第二十五話 胸騒ぎ、祭囃子の音に紛れて



「東雲さん、そろそろ戻ろうか」

「……あぁ」


 朔夜に見つかってしまった手前、このまま一人で探索を続けるのは無理だろうと諦めた葵は、開けっ放しにしたままの木箱を閉めようと手を伸ばした。


「……って、何だこれ」


 しかしとある物に目が留まり、それをひょいと摘み上げる。

 葵が手に取ったのは、白くて丸い球体状のものだ。ボールの類かと思ったが、手にした感触はぐにゃりと柔らかく、何だか生温かいような気もする。


「あぁ、それはね……」


 朔夜が説明しようと思ったその時――真っ白な球体の上に、ぎょろりと黒いものが動いた。


「おわっ!」

「母さんが妖のお客さんから貰った目玉らしくて、って……あはは、ごめん。驚いたよね」


 葵が思わず放り投げてしまった目玉は、床をコロコロと転がり、朔夜の足元で止まった。

 それを何事もなく拾い上げた朔夜は「目玉が百個も付いてる妖だったみたいで、一つくれたんだってさ」と平然とした様子で話している。


「(び、ビビった……)」


 葵はバクバクと煩い心臓を手で抑えながら、朔夜をキッと睨みつける。


「んな気色悪ぃもん、いつまでも持ってんじゃねーよ……!」

「えぇ、そんなこと言われても……これは母さんの私物だから、僕がどうこうできるものじゃないし……」


 困り眉でそう言った朔夜は「それに、見慣れてくると面白いんだよ」と目玉を持ち上げて笑った。


 葵は「うぇっ」とあからさまに顔を顰めてみせる。


「っ、あはは! 東雲さん、凄い顔」

「うっせぇ」


 目玉を木箱に片付けた朔夜は、尚も可笑しそうに笑い続けている。


「……おい。いつまで笑ってんだよ」

「っ、ふふ、ごめんって」


 笑われていることに段々と気恥ずかしくなってきた葵は、「……戻るんだろ」とぶっきらぼうに言って、朔夜の背中を軽く押す。


「うん、そうだね」


 朔夜は抵抗することなく足を進め、先に部屋を出ていった。


 葵は最後に、もう一度部屋の中をぐるりと見渡し、特に邪悪な妖気は一切感じないことを確認してから、朔夜の背中に続いたのだった。



 ***


「おぉ、帰ってきたな。朔夜も飲むか?」


 朔夜と葵が、皆が待っている部屋へと戻れば――何故かそこには酒呑童子がいて、皆に酒を勧めているところだった。


 「イヤイヤ大丈夫です!」と手を振り恐縮している蛍と、酒呑童子の顔をまじまじと観察してブツブツ何か呟いている瑞樹、そして出された酒を平然と飲もうとしている時雨に――その場は混沌としていた。


「ま、待って待って! 僕たちまだ未成年だから! お酒なんて勧めないでよ! って、あぁ、時雨くんは飲んじゃ駄目だから!」

「……はぁ」


 慌てて止めに入る朔夜を見ながら、葵は重たい溜息を吐き出しつつ、時雨の手から御猪口を取り上げる。


「あ、葵ちゃん。おかえり」

「……こういうのは、まだ早いと思うわよ?」


 ひらりと片手を挙げ、笑顔で葵を迎える言葉を口にする時雨に、葵も笑みを返す。 

 しかしその笑顔の裏では、「(何やってんだよお前! 怪しまれんだろーが……!)」と悪態を吐いていた。


 そんな葵の胸の内に気づける者は、この場ではただ一人。

 長年共に過ごしてきた時雨しかいないのだが……当人は気づかない振りをして「あはは、ごめんごめん」と軽い謝罪を口にする。


 その名の通り、酒好きで有名な酒呑童子が出してくれた酒なのだ。絶対に美味であることが分かっているため、時雨は内心ではかなり名残惜しく思っていたのだが……さすがにこの場で口にするのは無理かと、泣く泣く諦めたのだった。


 葵と時雨がそんなやりとりをしている間に、酒呑童子は朔夜に背中を押されて部屋を追い出されていた。

 落ち着きを取り戻した部屋で、朔夜もようやく腰を落ち着ける。


「……おせぇ。どこまで行ってたんだよ」

「ごめん。東雲さんが迷子になってたから、捜しに行ってたんだよ」


 お茶を淹れてきた朔夜は、蛍たちに葵がトイレに行ったきり戻ってきていないことを聞いて、一人で捜しに行ってしまったのだ。――茶菓子を持った真白が遅れて部屋に着いた時、既にそこに、朔夜の姿は見られなかったのだ。


 朔夜の返答を聞いた真白は、ジトリとした目で葵を見つめる。けれど葵はそんな視線、意にも介していない様子で、ニコリと綺麗な笑みを返した。


「あっ、そ、そういえば……東雲さんたちって、京都からきたんだよね?」

「えぇ、そうよ」

「あの……それなのに、何で標準語なのかなって、前から気になってて……」


 すっかり温くなったお茶を喉に流してホッと息を吐き出した蛍は、正面に座る葵を見て、ずっと疑問に思っていたことを口にした。


「あぁ、京弁も話せるには話せるけど……あんまり好きじゃないの。ただそれだけよ」

「へ、へぇ。そうなんだね……」


 サラッと答えた葵だったが、蛍はもっと詳しい話を聞きたそうにしている。けれど葵がそれ以上口を開く様子が見られなかったため、この話はこれで終いとなった。



「あ、そうだ! あのね、実は今日は、皆に話したいことがあるんだ……!」


 そう言って、蛍は持ってきていたリュックサックからA4用紙のチラシを取り出す。皆が目を向ければ、そこには大きな青字で“五月雨祭り”とデカデカ書かれている。


「……五月雨祭り?」


 葵と時雨、それに瑞樹が不思議そうな顔をする。


「うん、来月に月詠町で開かれるお祭りなんだけど……あの、妖怪とはあまり関係はないんだけど、せっかくだし……み、皆で行けたら、楽しいかなって、思って……」


 蛍は不安げに皆を見渡して言う。


「お祭りかぁ、いいね! 僕は行きたいなぁ」


 真っ先に賛同の声を上げたのは朔夜だ。

 次いで“行く”と口にしたのは、意外にも葵だった。


「私も良いと思うわ。こっちでの祭りにも興味があるし……それに夜の時間帯の、こういう人が多く集まる場所は、妖の類も寄ってきやすいと思うから」

「へぇ、そうなんだ。さすが東雲さん、詳しいんだね」

「……別に、それほどでもないわよ」


 朔夜に直球で褒められた葵は、僅かに視線を逸らして謙遜する。


「それじゃあ、来週は皆で祭りに行くことに決定だね」

「日本の祭りも、海外とはまた違った趣を感じられるからね。楽しみだよ」


 朔夜に続いて、五月雨祭りには初めて行くという瑞樹が、嬉々とした声で続ける。時雨と真白も特に異論はないようだ。


 こうして、来週末に行われる祭りに行くことが決まった。


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