第二話 微かな違和感



 そして、話は冒頭へと戻ることになる。


 朔夜が葵を見つめていれば、視線に気付いたのか、葵が顰め面をしたままこちらに振り向いた。二人の視線がかち合う。

 何故か驚きに目を見開いた葵に朔夜が首を傾げれば「魁くん東雲さん、何してるんだい! 早く!」と声を荒げた瑞樹の焦ったような声が飛んでくる。


 ハッとした様子でその表情を落ち着かせた葵は、先ほどの低い声とは一変、可愛らしい声で「そうね。ここは危ないわ! 早く逃げましょう!」と言いながら朔夜の手をとった。


「確か貴方、同じクラスにいたわよね? 名前は……魁くん、だったかしら?」


 斜め前を走りながら問い掛けてくる葵に、朔夜は頷きながら答える。


「うん、僕は魁朔夜だよ。――ところで東雲さんは、何であんな路地裏にいたの?」


 疑問を率直にぶつければ、葵はほんの僅かな動揺を見せる。


「それは……み、道に迷っちゃったの。私、転校してきたばかりだからこの辺は詳しくないでしょう? だから少し散策しようと思って歩いていたら、路地裏にあいつが……それで逃げようと思っていたら、魁くんたちが来てくれたの」


 声を震わせながら怯えた表情を見せる葵に「そうだったんだね」と言葉を返しながら、朔夜は少しの疑問を感じていた。


 ――東雲さんのさっきの姿。あれは逃げ出そうとしている感じではなかったんだけどなぁ。


 しかし、ここで彼女が嘘をついていたにしても真実を言っていたとしても、まずは先に解決しなくてはならない問題がある。


 そう、それは――未だに不気味な笑い声を上げながら追いかけてくる妖怪をどうにかすること、だ。


 朔夜がどうしたものかと思案していれば、葵と繋がれていた手がするりと離れていった。隣を見れば、朔夜が足を向ける道とは正反対の道へと駆けだそうとしている葵の姿が。


「ここは二手に分かれましょう! 私はこっちの道に行くから、魁くんはそっちに行って!」


 それだけ告げて走り出そうとする葵に焦って声を上げる。


「待って東雲さん!」


 しかしその声も届いていないのか、葵は一人で駆けて行ってしまった。朔夜は迷いながらも、足を一歩二歩と前へ踏み出す。

 戻って葵を追うべきか、瑞樹たちと合流するべきかと考えていれば、先に逃げていたはずの瑞樹と蛍の声が前方から聞こえてくる。二人共、朔夜が進んでいた道に逃げていたようだ。


「あれ? 魁くん一人? 東雲さんはどうしたんだい?」

「ま、まさかさっきの化け物に……」

「え、縁起でもないことを言うものではないよ!」


 朔夜のもとに駆けてきた二人。姿の見えない朔夜と葵を心配して戻ってきたらしい。


 会話を聞きながら二人が無事だったことに安堵の溜息を吐きだす朔夜だったが、そういえば妖怪の姿が見えなくなっているということに、漸く気づいた。


 あんなに執着した様子を見せていたのに、急に追いかけてこなくなるだなんて……。


 そこまで考えた朔夜は、真実・・に気づいてグッと下唇を噛み締めた。


「っ、ごめん! 用を思い出したから、僕先に帰るね!」


 それだけ告げ、急いで駆け出す。


 「え、魁くん!?」と困惑の声を上げている二人には申し訳ないが、早くいかないと間に合わないかもしれない。


 ――そう、あの妖怪の狙いは、初めから葵ただ一人だったのだ。


 あの妖怪が言っていた“ミツケタ”という言葉も、葵に対してのものだったのだろう。そして葵は自分が狙われていることに気づき、朔夜たちを巻き込まないようにと一人囮になったのだ。


 ――情けない。女の子に守られてしまうなんて。


 幼い頃から何度も父に言われていた「女の子は大切にしろよ。お前が守ってやらなきゃだめだぞ」という言葉が、脳裏に響く。


「っ、間に合ってくれ……!」



 ――それから走って数分ほど。

 通りを右に曲がった細い脇道の突き当りに、葵は一人立っていた。遠目から見た限り、大きな怪我はしていないようだ。


 朔夜が駆け寄って声を掛けようとすれば、それよりも早く、葵の声がこの場に響く。先ほど朔夜が耳にした、女子にしてはかなり低い声だ。


「チッ、逃げられちまった」

「……東雲さん?」


 自身の名を呼ばれたことに大きく肩を揺らした葵は、朔夜の姿を目に移すとにっこり、不自然なほどに満面の笑みを浮かべた。


「あ、あれ? 魁くん、どうしてここに?」

「いや、東雲さんが心配で後を追ってきたんだけど……さっきの奴は?」


 疑問を口にすれば、葵の身体がピクリと小さく動いた。だけどそれは見間違いかと思うほどの小さな動きに過ぎなかったので、朔夜は気づかない。


「……なんか、気づいたらいなくなってたみたいで! 怖かったね~」

「え? いなくなってたって、どうして……」

「それじゃあ私は用事があるからもう帰るね! また明日」


 朔夜の言葉を遮るようにして矢継ぎ早にそう言った葵は、朔夜に口を開く隙も与えぬまま、颯爽とこの場を立ち去ってしまう。


 ――そしてこの場に残されたのは、瞳を瞬き呆けた様子で佇む朔夜と、そんな朔夜を物陰から見つめる、一人の男だけだった。


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