第3章 たとえ忘れてしまっても
第18話 忘れられた理由
今は昔、
竹取の
野山にまじりて竹を取りつつ、
よろづのことに使ひけり。
名をば、さぬきの
その竹の中に、
もと光る竹なむ一筋ありける。
あやしがりて、寄りて見るに、
筒の中光りたり。
それを見れば、三寸ばかりなる人、
いとうつくしうてゐたり。
古文の授業中、灰慈は必死にノートを書いていた。
時々ペンを止めて、腕を組んでうーんと首をひねり、しばらくしてまた書き出す。
「……君、桜庭君……桜庭灰慈君ッ!」
甲高い声でフルネームを呼ばれ、灰慈はハッと顔を上げた。
教壇に立つのは入学初日早々世話になった、「ザマス先生」こと
「さっきからずいぶん熱心にノートを取ってくれて、先生嬉しいざます。その様子ならこの一文の現代語訳、余裕ざますね?」
「あ、えーっと……」
灰慈は愛想笑いを浮かべながら固まった。
黒板には「
「すみません、分かりません」
するとザマス先生はあからさまにため息を吐き、代わりに水川さんを当てた。彼女の方こそ授業中窓の方ばかり見て集中していないそぶりだったのだが、気だるそうに立った後はすらすらと答える。
「『天の羽衣を着せられた人は、心が変わってしまうと言います』です」
「あ、あら。完璧ざます。座ってよろしい」
「はい」
「えー、補足すると『心が変わってしまう』というのはこれまでの地上の生活や大切に思う家族のことを忘れてしまうということで……」
ザマス先生の解説を聞きながら、灰慈は慌てて授業の最初の方で止まっていた教科書のページをペラペラとめくった。題材は『竹取物語』。月から迎えが来て、かぐや姫が帰ってしまうシーンである。この後かぐや姫は帝に向けて一筆書いてから羽衣を着せられ、育ててくれたおじいさんたちと別れを惜しむことなく天上の世界へと昇っていく。
そのあっけなさに灰慈の胸はチクリと痛んだ。
羽衣でなくても、人は日々何かを忘れていく。それがどんなに大事なことであっても、忘れてしまったことにすら気づかないことがある。
「さっきノートに何書いてたの? どうせ授業と関係ないことだろ」
いつの間にか授業が終わっていたらしい。席にじっと座って考え込んでいた灰慈のところへツヅラがやってくる。そして灰慈が何か言う前に机に広げられていたノートを覗き込み、眉をひそめて読み上げた。
「『好みのグラビアアイドルはほどほどのDカップで、大きさよりも横から見たときの形状が』……何これ、灰慈ってそういう趣味だったの?」
「違う違う違うっ! じいちゃんの話! ってか読むなよ勝手に!」
灰慈は顔を真っ赤にしながら机に覆いかぶさった。周囲のクラスメートがくすくすと笑っている。
「いや、おじいさんの話だとしてもさ、なんでノートにこんなこと書いてるわけ?」
ツヅラの問いに、灰慈はノートを閉じながら話し出した。
「実は昨日さ……」
昨日はじいちゃんの一周忌だった。
親戚や
問題が起きたのは家に来ていた人たちが帰った後のことだった。
「あ、これおじいちゃんの好きだった和菓子屋さんのじゃない?」
妹の炭蓮が、来訪客の一人が持ってきてくれた包みを開けながら言った。中に入っていたのは二種類のまんじゅうだ。
「せっかくだからおじいちゃんにもおすそわけしよっと」
そう言って炭蓮が仏壇に供えようとしたのは「こしあん」の方だった。
「ちょっと待って。じいちゃんってつぶあん派じゃなかった?」
灰慈が止めると、炭蓮はむっと眉間に皺を寄せた。
「何言ってんの。おじいちゃんはこしあんでしょ」
「いや、絶対つぶあんだって」
「こしあんだもん! お
「忘れてるのはそっちだろ! じいちゃんいっつもつぶあんばっか選んでたじゃん!」
「嘘だ! こしあんったらこしあん! 炭蓮、覚えてるし!」
「違うね、つぶあんだから! ばあちゃんに聞いてみろよ、ほら!」
「いいよいいよ聞いてみますよ! そしたらお兄の方が間違ってるって分かるから! ね、おばあちゃん?」
するとソファで新聞を読んでいたばあちゃんは大きなあくびを一つして、二人の孫が持っているまんじゅうを手に取る。じーっと見つめていたかと思うと、やがて大きな口を開けてぱくぱくっと二つともたいらげてしまった。
唖然とする二人に、ばあちゃんは告げる。
「灰ノ助さんは、実を言うと白あん派なんじゃよ。滅多に無いから忘れとっても仕方ないが。ん、おいし」
言われてみれば確かにそんな話を聞いたことがあるような気がする。
だが初耳のような気もする。
いかんせん記憶があいまいではっきりしなかった。
じいちゃんが亡くなって早一年。こうしていつの間にかじいちゃんのことを忘れていってしまうのだろうか。そう思うと急に怖くなって、慌てて今覚えていることを書き出し始めた。というのがこのノートの始まりであった。
「だからって、おじいさんのグラドルの好みまで書く必要なくない?」
ツヅラが呆れた表情で肩をすくめる。
「う……それは確かにそうなんだけど、どこにヒントがあるか分からないからさ……」
「ヒント?」
「うん。こうやって書き出してみて気づいたんだけど、実は一つ大事なことを思い出せないんだ」
灰慈は再びノートを手に取り、花咲師についてじいちゃんから教わったことを書き出したページを開いた。花咲師としての所作、口上、初めて花葬りを見た時のこと。しっかりと胸に刻まれていることは多い。その中で一行、違う色のペンで書いた問い。
『高校生になるまで花葬りを禁じられていた理由は?』
言いつけ自体はしっかり覚えていたが、よくよく考えてみるとその理由が何だったのか思い出せないのだ。
「他の人には聞いてみた?」
「うん。黒古さんとか、白州さんとか、もちろん家族にも聞いたよ。けど、みんな分からないって。ばあちゃんとか絶対知ってそうなんだけどなあ」
灰慈は「はあ」と肩を落とす。
ばあちゃんに聞いた時だけ、明らかに反応が違った。目をぱちくりさせて一瞬押し黙ったあの感じ、たぶん本当は知っているんだろう。だけどなぜか教えてくれなかった。「忘れた」の一点張りで、「過ぎたことなんだから、そんなことより勉強に頭を使え」とごまかされてしまった。
そう言われると余計に気になるということをばあちゃんは分かっていない。
休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り、ツヅラが席に戻っていく。入ってきたのは担任の先生だ。今からはホームルーム。
「みんなー、今から先生が重大発表しちゃいますよ〜」
言葉とは裏腹に緊張感の無い声で先生が言う。
「知っての通りー、今度の水曜に
烙所山美化活動。
柳田高校一年生がハイキングも兼ねて市内の山の掃除をするという学校行事だ。掃除の後には山内のキャンプ場でバーベキューをすることになっている。地味ではあるが、高校に入って初めての行事なのでクラスの親睦が深まり、中にはこのタイミングでもうカップルが誕生することもあるのだとか。
つまり、ここでの班割は非常に重要なポイントである。
教室が静かになり、クラスメートたちがごくりと喉を鳴らす音が聞こえてくる。緊張感に飲まれ、さすがに灰慈も先ほどのノートは机の中にしまった。
先生がにっこりと微笑み、おもむろに口を開く。
「一班目は、太田くん、桜庭くん、鈴木さん、そして……水川さん」
ガタッと席を立つ音が響く。
クラスメートが一斉に音のした方を振り向いた。
水川さんだった。
彼女は愕然とした表情を浮かべ、呟く。
「なん、で……」
その顔は青ざめていて、何事かと教室がざわつき始める。
お調子者の太田が「俺と一緒が嫌だった!?」なんて冗談を言ったおかげで空気が少し和らいだが、それでも彼女の表情は強張ったままだ。
(もしかして僕のせい? いや、確かに今後なるべく関わらないとは言われたけど、これは不可抗力だし、そこまでショック受けるかな……?)
他に心当たりがないか灰慈は記憶を辿るが、あの臨時バイトに駆り出された日以来は水川さんと会話すらしていない。
「水川さん、後で話しましょうね」
先生だけは表情を変えずにそう言って、淡々と班の発表を続けるのであった。
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