第24話 遺族との対面



 週末。灰慈は黒古さんと共に冬冴月ふゆさづき町にある特別養護老人ホームを訪れた。この施設に入居しているおばあさんが亡くなり、エンゼルケアからご遺族の自宅への搬送までを行うというので、勉強のために見学させてもらうことにしたのだ。

 ちなみにエンゼルケアというのはご遺体に対する処置全般のことを言い、感染対策のための処置や死化粧などが含まれる。病院で亡くなる時は病院側にやってもらうことが多いが、今回のように施設で亡くなる場合は葬儀社側で対応することもあるらしい。

 受付で入館手続きを待つあいだ、黒古さんはトントンと灰慈の肩を叩いた。


「灰慈くん、そんなに固くなるなって。今日は君は側にいるだけでいいんだから」

「そうは言っても緊張しますよ。自分で花葬りを始めてから、亡くなった人の家族に会うのはなんだかんだ初めてですし」

「ああー、確かに。初めての時は故人様に身寄りがいなかったし、二回目はペット火葬だったもんな」


 灰慈は頷く。

 ご遺族というと、じいちゃんの花葬りを見た時の亡くなった子のご両親のことがずっと胸に焼きついている。大切な人を亡くしたばかりの人の心は脆い。かける言葉や葬儀場での仕草、何か一つでも間違えれば彼らの心に深い傷を負わせてしまうかもしれないという怖さがある。


 手続きが終わり亡くなった人の居室へ向かう途中、気を紛らわそうとしてか黒古さんが話題を変えた。


「そういやさ、昨日店行ったら驚いたよ。例のクラスメートの子、灰慈くんとこでバイト始めたんだって?」


 水川さんのことだ。彼女はあっさり面接をクリアし、早速その日からシフトに入った。花のことはあまり詳しくないみたいだが、物覚えがいいのと、カフェで鍛えた接客スキルとであっという間に馴染んでしまい、最初はあまりバイトに期待していなかった母さんでさえすっかり気に入っている。


「いやー、あの子相変わらず美人だよな。昭和な春日向商店街の中にいるとより際立つというかさ。灰慈くんもうまいことやったよな。バイト紹介して距離を縮めようだなんて」


 ムフフと黒古さんは嫌らしく笑う。せっかく今日は黒スーツ姿でキリッと決まっているのに台無しだ。

 灰慈は「はぁ」と小さくため息を吐く。


「そんな魂胆ないですよ。僕はむしろ後悔してるんです」

「え、なんで」

「なんか最近、水川さん無理してるっぽいんですよね。スケジュール真っ赤だし、授業中も寝てることが増えたような気がして」

「心配?」

「そうですね、ちょっと……。あの人、自分で気づいてるかどうか知らないけど、一生懸命になると周りが見えなくなるところがあるみたいだから」


 もっと冷静な人かと思っていたのだが、先日の美化活動でそうじゃないということがよく分かった。


(そういえば、あの後お母さんどうなったのかな。手術が無事終わったって話までは聞いたけど……そろそろ退院したのかな)


 美化活動の日以来、お母さんのことは聞けていない。なんとなく自分からは聞きづらくて、彼女の方から話しだすまで待とうと思っていた。

 よくよく彼女の立場で考えてみれば、灰慈にわざわざ報告する必要なんてないのだが。

 あの時話してくれたのは、灰慈が彼女を庇って怪我をしたからだ。事情を話すのが筋だと彼女なりに思ったのだろう。今やもうその怪我も治ってしまって、道理がないと言えば、ない。


(うーん、でも気になる……。無事退院したんだったらもう少し落ち着いてそうなものじゃない? むしろ前より思い詰めてる感じがするんだよな……)


 悶々と考え込んでいるうちに、二〇七号室と書かれた部屋の前に着いた。

 亡くなったのはここに住んでいた吉田としえさんというおばあさんである。


「失礼します。黒古葬祭の黒古と申します」


 黒古さんが扉をノックする。

 返事の代わりに部屋の中から聞こえてきたのは、女の人の怒声だった。


「責任とんなさいよ! 母さんが死んだのはあんたたちのせいでしょ!」


 そっと扉が開き、中からおずおずと出てきたのは怒声の主、ではなくこの施設のスタッフらしき若い女性だ。彼女は物音立てないよう静かに扉を閉めると、申し訳なさそうな表情で言った。


「すみません、今ちょっと……」

「立て込んでる感じですね?」

「はい……」


 女性は肩をすぼめて消え入りそうな声で答える。今にも泣き出しそうな顔だ。


「吉田さんは事故とかではなく天寿をまっとうされたと聞いていたんですが、何かトラブルがあったんですね」

「ええ……。ご遺族の方が、私たちに本当に過失がなかったか証拠を出せとおっしゃっていて……」


 黒古さんは顎に手をやり「なるほど」と頷く。


「まあ力になれるかは分かりませんが、第三者がいた方が話し合いは進みやすいでしょう。中へ入っても?」

「は、はい、葬儀屋さんがよろしいのであれば……」


 女性が再び扉を開けて室内に戻る。

 灰慈は正直外で待っていた方がいいんじゃないかと思っていたが、黒古さんが構わずずかずかと部屋に入って行ってしまったので灰慈も慌ててそれに続いた。

 部屋の広さは六畳ほど。ベッドには白髪の小柄なおばあさんが静かに眠っており、その両脇で向かい合うようにして遺族らしき人が三人と、恰幅の良い施設職員の男性が一人。名札を見るにこの施設の館長のようだ。


「ですから、先ほども申し上げた通り、としえさんが亡くなられたのは昨晩ベッドの上でお休みになられている時だったので、事故というのは考えにくいことでして」

「だったら証拠を見せなさいって言ってるのよ! そうじゃないと納得できないわ!」


 甲高い声で怒りを露わにしているのは、三人並んでいる遺族のうち真ん中に立っている六十代くらいの女性だ。スーツ姿で華やかな化粧をしており、まだまだ現役で仕事をしていそうな雰囲気の人。


「も、もうやめましょうよ、仁奈にな姉さん。施設に入る前から、お母さんいつ亡くなってもおかしくないと言われていたし……」


 おろおろとしながら怒っている女性をなだめるのは、一番手前に立っている同じ歳くらいの女性。白髪混じりの髪に、花柄の薄手のカーディガンにロングスカートというカジュアルな私服姿である。


三枝みつえの言う通りだ、仁奈。葬儀屋さんもいらっしゃったことだし、良い加減矛を収めないか」


 そしてもう一人、一番奥に立つのが長男らしき男性である。いかにも休日のお父さんという感じのワイシャツにスラックス姿。顔に刻まれた皺からはどことなく厳格そうな雰囲気が伝わってくる。

 彼の言葉で事態は収束するかと思いきや、仁奈さんの表情はカッと熱を帯びたように赤くなった。


一浩かずひろ兄さんは相変わらずね……! こんな時でも三枝の肩を持って……!」

「な、何を言うんだ。今その話は関係ないだろう!」

「関係あるわよ! そもそも、母さんが施設に入ることになったのだって三枝が介護を投げ出したからじゃない!」

「投げ出した、って……! 仁奈姉さんなんか忙しい忙しいって何一つしてくれなかったくせに!」

「そのぶんお金の援助はしたでしょうよ! それをこんな施設に入れるのに使って……!」

「やめないか二人とも! 人前でみっともない!」

「兄さんこそ! 母さんのお見舞いよりもゴルフの予定を優先してたって、奥さんから聞いたんだから!」

「なっ、三枝、いつの間にそんなことを……!」


 ぎゃあぎゃあと加熱する三つどもえの言い争い。

 黒古さんが「あの」と何か言いかけるも、「部外者は黙ってて!」とこんな時ばかりは兄妹三人の声が揃う始末。


「こういう時ってどうするんですか……?」


 灰慈が小声で尋ねると、黒古さんは室内の時計を一瞥してから答える。


「ご遺体は刻一刻と状態が悪くなる。ケアだけでも先にさせてもらいつつ、あとはご家族の気が済むまで話し合ってもらいたいところだが、ここは他の居住者の方もいるからなあ」


 あまり大声で騒いでいると迷惑がかかってしまう。

 黒古さんは「参ったな」と頭の後ろをかき、施設の館長と目配せする。一旦外に連れ出そうということらしい。気まずい声かけの役割は館長が買って出てくれた。彼はできるだけ三人を刺激しないよう、腰を低くしながら言う。


「あのー、ここではなんですから、一度施設の外へ……」


 その時、ノックの音が響いて扉が開いた。


「失礼します。どうしてもとしえさんにご挨拶したくって」


 入ってきたのは施設のユニフォームを着た職員らしき女性だ。妙に色白で、体の厚みは他の職員の半分に見えるほど薄い。どちらかというと介護の現場で働くよりもベッドの上で療養していそうな印象だ。ただ、不思議と頼りない感じがしない。実際、館長も、最初に扉を開けてくれた女性職員もどこかほっとしたような表情を浮かべている。


「あなたは……」


 三枝さんが彼女に気付き、ハッと息を呑む。


「知っているのか、三枝」

「ええ。最初にお母さんの担当をしてくれた人よ。確か一ヶ月ほど前に休職されたと聞いていたのだけど。名前は確か……」


 すると彼女はふっと微笑んだ。

 目尻のしわが印象的な、優しい笑顔だ。


「水川佳苗かなえです」


 彼女が名乗った瞬間、灰慈は一瞬聞き違いかと耳を疑う。

 しかし彼女の胸元の名札には確かに書かれていた。

 クラスメートと同じ、「水川」の苗字が。



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