第1話 葬儀屋・黒古宗司



 繁華街の喧騒から少し離れた路地の奥にぽつんと建つ、個人経営のカフェ。窓はなく、扉も分厚い一枚板でできているので、中の様子は一切見えない。


「ここ、だよな……?」


 灰慈は緊張しながら重い扉を開く。

 扉の上につけてあるベルがチリンチリンと小気味の良い音を立てた。


「いらっしゃいませ。一名様ですか」

「あ、いや、待ち合わせで」


 出迎えた店員は、黒いベストにパンツスタイルのシュッとした給仕姿の若い女性だった。化粧っ気のない瑞々みずみずしい顔立ちで、服装で大人びているものの、それを除けば同い年くらいに見える。

 彼女は灰慈の姿をじっと見て、不思議そうに、というかいぶかしむような様子で首を傾げた。

 灰慈はここに来るまでに高校の制服に着替えている。それ自体はちゃんとした格好なのだが、今日はそもそも入学式前日の日曜日であるということと、制服にミスマッチな桜色の髪がどうしても人の目を引いてしまうのだ。


「お待ち合わせの方のお名前は?」


 そう尋ねつつ、彼女は警戒心をあらわにしてきた。

 たぶん、不良かチャラいやつだと思われているのだろう。カフェの落ち着いた空気を乱す異分子かどうか疑っている目だ。

 ただでさえ普段自分では入らないような敷居の高いカフェで緊張しているのに、ぱっちりと開いたアーモンドアイでじーっと見つめられ、灰慈はおどおどと店の奥を指差した。


黒古くろこさんです。たぶん、あそこに座ってる」


 そのやりとりが聞こえていたか、奥の方のテーブル席に座っていた男性が灰慈に向かって手を振った。


「おーい、灰慈くん。こっちだ、こっち」


 袖をまくった白シャツに、黒いベストと緩んだ黒ネクタイ。パーマがかった髪は目に掛かるくらい長く、少々うさんくさい風貌ふうぼうの人である。


「お久しぶりです、黒古さん!」


 彼は黒古宗司くろこそうし。三十半ばの若さで老舗しにせの葬儀社・黒古葬祭の社長を務める葬儀屋だ。


 とはいえ、そんな肩書を知らない店員はますます視線をキツくする。灰慈は彼女から逃げるようにして、いそいそと黒古さんの向かいの席に座った。


「灰ノ助さんの葬儀以来か?」

「はい。その節はお世話になりました」

「いいっていいって! 灰ノ助さんには俺も親父も頭が上がらないからな」


 花屋を営む桜庭家は、黒古家とは代々縁が深い。

 お供え用の花の取引先であり、花葬はなはぶりのための仲介業者でもある。

 今日灰慈がここで黒古さんと会うことになったのも、花葬りの前の打ち合わせのためだ。


「それより髪、戻したんだな」

「あ……はい。じいちゃんの葬儀の後に」


 一年前まで、灰慈は髪を黒く染めていた。

 今の桜髪の方が本来の地毛である。

 花咲師はなさかしの能力を持つ子は生まれつき桜色の髪なのだが、そのことを知っているのは家族や知人だけだ。中学の間は髪色のせいで何かとトラブルに巻き込まれがちだったので、黒染めしていた時期もあった。


「やっぱり花咲師はそうでなくちゃな。似合ってるぜ、十代目」


 そう言われて、灰慈はむずがゆそうに後ろ髪をかいた。

 先代の花咲師であるじいちゃんもまた、桜色の髪をしていた。

 これは、そのじいちゃんの後を継ぐ意思表示でもある。


 さっきの女子店員がコーヒーを二つ運んできた。

 彼女はそれを丁寧にテーブルに置きながら、灰慈と黒古さんの顔をちらりと見やる。


「あの。変なビジネスの勧誘とかじゃないですよね? うちの店、そういうのお断りなんで」


 どうも釘を刺されたらしい。彼女が去った後、黒古さんは「やれやれ」と肩をすくめて見せた。


「彼女、たぶん今日入ったばかりの新人さんだな。こう見えてけっこう常連なんだけどなぁ」

「黒古さんの見た目がだらしないからですよ。葬儀の時みたいに普段からちゃんとしていればいいのに」

「お、言うねぇ。でもま、可愛い子だったから許す」


 確かに可愛い。というか、美人。

 モデルのようなスラッとした体型に、つやのあるショートボブの髪。

 ぱっちりと開かれた瞳は少しキツい印象を受けるが、それでも学校にいたら男女共にモテるタイプに違いない。


 つい目で追ってしまっていたところ、黒古さんはニヤニヤと笑って「一目惚れかぁ?」なんて茶化してくる。


「ち、違いますよ! 黒古さんがそういう話をするから!」

「別に惚れたっていいんじゃねぇか。高校生なんて青春真っ盛りなんだからさ」


 黒古さんは煙草に火をつけながら言う。

 言葉と裏腹に、その視線はふざけてはいなかった。

 真正面から灰慈を覗く、見定めるような視線。

 言外の言葉がひしひしと伝わってくる。

 高校生になって、勉強や部活や恋愛とかじゃなく、どうしてわざわざ人の死に触れる仕事を始めようとするのか。

 彼はそれを問うてきているのだ。


「僕は、早くじいちゃんみたいな花咲師になりたいんです」


 灰慈は膝の上で拳を握り締め、自分の中の意思を確かめながら答える。


「もう、一年前みたいな……大事な時に何もできないなんて嫌だ。能力ちからをもって生まれたからには、じいちゃんみたいにそれを活かす生き方をしたいって思ったんです」


 灰を花に変える力。

 花咲師という大層な二つ名がつくわりに、日常生活においてその能力を活かせる場所は少ない。現代では灰に触れることがほとんどないからだ。炭火焼きの後の灰とか、花火の後の灰とか、せいぜいその程度。

 遺灰を花に変える花葬りをしないのであれば、能力を持たない一般人と何ら変わりがないのが実態だ。


「なるほど、な」


 黒古さんがフゥーッと白い煙を吐く。表情は変わらず、胸の内で何を考えているかは分からない。

 これまで彼とは家の付き合いで何度も顔を合わせたことがあるが、こんな風に試すような目で見られたのは初めてだ。


 間違えただろうか。

 一抹の不安が胸をよぎる。

 普段はうさんくさい見た目の黒古さんだが、仕事の時はプロの葬儀屋だ。

 人の死に触れるからこそ、生半可な覚悟の若者にはきっと仕事を渡してはくれない。


 緊張で身体をこわばらせる灰慈。

 黒古さんが黙っている時間がやけに長く感じる。


 二人の間の沈黙を破ったのは、黒古さんのスマホへの着信の音だった。


「……お、そろそろ時間か」


 黒古さんは席を立ち上がり、電話に出るために店の外へ出ようとする。

 灰慈が何か声をかけようとした瞬間、彼はくるりと身をひるがえして言った。


「五分後に出る。コーヒー飲んどけよ」

「えっと、それって……!」

「現場に連れてくってことだ」


 黒古さんがニカっと白い歯を見せて笑う。

 つまり、認めてもらえたということだろうか。

 ……良かった。

 どっと全身の力が抜ける。

 黒古さんが店の外に出たのを見届けてから、灰慈はだらりとソファーに身を預けた。

 天井を見上げれば、丸い花のような形のシャンデリアが慎ましやかに店内を照らしている。

 灰慈ははっとして姿勢を戻し、自分の両頬を軽く叩いた。


 ……いや、これからだ。

 

 今はまだ、現場に立ち会うのを許されただけだ。

 そう思い直して気を引き締める。

 残ったコーヒーを一気に煽ると、灰慈は瞼を閉じてじいちゃんに教わったことを反芻はんすうすることにした。

 花咲師としての所作、葬儀の場での基本的なマナー、遺族との接し方、花葬りの口上、それから……。


 やがて黒古さんが席に戻ってきた。

 彼は灰慈の様子を見て満足げに頷くと、復習に集中する灰慈の肩を叩く。


「そろそろ行くぞ」

「はい、準備はできてます」


 しゃきっと立ち上がる灰慈に、黒古さんは「頼もしいな」と笑いつつ。

 ……顎をさすって、ふと思い出したように言った。


「そういや、心の準備もしてもらっときゃ良かったな」

「え? 何のことですか」


 きょとんとする灰慈に、黒古さんは声を潜めて耳打ちした。




「これから行くのはな――孤独死の現場なんだ」



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