少年時代
尾八原ジュージ
女の首
父は書庫にある古い机の、一番下の大きな抽斗で首を飼っていた。美しい女の首だ。どこで買ってきたのかはたまた拾ってきたのかは知らない。亡くなった母のものでないことは明らかだった。
幼い私は父が書庫にいないときを見計らって、女の首に会いに行った。女は、普段は長い黒髪を波打たせた中に白い顔を埋めて、猫のように眠っている。私が抽斗を開けるとうっすらと目を開け、眩しそうに何度か瞬きをする。深い緑色の中に一点黒い絵の具を落としたような瞳に私の顔が映り、女は「おや少年、お父様に黙ってきたのかい」などと低い声で囁いて笑う。
来歴はわからないが、何でも余程古いものらしい。この煤けたように暗く大きな家と同じくらい、あるいはそれよりももっと古いのかもしれなかった。いつからこの家にいたのか、それも私は知らない。
父は私が時々こっそり女に会っていることをどう思っていたのか、そもそも気づいていたのかいなかったのか、よくわからない。
学者だった父は、私よりも数列の方によっぽど興味があったらしい。何か思いつくとぶつぶつ呟きながら家の中を無作為に歩き回り、私が声をかけても返事どころかこちらを一瞥することさえしなかった。
私は妖物に取り憑かれたような有様の父が怖ろしくなり、書庫に逃げ込んだことがある。抽斗を開けるとやはり女はそこにいて、私を見ると「少年、顔色が悪い。どうかしたのか」と尋ねた。そんなふうに他人から関心を寄せてもらえたことは滅多になく、私は嬉しさと安堵のために、しばらく彼女を膝に載せて泣いた。
私は女にずいぶん甘えたものだと思う。だが彼女のことを「母のようだ」とか「姉のようだ」などと思ったことはなく、強いて言えば「女」という概念そのもののように思っていた。その柔らかい優しさといい甘やかな体臭といい冒し難い美しさといい、女の首は私にとって、理想化された「女」そのものだった。思春期に差し掛かるにつれて女は私の胸にどうしようもない炎を灯すようになり、私は夜毎自室で女のことを考え、罪悪感を覚えながらひっそりと自慰行為に耽った。
私は女の名前を聞かず、渾名をつけたこともなかった。女もまた私の名前を聞かず、いつでも私のことを「少年」と呼んだ。
あるとき、私は学校の行事のために三日間家を空けた。帰宅すると、父が書庫で血塗れになって死んでいた。
女がいたはずの机の抽斗は、空っぽになっていた。それきり女は行方知れずになり、私の前から姿を消してしまった。
強盗が入ったのかそれとも怨恨だったのか、結局何もわからないままに父の死については迷宮入りということになり、私は親戚の家に引き取られた。父が死んだと思しき晩、家の周囲で首のない女の姿を見たという噂を聞いたが、真偽は定かでない。
少年時代 尾八原ジュージ @zi-yon
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