第六話 母、椿
朔夜が輪から外れて皆の様子を微笑ましそうに見つめていれば、茨木童子が隣にやってきた。その瞳は朔夜と同じように優しく細められている。
「椿様も言ってましたよね。頭は誠実な
“椿”
その言葉に、朔夜は反射で顔を上げる。隣を見上げれば、茨木童子の瞳は、ずっと遠くを見つめていた。
朔夜には分かった。この男は、朔夜が幼かった頃を懐古しているのだと。朔夜の母である椿のことを、思い出しているのだと。
「……うん、そうだね」
――
酒呑童子の妻にして、朔夜の母親でもある。椿のように凛とした美しさを持ちながら、いつも春の木漏れ日のような笑顔を湛えている人だった。朔夜のどこか抜けているところは母親譲りだろうと、皆が昔からよく言っていた。
酒呑童子が心から愛し、組の者からも慕われていた椿。しかしそんな彼女は、朔夜が小学五年生の時に亡くなっている。
和菓子を作るのが上手くて、朔夜は学校から帰ればいつも母親と共に台所に立って、和菓子の作り方を教えてもらっていた。それは楽しくあたたかな思い出として朔夜の胸に残り、今では和菓子作りが朔夜の趣味の一つになっていた。
「僕の母さんってさ、父さんからしたら二人目の奥さんでしょ? だから子どもの時にそれを知って、母さんに聞いたことがあるんだよね。寂しくないのか、みたいなこと」
今思うと、子どもながら何ていう質問をしてしまったのかと思う。子どもの無垢さゆえに思ったままを口にしたのだろうが、これは母さんの返答によっては家庭崩壊も有り得たかもしれない。まあ今となっては良い思い出だし、母さんの答えを聞けて良かったと思っているけれど。
「そしたら、母さんは笑いながら言ったんだ。寂しいなんて思ったこともない、あんなに愛情深くて温かい
女好きで飄々としていて、我が父ながら本当に掴みどころのない男だとは思うけど――曲がったことが大嫌いで、女性に対して不誠実なことは絶対にしない。酒呑童子とはそういう妖怪なのだと、朔夜はもちろん、此処魁組に住まう者は皆分かっていることだ。
そんな酒吞童子が頭としてこの組を支えているからこそ、魁組には多くの気のいい妖怪たちが集っているのだろう。
「ふふっ、そうですね。鬼の種族は元来、一途で愛情深い者が多いんですよ。一度愛した者は生涯大切にするし、どれだけ月日が経とうとも一生忘れることはないんです」
茨木童子は庭に咲き誇る桜の木々に目を向けながら、穏やかな声色で話す。
「茨木童子にもいたの? そういう、一生大切にしたいって思える
朔夜からの思わぬ問いに目を丸めた茨木童子だったが、少し考える仕草をしてから、いつもの微笑を湛えて答える。
「さあ、どうでしょうね。……まぁ、私はあの方の為に生きていますから」
「惚れた腫れたなんて言っていられませんよ」なんて、おどけたように言葉を続ける。
「……いば、」
朔夜が言葉を発するのを遮るかのように、大きな春風が吹き抜けた。突風に目を瞑る直前に朔夜が目にしたのは、宙を舞う桜の花弁と、茨木童子のどこか悲哀を感じさせる笑顔だった。
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