第二十六話 惹きつける、狂わせる、その香り



「朔夜様。御友人方は帰られたのですね」


 自分の部屋で書類仕事をしていた茨木童子が、玄関に顔を出した。葵たちを玄関前で見送ってきた朔夜は、脱いだ靴を揃えて、端の方に寄せながら言う。


「うん、たった今帰ったよ」

「遠目に拝見しましたが、あの髪の長い御友人……あの方が、陰陽師の血筋の者ですよね?」

「うん、そうだよ。よく分かったね」


 朔夜は茨木童子の隣に並んで、そのまま大広間へと向かう。朔夜の言う通りに静かに身を潜めてくれていた皆に、再度礼を伝えたいと思ったからだ。


「いえ、あの者からは……私たち妖を惹きつける、濃い香りがしましたので」

「香り?」


 朔夜は葵の顔を思い浮かべる。


 ――そう言われると、東雲さんからはいつも……花みたいな、熟れた果実を彷彿とさせるような……不思議な甘い香りがするかもしれない。


「(その香りも、陰陽師の血筋であることに、何か関係があるのかな)」


 そんなことを考えながら歩いているうちに、大広間に到着した。一歩足を踏み入れれば、畳の上で寝そべっている小妖怪の姿が目に飛び込んでくる。


「わ、どうしたの?」

「うぅ、朔夜様……は、腹が減って……」

「え? お腹が減ったの?」


 朔夜が室内に視線を巡らせれば、同じようにぐったりと寝そべっている小妖怪が複数名見られた。


「全くお前たちは……情けないぞ」

「だって茨木童子様! あの娘、とても美味そうな匂いがして……俺ら、必死に我慢してたんですよ……!」

「あの娘? 美味そうな匂いって……、まさか」


 ――東雲さんのこと?


「だから言ったろ。連れてくるべきじゃねーって」


 朔夜の背後から現れた真白が、大広間で寝転がっている妖たちを見下ろしながら言う。


「そっか、東雲さんの香りって、皆からしてみたらそんなに良い匂いがするんだね。……ん? ってことは、真白もいつも、東雲さんのことを美味しそうだなって思いながら、我慢してたってこと?」

「はぁ? ……俺をアイツらと一緒にすんじゃねーよ」


 真白は不満そうに言うと、フンッと鼻を鳴らして何処かに行ってしまった。


「まぁ、真白はそこそこ妖力の高い妖ですから問題ないでしょうが……小妖怪たちには、少しきつかったかもしれませんね」


 茨木童子の言葉を聞いた朔夜は、申し訳ないことをしてしまったと眉を下げながら、空腹で寝転がっている皆に謝った。


「皆、ごめんね。代わりといっては何だけど、僕、今から何か作ってくるよ」

「……え? ほんとですか朔夜様!」

「うん、もちろん! 何が食べたい?」


 朔夜の提案に、小妖怪達はパッと起き上がって食べたいものを口々に言い合う。


「俺は、朔夜様が作るおはぎが食べたいです!」

「オイラはわらび餅がいいっす!」

「おれは栗きんとんで!」


 此処に住まう妖もまた、朔夜の作る和菓子に魅了された者たちであるため、飛び出てくるのは和菓子の名称ばかりだ。


「お前たち……直ぐに夕餉の時間なのだから、少しくらい我慢できないのか?」

「「無理です!」」

「はぁ……」


 ピタリとそろって返ってきた元気のいい声に、茨木童子は呆れの色を孕んだ溜息をこぼす。


「はは、茨木童子にも作ってくるからさ。茨木童子は何が食べたい?」

「私ですか? ……それなら、この間朔夜様が作ってくださった……抹茶餡の入った大福が食べたいです」

「うん、それじゃあ今日は抹茶餡の大福に決定!」


 控えめな声で茨木童子が口にした“抹茶餡の入った大福”という言葉を聞いた朔夜は、にこりと頷いた。


「えぇ、茨木童子様ばっかりちゃっかり要望聞いてもらって、ずりぃよー!」

「まぁ大福も好きだから良いけどな!」

「ってか、朔夜様が作るもんって何でも美味いしな!」

「うんうん」

「あはは、ありがとう。皆が食べたいものも、また今度作るからね」


 朔夜は母親が子に向けるような、慈愛を感じさせるまなざしで小妖怪たちに声を掛けると、そのまま台所に向かっていった。


「クックッ……お前は抹茶の菓子が好きだなぁ」

「……聞いてらしたんですか」


 大広間の出入り口で朔夜の背中を見送っていた茨木童子だったが、背後から近づいてくる気配に気づいて、ゆっくりと振り返った。


「頭はどう思いますか? 朔夜様の御友人のことを」

「ん? あぁ、あの娘のことか。……いや、ありゃどう見ても男だったな」

「やはり、頭は気づいていたんですね」

「当たり前だろ。俺が女か男かを間違えるわけがねぇ」


 酒吞童子はきっぱりと言いきって、縁側に腰掛けた。

 茨木童子も静かに隣に腰掛ける。


 時刻は十六時を回ったところだ。西日に照らされた辺りはすっかり夕暮れ色に染まっており、庭に植えられた桜や梅の木々の影が、長く伸びている。


「あの香りは、昔にも嗅いだことがある。お前も覚えてるだろう?」

「……えぇ。陰陽師の血筋の者からのみ香る、甘美な香りです」

「あれは、妖どもを惹きつける。あの坊主は……これまで苦労して生きてきたことだろうよ」


 どこからか取り出した煙管を吹かせながら、酒吞童子は神妙な声で続ける。


「それよりも俺は、あっちの坊主の方が気になったがな」

「あっちの坊主、とは……」

「あの青髪の奴だ。あの坊主、どーっかで会ったことがある気がすんだが……全く思いだせん」


 難しい顔をして考え込んでいた酒吞童子だったが、「……まぁ、そのうち思いだすだろ」と、早々に思いだすことを諦めた。


「あ、父さんも来てたんだ」


 大皿に山のような大福をのせた朔夜が歩いてきた。

 瞬時に立ち上がった茨木童子は、「これは私が」と朔夜の手から大皿を受け取る。


「ありがとう、茨木童子。……っていうか父さん。さっきは何で友達の前に顔を出したのさ」

「あぁ? 家に友達が遊びにきて、そこで親として挨拶すんのは当然だろーが」

「当然って……父さんみたいなのが現れたら、普通に驚くと思うんだけど……」

「何だ? 俺が格好良すぎてか?」

「……はぁ、まぁいいや。それより、はい。父さんも食べてみてよ。抹茶餡の入った大福」


 言っても無駄だと早々に諦めた朔夜は、茨木童子に持ってもらった大皿から大福を一つとって、酒吞童子に手渡した。


「お、相変わらず作るのが早ぇな」

「実は、お店に新しく出す和菓子を作りたくて、最近試作を重ねてたんだ。それ用で、抹茶餡はたくさん冷凍してあったんだ。それを使ったから、いつもよりもっと早く作れたんだよ」


 朔夜の話を耳にしながら、酒吞童子は大きな口を開けて、パクリと大福に齧りついた。


「……うん、美味いな」

「本当に?」

「あぁ、優しい味がする。……椿が作る和菓子の味に、そっくりだ」

「……そっか」


 母親のように、食べた人が幸せな気持ちになれるような……そんな和菓子が作れるようになりたい。朔夜はそんな思いで和菓子を作っている。

 だから、尊敬し、目指している母親の名前が父親の口から出てきたことが嬉しくて、朔夜は口許をほころばせた。


「朔夜様、もう出来たんですか?」

「あ、皆もお待たせ。食べて食べて」


 茨木童子が大広間の机の上に皿を置けば、小妖怪達がワッと集まってきた。


「美味いっ!」

「やっぱり朔夜様は天才!」

「よっ! 日本一!」

「へへ。皆、ありがとう」


 小妖怪達にも大げさなほどに煽てられ褒められて、朔夜は嬉しそうに笑う。


 そんな朔夜の表情を見て、目を合わせた酒吞童子と茨木童子もまた、可笑しそうに、嬉しそうに、口許を緩ませたのだった。


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