第三十三話 時雨の正体
「此処がお主の店か」
「はい。僕の店というか、家で経営している店なんですけど……僕も店の手伝いをしたりしているんです」
「ほぅ、偉いのぅ」
「いえいえ、そんなことないですよ」
朔夜と五月雨様が並んで話している姿は、どこからどう見ても、孫を可愛がる祖父の図にしか見えない。
「本当に此処で、美味い酒が飲めるんだろーなぁ」
赤髪の妖怪は、社であれだけの量の酒を飲んだというのに、まだまだ飲み足りないらしい。
「お酒もたくさん用意してあるよ。どうぞ、入ってください。電話して席は準備しておいてもらってるから。……あ、そうだ。東雲さんは、その……お店にいるお客さんについては、今回は目をつむってもらえると嬉しいな」
「……は? それ、どういう意味だよ」
朔夜の意味深な発言に、葵は疑問符を返す。
見てもらった方が早いと考えた朔夜が出入り口の引き戸を引けば、店の外まで微かに聴こえていた騒めき声が、一気に大きくなる。
「わっはっは! 今宵は飲むぞ~!」
「美味い! この酒の肴、美味いぞ!」
「ハッハッ、お主、その頬の傷はどうしたんじゃ」
「いやぁ、この間に酔っぱらって、気づけば東の方まで行ってしまってなぁ。山で鴉の大群に突かれたんじゃ」
「がっはっは、それは傑作じゃのう」
店内で賑わう客たちは、皆、人ならざらぬ者――妖怪たちだった。
酒を飲み、料理を摘まんで、皆楽しそうな赤ら顔で談笑している。
「ほぅ、賑わっておるのぅ」
店内の様子を一瞥した五月雨様が、感心したように言う。
「妖怪を滅するなら、朔夜くんのお店を張ってるのが、一番効率が良さそうだね」
時雨が、葵だけに聞こえるように、耳元で囁いた。
しかし根が真面目な葵は、苦い顔をしながらもその案を却下する。
「……それだと、営業妨害になるだろ」
「葵ってば、真面目だなぁ」
「……うっせ」
朔夜に言われた手前、見逃すのは今夜だけだと……そう自身に言い聞かせえてグッと堪えた葵は、妖怪達をジロリと睨みながら、店の中に足を踏み入れる。
店内には、いくつかのテーブル席に小上がりの畳席があり、奥の方には個室も用意されているようだ。
「座って待ってて」
朔夜が案内してくれたのは、店の一番奥まった場所にあるお座敷だった。室内の中央に大きな机が置かれていて、向かい合って八人は余裕で座れるようになっている。
「店の中は結構広いんだな」
赤髪の妖怪はどっかりと腰を下ろしながら、室内を見渡して内装の感想を口にする。
「……おい。妙な真似したら、即滅するからな」
「はっ、出来るもんならやってみな」
葵は牽制するように、赤髪の妖怪を鋭いまなざしで射抜く。一触即発の雰囲気に、付いてきた小妖怪二匹はあわあわと狼狽えている。
「皆、お待たせ!」
店の黒い前掛けを付けた朔夜が、盆を手にして戻ってきた。室内に漂う緊迫した空気に一瞬首を傾げながらも、ニコリと笑って畳に腰を下ろす。
「これはウチの一番人気のお酒、“鬼の花嫁”だよ。甘口と辛口の二種類があるから、どっちも持ってきたんだ。良かったら飲み比べしてみてよ」
「おっ、いいねぇ」
赤髪の妖怪はコロッと態度を変えて、朔夜の持ってきた盆に意識を移した。朔夜は杯に注いだ二種類の酒を、妖怪達や五月雨様の前に差し出す。
赤髪の妖怪はいの一番に杯を呷って、「くーっ! 美味い‼」と高らかな声を上げている。
「……ほぅ。これは、花の香りじゃな。珍しい酒じゃのう」
「あ、そうなんです。父さんが大の酒好きで……どこで仕入れているのかまでは、僕も知らないんですけど」
コクリと一口、喉に流し込んだ五月雨様は、眦を下げて満足そうに笑っている。
葵は未成年のため飲酒はできないが、隣で時雨が手にしている杯の匂いだけ嗅いでみれば、確かに、ふわりと花のような香りが漂ってくる。
「……うっわ、すごく美味しい……」
「……そんなに美味いのか?」
「うん、最高。葵も飲んでみる?」
「飲めねぇよ」
「えー、一口くらい飲んでもいいと思うけど。やっぱり葵は真面目だなぁ」
時雨は杯の中身を一気に飲み干すと、杯を掲げて「朔夜くん、おかわり貰ってもいい?」と聞いている。
「うん、勿論! いっぱい飲んでね……って、え!? し、時雨くんって、未成年だよね……!?」
「……あ」
朔夜の焦りと驚愕をない交ぜにしたような顔を見て、時雨は“しまった”とでも言いたげに間抜けな声を漏らした。
「……葵。朔夜くんになら言っちゃってもいいよね?」
「……はぁ。もうそれしかねーだろ」
葵の了承を取った時雨は、ニコリと笑って、朔夜からしてみれば衝撃の事実を口にする。
「実はね、ボク、人間じゃないんだ」
「……え?」
「妖怪なんだよ、ボク」
瞬間、時雨の身体が少しずつ変化する。
背丈がすらりと高くなり、薄水色の短髪は、襟足にかけて全体的に少し長くなる。
「だからもう、とーっくの昔に成人してるんだ。飲酒しても全然問題ないよ」と続ける妖怪化した時雨に、今度は朔夜が、ポカンとした間抜け面を晒すことになった。
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