同居者

 引っ越しは無事完了した。

 真っ白な部屋の壁紙が見えるはずが、そこには茶色のダンボールが敷き詰められている。

 中に入ってるのは日用雑貨だが、ほとんどが本。自分で言うのも何だが、俺はかなり本を読んでいる。

 生活スペースが汚染されるほどダンボールは多いが、その半分以上は本だ。

 なぜ電子書籍で買わず、実物の本を買ってるのかだって?

 これといった理由はない。ただ最初に本にハマって、それから紙を捲ることが当たり前になっていただけの話。


 そんなつまらない話は、ひとまず置いておこう。

 俺はやらなければいけないことがある。

 それはもちろん、同居者のことだ。

 同居者は幼馴染であり、初恋相手でもある石瀬豊香に間違いない。


 家の中。引越し業者が出ていき、二人っきりになり、俺はてっきり過去告白をしたので気まずい空気が流れると思っていた。

 が。 

 思っていたのと違う気まずい空気が流れている。

 ダンボールが敷き詰められ、唯一なにもないリビングの隅っこ。

 そこにいるのは石瀬だが……。

 なぜか床に遠足などで使いそうなアニメキャラが描かれてるレジャーシートを敷き、その上にドシッと座っている。

 意味がわからないとは、今の状況のことを言うんだろう。

 見ていても仕方ないので、ここは一つ聞いてみることに。


「あの、石瀬……。それなにやってるの?」


「ん? ここが私の居住スペースだっていうことだけど」


 さも当たり前のように言ってきた。

 ……これはボケているのか?

 少なくとも俺が知ってる石瀬は、たまに小ボケをいれて来るタイプの人。

 でも、それは10年も前のこと。

 長い年月が経っていて、性格の一つ変わらない人なんていない。

 かく言う俺も、子供から大人になった。

 俺に迷惑をかけまいとレジャーシートの上で生活するつもりらしいが、トイレやお風呂がないなんて過酷すぎる。


「ごめん。嘘なんだけど」


 真面目に考えている俺を前に、申し訳無さそうにポツリと呟いてきた。

 どうやら石瀬は昔と変わってないらしい。


 だが、久しぶりの再会なのに、一番最初に喋ったことがボケっていうのは締まりが無い。

 ボケにはボケで対応するのがセオリーだよな。

 

「わかってるわかってる。その嘘っていうのが嘘なんだろ?」


「えっ」


「いやぁ〜……。本当に久しぶりだな。石瀬は今何してる?」


「簡単な営業とか、誰でもできるようなことしてるよ。ちょうど転勤させられて、この家に住むことになったんだけど、そこで会ったのが……って、そうじゃなくて!」


 このやり取り、もう過去に何度やったのか数えきれないのどやった。

 石瀬は過去を懐かしんでいる俺とは違う。

 この感じも懐かしい。

 初恋をした理由の一つは、この純粋な心だ。

 信頼している人の前で見せる顔、仕草、言葉遣いに俺は惚れた。

 今となったらなんで惚れたのかよくわからない。

 だって、人ってやつは大体信頼してる人の前じゃそんな感じだろ?

 大人になって過去のことを振り返ると、子供の頃、どれだけ無邪気に遊び回っていたのか鮮明に思い浮かぶ。


「からかってたんだね」


「ごめん。昔を思い出して、つい」


「もう……まあ、私も人のこと言えないんだけどね」


 いたずらっ子な、「にしし」と笑う顔。

 この顔を、高校生の時の俺はまた拝むことができるなんて思いもしてなかった。


 俺は正直なところ連絡先の一つも知らないので、もう石瀬に会う機会はないものだと思っていた。たまたま起きた不動産側の手違いで、同居という形で再会するなんて、奇跡……いや、運命に等しい。

 そう考えると、一生分の運を使い果たしてしまった気分。


「とりあえず、石瀬は奥の部屋使ってくれ」


「え。それはだめだよ。だって私、一ヶ月しかいないんだよ?」


「一ヶ月もいるのにリビングで寝かせるなんてできないよ」


「それは私のことをレディの扱いをしてくれてるってことでいいの?」


「もちろんだ」


「へーふーん。それなら仕方なく奥の部屋使わせてもらうね」


 なぜか唇を尖らせている。

 悪いことでも言ってしまったのか?

 前の会社を辞職してから女性と喋ったのが久しぶりすぎて、何が原因なのかわからない。

 俺にとって女性の気持ちを理解できないということは、斬首に等しいことだ。

 なんたって過去に、そのせいで仕事を失敗してしまったり、ハンカチを落としたので拾って渡したら痴漢だと勘違いされたりと、苦い思い出しかないからだ。

 

「楚山くんってさ。変わったよね」


 レジャーシートを畳んでいる石瀬が静かに呟いた。

 先程までのボケていた空気とは異なり、落ち着いた大人の空気。


「変わったのはお互いだろ?」


「……そっか。10年もあって何一つ変わってない人なんていないよね」

 

「ああ。10年もあれば容姿もガラッと変わるだろうと思ってたが……。石瀬は相変わらずだな」


「それって褒めてくれてるの?」


「もちろん。中学の頃と比べて今は大人の女性って感じがする。電車の中で隣りに座ってきたら、ドキドキして心臓が飛び出ちゃうかもしれない感じに」


「思春期の男子高校生みたいなこと言わないでよ」


「それくらい綺麗になったってことだよ」


「……それはどうもありがとうございます」


 少し不満そうにしている。が、顔が嬉しそうにほころんでおり、内に隠している感情が隠しきれていない。

 卒業アルバムで見た、石瀬の顔。

 それを脳内で思い出し照らし合わせてみても、大人の女性になったと感じる。

 営業の仕事をしていると知らなければ、モデルなど容姿を活かした仕事をしているのではないかと勘違いしていた。


「じゃあ、楚山くんのご厚意に甘えて奥の部屋使わせてもらうね」


「おう。好きに使ってくれ」


「あっ。なにか用があったらちゃんとノックしてよね」


「そんな思春期高校生みたいなこと言われても……」


「む。他人の部屋にノックするのは常識だと思うんだけど」


「知ってるよ。ちょっとからかってみただけ」


「いじわる」


 石瀬は恥ずかしそうに顔をそらしてボソッと言い、部屋の中に入っていった。

 中学時代の石瀬は子供らしい可愛さがあったが、今の石瀬は完全体とも言える可愛さがある。

 俺が過去、幼馴染という関係だというに恋をし、告白までした理由がよく理解できる。


 完全体の可愛さが再発見されたところで、今恋をするのかと言われたら難しいのが現実。

 過去は過去。それも、10年も前のことだ。

 初恋は失敗に終わるのが定跡。なので、いくら運命的に10年越しの再会をしたところでそういうことにはならない。

 それに、石瀬の容姿は完璧。

 同居することになったが、彼氏がいてもおかしくない。

 

「考えていても仕方ない、か」


 俺は幼馴染との再会を喜びつつも、心の底から喜べておらず、モヤモヤしながら引っ越しのダンボールを開けた。



 このときの俺は、幼馴染のことを同居者としか認識していなかったせいで、後に大きな誤解をしてしまうことなど知る由もなかった。

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