の妖怪が潜んでいるはずだ。
「……チッ。邪悪な気で満ちてて、気配が探りづれーな」
小さく舌打ちした葵は、苛ただし気に呟くと、更に山奥へと踏み入ろうとする。しかし、前へと踏み出した右足が何かに引っかかり、危うく転倒しそうになる。
持ち前の反射神経で何とか持ちこたえたが――足首に纏わりついた“何か”に気づいた葵は、再び舌を打った。
「チッ、罠か……」
足元を見下ろせば、細い糸のようなものが絡みついているのが分かる。
「へへ、若い女、つっかまえた~」
酷い濁声と同時に、鼻を突く悪臭が漂ってきて、葵は眉を顰める。
「お前、い~い匂いがすんなぁ」
姿を現したのは、ガタイの良い大男だった。口から吐き出される息は白くて、悪臭の原因はコイツだと直ぐに察した。
この男は昼間に出会ったキャンプ客の中にはいなかった。つまり、仲間は三人だけではないのだろう。
「オイラの蜘蛛の糸からは、そう簡単には逃げられないぜ~?」
大男は自身の掌から白い糸を複数本生み出しては、そこらの木にしゅるしゅると巻き付けていく。
「成程な。お前、クモ妖怪か」
「そうだよ~。オイラの作る蜘蛛の糸は、固くて丈夫なんだ。お前のその足首も、一瞬でちょん切れちゃうくらいにはなぁ~」
葵は懐に手を忍ばせながら、妖怪の動向に注意を払いつつ、これからどう動くかを考える。
足を切断されてしまえば、戦闘手段も限られてくる。もしもの時の逃走手段もなくなる。それは不味い。しかし先にこの足首の糸を何とかしなければ、何処かに身を潜めているはずの、複数の妖怪相手に一人で立ち回るのは難しいだろう。
軽い窮地に追い込まれてしまった葵だったが、静かに近づいてくる気配に気づき、その口許を微かに緩めた。
「さ~て、まずはその足を切り落としてから、オイラが味見を…「それは無理だよ」
蜘蛛妖怪の身体が、数メートル後方まで吹っ飛ぶ。
「こんな三下に捕まるなんて、葵ってば、ちょっと気抜きすぎなんじゃない?」
「……うっせ」
その場に現れたのは、人間から妖怪時の姿へと変わっている時雨だった。背丈が伸び、薄水色の髪も襟足にかけて、人間時より少し長くなっている。
時雨が一発蹴りを食らわせ、蜘蛛妖怪の気が逸れた内にと、葵は自身の式札を使って焔を生み出し、足首に纏わりついた蜘蛛の糸を燃やした。
妖怪の言っていた通り、細い一本の糸を燃やすだけでも数秒の時間を費やしてしまい、この糸がかなり強固なものだということが分かる。
葵は解放された右足首をプラプラと動かしながら、隣で呑気に笑っている時雨を軽く睨みつける。
「来るのがおせぇ」
「だって二人が中々寝付かないからさ。一人で抜け出して、怪しまれでもしたら嫌だし?」
軽口を叩き合う二人を見て、辺りからひそひそとささめき合う声が聞こえてくる。
「おいおい、アイツ、妖怪じゃねーか」
「何で人間と一緒にいんだぁ?」
「さぁね。余程の変わりもんなんじゃないの?」
葵の予想通り、やはり妖怪はあと一人ではなかったようだ。木陰から二人、三人、四人とぞろぞろ姿を現し、全部で十人ほどの妖怪に囲まれてしまう。
しかし葵と時雨からしたら、こんな雑魚妖怪がいくら群れようとも、脅威には至らなかった。
時雨は腰元に差してある打刀をすらりと抜く。
その刀身は薄い水の膜に覆われていて、刃物特有の銀色は、角度を変えると、美しい青緑色にも見える。
時雨は駆け出した、一番手前にいた妖怪に、常人ならば目にも留まらぬだろう素早い動きで、一太刀浴びせる。
妖怪は時雨の速さに追いつけず、棒立ちのままに呆気なく滅されてしまった。そして、二人目の妖怪が地面に沈むのも、瞬きの間だった。
時雨が三人目に標的を移したところで、一番後方に下がっていた妖怪が大声を上げる。
「まっ、待て! それ以上動くな! こ、こいつらがどうなってもいいのか‼」
時雨と葵は、同時に声の聞こえた方へと目を向ける。
そこにいたのは、此処にはいるはずのない人物――蛍と瑞樹だった。深く眠らされているようで、二人の身体はピクリとも動かない。
しかし時雨は一切の動揺を見せることなく、その勢いを殺さぬまま三人目の妖に突っ込んでいく。
「時雨、待て!」
そこで、葵の制止の声が響いた。契約を結んでいる主からの命に、時雨はその身体をピタリと止める。
時雨が四メートルほど先にいる妖怪を見れば、ガタガタと震える妖怪が手にしている刃物が、蛍の首元に僅かに食い込み、血が滲んでいる。
「何で止めるの?」
「そいつらは人間だ。傷つけられない」
時雨は刀を握っていた手を下ろした。
木の上に身を潜めていた別の妖怪は、それを好機と思ったのか、時雨に攻撃を仕掛けてくる。不意を突かれた時雨は、もろに攻撃を食らって吹き飛ばされてしまう。
「っ、……何すんだよ」
時雨の顔に怒気が滲む。ギラリ。獰猛な青い瞳に射抜かれて、後方にいる妖怪は身体を震わせた。眠ったままの蛍の首元に、ますます刃を食い込ませようとする。
「止めろ、時雨。……お前らの狙いは何だ?」
今にも突っ込んでいきそうな時雨を制して、葵が問うた。
蛍と瑞樹を捕らえている妖怪は、時雨の殺気に気圧されてビビっているようだが、隣にいる狐目の妖怪が、ニヤリと口端を持ち上げて答える。
「血だ。お前の血肉からは、甘美な匂いがする。我らの力を増幅させる精気が宿っておる。お前の血肉をあの方に献上して……我らは幹部に加えてもらう」
「……あの方ってのは、誰のことを言ってんだ?」
「フン、これから死にゆく者に教える必要はない。お前が知ったところで、仕方のないことだからな。だが……お前が大人しく我らに付いてくると言うなら、コイツらを解放してやろう」
狐目の妖怪は、捕らえた蛍たちを一瞥してから、葵に試すようなまなざしを向ける。
葵は考える。
大人しく従う振りをして付いて行けば、そこで、コイツらのいう“あの方”とやらに相見えることができるだろう。多少の危険も伴うが……これは、親玉も一緒に一掃するチャンスかもしれないのだ。
葵は、眠ったままの蛍と瑞樹にチラリと視線を向けてから、自身の考えを伝えるため、その薄い唇を震わせた。
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