第二十四話 追慕するは、椿の木箱



「……やっぱこの家、すげー妖気が漂ってるな」


 葵は朔夜と真白が席を外している間にと、お手洗いに行く振りをして、こっそりと部屋から抜け出していた。

 当然のように時雨も付いてこようとしていたのだが、女子のトイレに付いてくるのはどう考えても不自然であるため、蛍たちがいる手前、やんわりと遠慮の言葉を口にしてその場に残してきた。


 鋭い目で辺りを見渡しながら長い廊下を進んでいけば、一つの部屋の前に辿り着く。


「(この部屋は……)」


 妖気とは少し違う。けれど言葉には言い表せない、何とも不思議な気配を感じて――葵は障子戸をそっと引いた。


 室内に誰も居ないことを確認して、静かに足を踏み入れる。


「此処は……女の部屋、か?」


 和箪笥に鏡台、本棚などが設置されている部屋は、掃除が行き届いているようで綺麗に片付けられているが、どこか生活感を感じさせない、静謐な空気が漂う部屋だった。


 妖怪が隠れているのではないかと視線を巡らせる葵だったが、とある一つのものに目が留まり、ゆっくりとそちらに近づいた。


 鏡台の前に置いてある、上等そうな漆塗りの木箱。上蓋には椿の花模様が彫られている。

 この木箱から、妖気や神気、霊力など……陽と陰、二つの気が混ざり合っているような不思議な気配を、葵は確かに感じ取った。


 そっと箱を開けてみれば、中には手紙のようなものから小さな折り鶴、どんぐりに枯れた葉っぱ、硝子玉まで……葵にとってはガラクタにしか見えない、子どもが好みそうな玩具に加えて、一目見ただけでも高価であることが分かる簪や煙管、ちりめんで出来た小銭入れ等がごちゃ混ぜになって入っていた。


「東雲さん、こんな所にいたんだね」

「っ、……何だ、お前か」

「ごめんね。トイレの場所、分かりにくかったかな?」

「……別に。もう済んだ」


 部屋に入ってきたのは、朔夜だった。葵が迷子になったと思い、捜しにきたらしい。


 朔夜一人であることを確認した葵は、勝手に部屋に入ってしまったことを少しだけ気まずく思いながら、視線を逸らして、本来の男口調で話す。


「……此処はね、母さんの部屋なんだ」

「……母親の部屋?」

「うん。僕が幼い頃に亡くなってるんだけどね」

「……そうかよ」


 葵はこういう時、何と言葉を返したら良いのか分からなかった。だから素っ気ない物言いで返す。

 しかし朔夜は、そんな葵の態度を気にした様子もなく、葵が手に持っているものを見て口許をほころばせた。


「あっ。それはね、母さんがお客さんから貰った、宝物なんだって」

「宝物? ……これ全部か?」

「うん、そうだよ。僕の母さんは和菓子を作るのが凄く上手でね、僕もよく教わってたんだ。その木箱に入っている物は、お店にきてくれたお客さんたちから貰った物なんだって」


 朔夜は嬉しそうに、懐古するようなまなざしで木箱を見つめている。


「……お前の母親って、どんな奴だったんだよ」


 葵は自分自身でも半ば無意識に、気づけばそんな言葉を口にしていた。

 朔夜は突然の問いかけにきょとんとした顔をして、けれど直ぐに微笑を湛えて、母親との思い出を語り始める。


「そうだなぁ。僕の母さんは……さっきも言ったけど、和菓子を作るのがすっごく上手だったんだ。僕が言うのもなんだけど、綺麗で優しくてさ。まぁ、怒らせると物凄く怖かったんだけど……。人との縁を大切にしなさいって、口癖みたいにそう言ってたなぁ。それから、これもよく聞かされてたんだけどね――」


“甘いものってね、人や妖なんて関係なく、食べた人を幸せにしてくれる力があると思うの。その中でも和菓子はね、ささくれ立った心をまぁるく解してくれるような……ほっと息をつけるような魅了がある。だからお母さんはね、和菓子を作ることが好きなのよ”


「――ってね。だから僕も、母さんみたいに……人とか妖とか関係なく、食べた人が幸せで優しい気持ちになれるような……そんな和菓子を作れるようになりたいって。そう思ってるんだ」

「……そうかよ」


 ――人も妖も関係なく、だなんて。そんなのは、ただの理想論だ。


 葵はそう考えながらも、何故か、それを口に出すことはしなかった。できなかった。朔夜の言葉は真っ直ぐに響いて、葵の胸の奥の方を、確かに揺さぶったからだ。


 朔夜の能天気さや妖に対しての危機感のなさは、母親譲りのものなのだろう、と。


 朗らかに笑う朔夜を見ながら、葵は妖を捜していたことも一瞬忘れて、その唇に微かな笑みを浮かべていた。


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