第三十九話 魚釣りと怪しいキャンプ客



「え? これって……お酒?」


 皆で柏餅を食べて束の間の休息をとっていれば、朔夜のリュックサックからチラリと覗いている酒瓶に気づいた蛍が、長い前髪の下に隠れた目を丸くして呟いた。


「あ、それは違うんだ! その、見た目は酒瓶なんだけど、中身は違くてね……!」


 テンパっている朔夜に代わって、真白が説明する。


「……虫除けに効く薬だろ。キャンプに行くなら持っていけって、お前の父さんに言われたんだろ」

「あ、っと、うん、そうなんだ! 地面に撒いておくといいらしいから、後で撒いておくね!」

「へぇ、あのお父様が」


 朔夜の父親に会ったことのある瑞樹たちは、その見目麗しい相貌を思い出したのか、うっとりとした顔をしている。


 朔夜は視線で「(ありがとう)」と真白に伝えながら、家を出る前の父親との会話を思い出していた。




「おぅ、朔夜。もう出かけんのか」

「うん。叢雲山に一泊してくるから、家のことはよろしくね」


 玄関で茨木童子に見送られていたところに、ふらりと姿を現したのは酒呑童子だった。朔夜のもとまで歩み寄ってきたかと思えば、片手に持っていた五百mlサイズの酒瓶を手渡してくる。


「え、何これ」

「叢雲山っつったら、アイツがいるはずだからな。もし会ったら、宜しく言っといてくれ」

「あいつって?」

「叢雲山に住まう、酒好きの好々爺さ」


 どうやら、酒呑童子の顔見知りが叢雲山に住んでいるらしい。


 妖怪の目撃情報とは、もしかしたらその妖怪のことかもしれないと朔夜は思ったが、それは違うと酒呑童子は断言していた。酒呑童子の顔見知りは、妖怪ではなく、“山の神様”らしいのだ。

 とりあえず待ち合わせの時刻も迫っていたため、朔夜は言われるままに酒瓶を受け取って、リュックサックに忍ばせてきたのだった。




「と、とりあえず、テントの準備もバッチリだし、これからどうしよっか」


 朔夜は酒瓶のことから話を逸らす。


「早速、妖怪を捜しに行くかい?」

「あっ、で、でも、目撃情報が寄せられているのは、夕方から深夜にかけての時間帯だから……まだ、妖怪は姿を現さないんじゃないかなって、思うんだ」

「それじゃあ、皆で川の方に行ってみない? 魚釣りなんかもできるみたいだよ」


 道中、立て掛けられてあった看板に書いてあったことを思い出した朔夜が提案する。


「でも、釣りの道具なんてあんのかよ」


 真白が最もな突っ込みをする。


「あ、確かに……レンタルとかできるのかな?」


 麓の山荘まで行けば、釣り道具もレンタルできそうな気がするが……。

 皆でこれからの予定を考えていれば、瑞樹がテントの出入り口を指差して言う。


「あぁ、それなら問題ないよ。確かキャンプ用品と一緒に、釣りの道具も持ってきていたはずだからね」


 瑞樹の視線の先を辿れば、いつの間に用意されていたのか、テントの外にバケツや釣り竿といった道具が準備されている。


「い、いつの間に? さっきまでは何も置いてなかったよね……?」

「あはは……本当にすごいね」


 多分、話を聞いていた瑞樹の家の者が用意してくれたのだろう。皆の脳裏に、瑞樹の世話役だと言っていた氷室の顔が思い浮かんだ。


 一先ず、これから釣りに行くことに決めた一同は、麓の山荘で貰ったパンフレットに描いてある地図を頼りにして、山道を歩く。

 十分ほど進んでいけば、湖畔が見えてきた。


「あ、見えてきたね!」

「おぉ、今日は天気がいいから、湖が輝いて見えるね!」


 陽光を映した水面は、瑞樹の言う通り、キラキラと輝いて見える。時折、朔夜たちの間を吹き抜けていく風は、涼やかに肌をさらりと撫でていき、気持ちがいい。


 早速釣りの準備をした朔夜たちは、皆で一斉に仕掛けを投げ入れた。


「し、東雲さんって、虫は平気なの……?」

「えぇ、平気だけど?」


 問われた言葉に、葵は不思議そうな顔をして首を傾げる。

 蛍的には、女子=虫が嫌いという勝手な方程式が出来上がっていたので、魚の餌である虫を平気な顔で鷲掴みしている葵を見て、僅かに口許を引き攣らせている。


「おぉ、さすが東雲さんだね! 僕は虫の類はどうも苦手でね……」


 反対に、瑞樹は尊敬のまなざしを葵に向けている。


「ねぇ、真白くん。君の竿、また引いてるみたいだけど?」


 そして、何故か先ほどから、釣りには一切興味がないらしい真白の竿ばかりが反応している。ウキが引かれているのは、何かしらが食いついた証拠だ。

 時雨に声を掛けられた真白が怠慢な動きで竿を引き上げれば、またニジマスが一匹釣れたようだ。


「わ、真白ってばまた釣ったの? すごいじゃん!」


 釣り上げた掌よりも大きいサイズのニジマスを目にした朔夜は、目をキラキラと輝かせて興奮気味に言う。


「別に……何もしなくても、魚の方から勝手に食いついてくんだよ」

「……僕、まだ一匹も釣れてないんだけど……」


 真白の返答に、朔夜はがっくりと肩を落とす。

 そこに、声が掛けられた。


「やぁ、こんにちは」


 朔夜たちが振り向けば、そこに立っていたのは、大学生くらいの男性が四人。

 気さくな笑顔を浮かべて近づいてくる。どうやら、朔夜たち以外にもキャンプ客がいたようだ。


「君たちもキャンプに来たのかい?」

「はい、そうなんです」


 一切人見知りをしない朔夜が、溌溂とした笑顔で答える。


「実はオレたち、妖怪が出るって噂を聞いて、京都から来たんだよ」

「えっ、京都から?」


 朔夜は目を丸くする。妖怪の目撃情報を聞いて遠路はるばるこんな山中までやってきただなんて、余程の妖怪マニアなのかもしれない。


「たくさん釣れるといいね。頑張って」

「はい、ありがとうございます」


 にこやかに手を振った男性たちは、直ぐにこの場から立ち去っていった。


「京都っていえば、東雲さんと一緒だね」

「……えぇ、そうね」


 朔夜は、斜め後ろに立っていた葵に話しかける。

 けれど葵は難しい顔をしたまま、去っていく男性たちの背中を、探るような目つきで見つめていた。


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