第4話 現実離れ体験

一階の店部分もそうだと思ったが、この建物はだいぶ年代物だ。

 コーヒーをぶっかけたような染みが馴染む漆喰の壁。剥き出した支柱の木は焦げた飴色に光っていて、レトロ好きな人なら胸躍る理想の室内だろう。

 大きさも柄も種類も違う様々なランプが、壁から天井からと突き出ている。 電気代がバカになりそうだ。それにしても、


 「こえーよぉ」


 足を下ろすごとに鳴り響く悲鳴達。そのままズボッといきそうで、登り始めて階段の中腹くらいから肝の震えが止まらない。


 店長が登った時には一つとして軋まなかったのに、一体何が違うのか。

 ようやく登り切った頃には変な汗が額に張り付いていた。


 「ボウズー。まだかー」


 店長の声がくぐもって聞こえる。


 開けた一階とは違い、ここは壁の圧迫感が強かった。相変わらずランプの数は多いけど。


 狭まった廊下を声のする方へ歩いていく。

 向かって左、薄く開いたドアがあった。近付くと大人の大きな骨ばった手がドアを開けた。


 「やっと来たか。待ちくたびれたぜ」


 「さーせんね」


 この男、どうやらイケメンのまま死んでしまったがために遠慮と配慮を地獄の底へ落としてきたようだ。

 神様もひどいことをする。


 店長は本を持ったまま部屋の中に引っ込んだ。とりあえず俺も入る。


 「おお?なんか」


 ただの本を仕舞う倉庫かと思ったが、実際は全く違かった。

 まず本がない。

 というか物自体ほとんど置いていない。

 八畳ほどの窓のない簡素な作りの部屋。唯一、中央に譜面台のような高台の小さな机だけがこの部屋の家具としての誇りを背負っていた。


 おかしい。


 店長が持ってきたはずのあの本達はどこへ置かれたのだろうか。

 譜面台らしきものの上には何も置いていない。別の部屋に一回置いて、わざわざ俺の持ってきた本だけこの部屋に置くか?

 いや、特に本の種類に変わりはなかったはずだ。今も持っている本の表紙に目を落とす。


 『湯元秋平』


 人名が書かれた立派な革表紙の本。その下も人名が書かれた本で、確か坂本なんちゃらだった気がする。

 とにかくそう、俺が店長の足を踏んでから持って来させられた本は全て人名が書かれた本達なのだ。

 歴史に詳しくないから、どんなことをした人達かは分からない。けど、まあ多分名のある偉人なのだろう。


 そうこう考えていたら、俺が持っている本束の一番上、湯元の本を店長が取った。


 「お前そのまま持っとけよ」


 取った湯元を譜面台の上に置く。すると、


 「うぇえ!?き、きき消え、え?」


 置いた本が、湯元秋平が消えたのだ。一瞬にして、粒子状に、バラバラになって消えていった。

 その後もどんどん驚いている俺を差し置いて、店長は慣れた調子でどんどん置いては消し、置いては消しを繰り返し、とうとう俺の手は空になってしまった。


 「は?は?はぁああ??意味わかんねー!!」


 「うるせー」


 「あだっ」


 脳天に躊躇なき肘アタック&ダメージ。星ではなく稲妻が瞼裏に映った。

 だがそんなことはどうでもいい。いや、どうでも良くはないんだけど、とにかくこのゲームみたいな現状に説明が欲しかった。


 「あの、本がブワワーって、消えたっすよね。今。たくさん」


 「そりゃ消えるだろうよ」


 「・・・本って消えるものなんすか」


 「あ?何お前。あれ見るの初めて?」


 「うす」


 「ここに来るのも?」


 「初めてっすね。ってか俺、まだ死んだばっかみたいなんでここら辺全然知らないんすけど」


 そうだった。一応あの受付嬢曰く、死んだことになっている俺。そして実感はないがここは死後の世界。本が消えるのも、この世界にとっては当たり前のことなんだろう。

 いやはや、これは慣れるまで時間がかかりそうだ。


 「ちょーーと待て」


 店長が左手で額を覆っている。カッコでもつけているつもりだろうか。

 女の子もいないのに、イケメンの考えることは分からない。


 「何すか?」


 「おかしいだろ。それ」


 ウロウロと広くもない部屋の中を歩き回り出した。この人も焦ることあるんだ。


 「だから、お前はこう言いたいわけだ。“死んだばかりだからあの世のルールを知らない“と」


 「はあ」


 「おかしいだろそんなの」


 何がと聞く前に、店長はだってと言葉を続ける。


 「お前、前の人生の記憶もないってことか?」


 「・・・前っていうのは、あの、死ぬ前のってことっすか?生きてた頃の」


 「違う!もっと前だ。前世、そしてそのまた前世の、お前が何百年もかけて築いてきた、“人生“のことだよ!」

 

 店長はうろつくのを止めて俺の顔を見つめる。

 顔を真正面から見合わせる時間ができたおかげで、やっぱり綺麗な顔をしているな、と確信できた。翡翠色の瞳は思った以上に薄いと知ることができたし。


 だが彼が何を言っているのかは、さっぱりわからなかった。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの世、この世 胡真 @ajkom23AZmr333

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ