手料理
この新居に到着した頃は、カーテンがなく、剥き出しになっていた窓から春の日差しが差し込んでいた。
だが、時間はあっという間に過ぎ、電気をつけないといけない時間帯に。
一人暮らしを初め、自分へのプレゼントとして買った、部屋に合っていない洋風の時計は2つの針がまっすぐ直線になっている。
18時。
休みなく荷物を出していたので、かなりダンボールが空になっている。
と言っても、元々の量が多すぎたためまだ全体の3割程度しか空になっていないが。
「はぁぁ〜……」
実家にいた頃から使っている、今や相棒と言ってもいいソファベッドに背中を預ける。
時々シーツを洗っているが、少し体重をかけると軋んでしまう。なので、高校生の時から人生をともにしている相棒とも、もうすぐおさらしないといけない。
悲しいが、出会いがあれば別れがあるのは必然。
事、石瀬に限っては出会い、突然の別れがあり、運命的に再会したが。
物であるソファベッドと再会することなんて、まずない。リサイクルに出せば、いずれソファベッドの一部と分からず再会することになるかもしれないが、それは再会とは言えない。
愛着が沸き、気づいた頃には相棒と呼んでいたものと別れるのは手が進まない。
だが、今はいい機会だ。
新生活が始まって、心機一転。部屋の初期費用として振り込んだお金が返ってきたので、お金もある。
「何してるの?」
後ろから石瀬の声が聞こえてきた。
自分の世界にのめり込んでいたせいで、足音に気づかなかった。
「別に。ただ、相棒との別れを惜しんでただけさ」
「ふーん」
相棒がベッドソファだということはわかっていなさそうな顔。
ダボダボの白いティーシャツに、太ももが丸見えの夏に着るような白い短パン。少し体をひねったら見えてはいけないところが見えてしまいそうな、無防備な服装だ。
ワンピースから季節感が一気に変わっている。
唯一変わってないのは、全身真っ白という色だけ。
部屋着、なんだろう。
きめ細やかな白い肌があらわになっていて、どこに目をやればいいのかわからない。いわゆる目の毒というやつだ。
「荷物出すの手伝おうか?」
「いや、大丈夫。他のダンボールに入ってるのはほとんど本だから、今出したら逆に邪魔になっちゃうんだ」
「本? 漫画ってこと?」
「もちろん漫画もあるけど、小説とかばっかりかな」
「え。楚山くんって小説なんて読む柄だったっけ?」
前かがみになり、首を横に曲げてきた。石瀬からしたら何の他意もない、ただ疑問に思って出た仕草。
だが、そのせいで純白に包まれた鎧の下が見えそうになる。
……本当にこの服装は目の毒だ。
目の保養とも言い換えることもできるが。
「中学時代は読んでなかったけど、それからハマっちゃってさ。気づいたらご覧の通り、ダンボールいっぱいになってたんだ」
「そうなんだ……。私が知ってる石瀬は、活字が大嫌いだったから小説にハマるなんて考えられない」
「人は変わるものだからね」
「ね」
石瀬はそう言い、部屋の中のものを物色し始めた。
まるで空き巣犯のような目つきで、テーブルや時計、ダンボールなど流れるように観察している。
もし、今の石瀬が目だけが空いた泥棒がするような布を被ったら、簡単に空き巣犯ができあがる。
いや石瀬の場合は、空き巣犯のコスプレをしているモデルになりそうだ。
「冷蔵庫の中身って何もないんだね」
「引っ越したとき、いらないものを全部捨てたら必然的になくなったんだ。全部賞味期限切れてたなんて不思議すぎる……」
そもそも自炊をしない俺にとって、冷蔵庫なんて酒を冷やす場所でしかなかった。
引っ越しにあたって冷蔵庫の中を整理してたときに出てきた、なんの食べ物かわからないビニール袋に包まれた黒い物体のことは、今でも思い出したくない。
「ゔあああ」
そんなすっからかんの冷蔵庫に顔を突っ込まれても、何もないことは変わらないんだけど。
もう25歳という、アラサーとも言える年になったのに石瀬のしてることは学生のそれだ。
夏。同じよう冷蔵庫の中に顔を突っ込んで、涼しんでいたのを覚えている。
と、共感はできるが、今の季節は春。
まださすがに冷蔵庫の中に頭を突っ込みたくなるような気温になってない。
半袖短パンの姿から想像がつくように、石瀬は暑がりらしい。
らしい、というのは中学時代はそうではなかったから。
「石瀬も変わってるじゃん」
昔と変わらずいてほしい、という謎の願望があったのは否定できない。
「ねえ、楚山くん」
またもや自分の世界にのめり込んでいたせいで、石瀬が目の前まで来てたことに気づかなかった。
「本当はこれから一ヶ月同居することになるから、なにか手料理でもご馳走しようと思ってたんだけど……。食材がないってなると無理っぽいんだよね」
「いやいや。食材がなくてもそんなことしなくていいよ」
「……もしかして、私が中学の頃料理下手だったの引きずって言ってない?」
それはもう、車に縄をくくりつけて日本一周する覚悟があるほど中学のことを引きずっている。
今でもあの料理実習は、忘れたくても忘れられない。
石瀬が自信満々に作ったものは、俺の冷蔵庫の中に眠っていた黒い物体といい勝負をしそうなゲテモノ。
ゲテモノを味見をした同級生を気絶させたことから、当時石瀬が作ったものはデスフードと言う異名がつけられていた。
「あ、あのデスフードを食べろと?」
「ははは……。昔そんなこと言われてた気がするけど、今の手料理はデスフードじゃなくてゴッドフードだからね」
自信満々に右手の拳を向けられると、昔を思い出してしまう。
「神とは。中々パワーワード出すじゃん。それくらい自信があるってことでいいんだよね?」
「もちろん。まあ、ゴッドはちょっと言い過ぎちゃったかもしれないけど……。うん。これまで色々料理の練習してきたから、ちゃんと誰もが口にできる食べ物を作る自信はあるよ」
自らハードルを下げてきた。
まあ、料理の練習をしてきたのなら安心できるかもしれない。
「ふんな風に言われると、手料理食べてみたくなるな……」
「じゃあ、夜ご飯作ってあげようか?」
「食材ないけど?」
「買いに行くところから始めるに決まってるじゃん」
俺は引っ越しをしたので疲れ切っていたが、手料理が気になってしまい、一緒に食材を買いうため近くのスーパーへと足を進めた。
★★★★★
台所にいるのは、真っ白の服装とは真逆の真っ黒なエプロンをかけている石瀬。
今は、スーパーで一緒に買ってきた食材とにらめっこしている。
ベットソファでその様子を眺めていると、まるで石瀬が嫁になったようだ。
周りにダンボールがなければ、ラブコメ映画でありそうなハッピーエンドの空気になっていたに違いない。
まあ、告白してその答えを言わずに引っ越した石瀬と、そんな関係になるなんてまずないが。ないが、俺の家の台所で料理をする女の人は石瀬が初めてなので、念願が叶ったような気分だ。
「ふっふふぅ〜ん」
果たして鼻歌交じりに料理をしていて、大丈夫なのだろうか……?
鼻歌を歌いながら料理をする余裕があると捉えられるが、調理実習で聞いたような鼻歌なので怖く感じる。
だが、フライパンで食べ物を焼く音と俺のところまでくる匂いは絶品のそれ。
「はい。できたよ」
十数分後。俺が座っているソファベッドの前のテーブルに、石瀬の手料理が置かれた。
黄色い衣に包まれ、その上には赤い線で『そやま』と書かれている。
オムライス。そう、石瀬が作っていたのは見た目から察するにゲテモノなどではなくオムライスだった。
「どうぞ召し上がれ」
「……いただきます」
ちゃんとした食べ物が出てきて正直信じられなかったが、スプーンを握りしめ、オムライスをかき分ける。
卵が絶妙な硬さの半熟で、洋風レストランで見るようなとろけ方をした。
こんなの、もうこの時点で美味しいことは確定している。これまで25年。いろんなものを食べてきたが、ここまで食べる前から美味しいだろう、と確信があるのは初めてだ。
ずっとこのまま食べず料理の成長に感動していると、正面に座っている石瀬のソワソワが収まりそうにないので、オムライスを口に。
卵。その中に入っていたまろやかなチーズ。
濃すぎず、薄すぎないちょうどいい濃さのチキンライス。
「うん。すごい美味しい」
「よかったぁ〜……」
石瀬はホッとため息をつき、肩をおろした。
「これはゴッドフードだわ。ごめん。正直、またデスフードを食べさせられると思ってたよ」
「むふふ。まあ? 私も? もう25歳だから? ある程度の女子力はあるってことだよ」
容姿はモデル並。
女子力があり、美味しい料理を作れる。
石瀬のような女性を、ハイスペック女子というんだろう。
左手の薬指にはなにも嵌められてないので、結婚してない。こんな素敵な女性を放っておくなんて、周りにいた男はとんだ腰抜けだ。
「本当に美味しい……」
「そう言ってもらえると、頑張って料理の練習をした甲斐があったってもんよ」
「いつから練習してたの?」
「ん〜と、高校生のときかな。そのとき人生で初めて彼氏ができて、その彼氏に美味しい料理を食べてほしいなぁ〜って思って始めたんだ。まあ、その彼氏とは手料理を振る舞う前に二股をするボケナス野郎だってわかったから別れたんだけど」
彼氏。その言葉に今言うべきことではない言葉を発しそうになったが、グッと堪えた。
俺の告白に返事をせず男と付き合うということは、そういうことだ。
初恋は実らない。それが定跡。
一瞬のうちに頭の中を整理し。
「男子高校生は目移りしやすいからね」
「おっと。まさかの二股経験者?」
「そんな経験してたら、俺もボケナス野郎ってことになるからすごい気まずいんだけど」
「むふふ。冗談冗談」
冗談とは思えない威圧感のある瞳だったのはツッコムべきではなさそうだ。
彼氏のことなど色々話が脱線してしまったが、本当の本当の本当にこのオムライスは美味しい。
見知った人の手料理を食べたのが一人暮らしを始める前の、高校生の頃が最後なので、温かさが身にしみる。
お店で食べる料理とは違う、作り手の思いが米粒一つ一つにギュッと濃縮されているようだ。
「じゃあ私も食べよぉ〜っと。いただきます」
考えることはたくさんあるが、とりあえず今はおいて。
「ま、まじで美味しいじゃん。もしやゴッドは私だった!?」
「ははぁ〜石瀬神様ぁ〜」
「そこはオムライスの神とかにしてよ!」
俺たちは約10年ぶりに二人っきりで食卓を囲んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます