第二十九話 甘美な匂いに誘(いざな)われて
「そろそろ帰ろうか」
屋台を回って十分に祭りを堪能した朔夜たちは、境内の外に向かって歩いていた。鳥居の近くまでやってきたところで、最後尾を歩いていた葵が立ち止まる。
「……私、用事を思い出したから、皆は先に帰ってくれる?」
「え? 東雲さん?」
「……付いてこないでね」
最後の言葉は、明らかに朔夜に向けて告げられた言葉に見えるが――そう言って、葵は来た道を戻っていく。
「……ごめん、僕も用事ができちゃったから戻るね! 皆、また学校で!」
「え? 朔夜くん、ちょっと待ちたまえ。用事ができたって、どういう……」
瑞樹は困惑を声に乗せて引き止める。
しかし、すでに朔夜は踵を返していて、その声が届くことはなかった。
「……こんなこと、前にもなかったかい?」
「う、うん。あった、よね……」
下校中に妖怪に追いかけられた時のことを思い出しながら、取り残された瑞樹と蛍がポツリと呟いた。いつの間にか、時雨と真白の姿も見えなくなっている。
「……と、とりあえず、僕たちは帰ろうか」
「うん、そうだね。蛍くん、よかったら帰りも乗っていくかい?」
「え? い、いいの?」
「あぁ、もちろんだよ」
瑞樹と蛍はそのまま鳥居を抜けて、肩を並べて帰っていった。
***
朔夜はカランコロンと下駄の音を響かせながら、走っていってしまった葵の姿を捜していた。葵はまた、妖怪を滅するために何処かに向かっていったのだろうと――そう直感したからだ。
「おい、どこ行くんだよ」
「あ、真白」
再び走り出そうとした朔夜の腕を、後を追ってきた真白が掴んで引き止める。
「東雲さん、多分また妖を滅しようって考えてるんじゃないかと思って。だから後を追いかけてるんだけど……」
朔夜はそう伝えながらも、真白に「止めろ」と言われることを予想して、頭の中で反論する言葉を考える。
「アイツらはあっちにいる。行くぞ……って、何だよその顔」
「……え? あ、ごめん。いや、てっきり止められると思ってたから……」
「……どうせお前は、俺が何言ったって聞かないだろ。だったら勝手な行動されるより、一緒に付いてった方がまだマシだって思っただけだ」
真白は仕方なさそうにため息を落とすと、朔夜の腕を掴んだまま、拝殿のある方角に向かって歩いていく。
「……あ、東雲さんだ。それに時雨くんもいるね」
「……ちょっと様子を見とくか」
朔夜と真白は、葵たちの声が聞こえるところまで移動すると、近くにあった茂みに静かに身を潜める。耳をすませば、葵と時雨の声に混じって、別の誰かの声も聞こえてきた。
「――どうせまた、葵の匂いに釣られて群がってきた奴らなんでしょ?」
「あぁ、多分な」
「ひ、ひぃっ……ご勘弁を……! 我らはただ、五月雨様と、我らが主君に、貴女の血をほんの少し献上したいと考えただけで……!」
「そ、そうです! 我らは五月雨様にご恩を返したいと思っただけなのです……! どっ、どうか、ご慈悲を……!」
「ハッ、妖怪相手に慈悲もクソもあるかよ」
妖怪が必死に懇願する声を嘲笑った葵は、胸元から式札を取り出そうとして――けれどその手は、耳に届いた声のせいで、止めざるを得なくなった。
「東雲さん、待って!」
「っ、……またお前かよ……‼」
ガサガサと音を立てて茂みから現れた朔夜に、葵は怒りにプルプルと肩を揺らしながら、鋭いまなざしを向ける。
次いで朔夜の後ろからやってきた真白は、朔夜の頭についた葉っぱを指で摘まんで落としながら、地面で震えている二匹の小妖怪を見て、眉をひそめた。
「お前ら、見ない顔だな」
「ひ、ひぃっ、また新手の者が現れたぞ……!」
「……何だ、お前も見えんのかよ」
真白の目線の先に気づいた葵は、朔夜に向けていた瞳を真白へと移した。相手を見定めるようなまなざしで、その大きな瞳をすっと細める。
「……だったら何だよ」
真白もまた、切れ長の目を細めて、葵を警戒するように見返した。
葵と真白、二人の間で、バチバチと見えない火花が散っている。
「おーい、葵。真白くんと仲良くするのは大いに結構だと思うけど…「「仲良くねぇ!」」……わぁ、息ぴったり」
「あはは、ほんとだね」
傍観していた時雨と朔夜は、顔を見合わせて「すごいねぇ」と微笑み合っている。
葵と真白は、そんな二人の姿に苛々を募らせながらも、今ここで身内同士で揉めている場合ではないと考えて、文句を言いたい衝動をグッと堪えた。
「……で、何だよ時雨」
「いや、アイツら逃げちゃったけどいいの? って言おうと思ってさ」
葵が視線を落とせば、つい今しがたまで地面に横たわっていたはずの小妖怪二匹の姿が、忽然と消えてしまっている。
「っ、よくねぇよ‼ 気づいてたんなら、もっと早く言え‼」
「えー、ボク教えてあげたのに……葵ってば怖いなぁ。朔夜くん、慰めて」
「え? えーっと、慰めるってどうすれば…「おい、コイツに近づくな。水獣臭ぇのが移る」
朔夜にすり寄ろうとした時雨だったが、真白が間に入ったことでそれは阻止される。
混沌とし始めた空気の中、この場には似つかわしくない、おっとりとしたしゃがれ声が響いた。
「ホッホッ、お前さんら、仲が良いのぅ。うむ、仲良きことは美しきかな、じゃ」
朔夜たち四人の視線が、一斉に同じ方を向く。
そこに立っていたのは、腰の曲がった、白髪の老爺だった。
「「「……誰だ?(ですか?)」」」
朔夜たちの声が、綺麗にハモッた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます