第93話 聖女の奇跡


 翌日。

 スードナムに声をかけられ、他の人たちよりも早めに起床したセリナは、あの一件以後、草ひとつ生えなくなった孤児院の菜園へと来ていた。


「スーおじいちゃん、いい?」

『もちろんじゃ。じゃが、ここでいいのかのう?』

「うん、ここがいいの」


 昨日スードナムと今後の事について話し合った、やらなければいけない事。

 最終的な目標はもちろん、シェルバリット連合王国領土における大地のマナを吸い取っている術式を止める事だ。

 その為にはまずとある場所に赴き、術式の中心地を調べる必要がある。


 おそらく、シェリダンの町に戻ってくることはないだろう。

 ローラントたちやシスター、孤児院の皆と別れるのは辛いが、これもみんなを、この国を救うため。

 セリナは発たなければならない。

 

 だが、その前にどうしてもやっておかなければならない事がひとつ。


 セリナは菜園の中心まで足を進め座り込んだ後、地面に両手をかざして魔法を発動。

 手をかざした場所に魔法陣を出現させ、地面にこぶし大の穴を開ける。

 それはセリナが覗き込むも底が見えないほどに深い穴だった。


「これくらいでいい、かな?」

『十分じゃ』

「よしっ」


 穴の深さをスードナムに確認してもらった後、起ち上ると腰巻鞄からひとつの魔石を取り出したセリナ。

 それはマナを吸い取る術式に絡めとられ、アンデッド化寸前までいった亀の魔石だ。


 他の魔物のものとは違い、生きている事を実感できるほど美しい輝きを放つ魔石。

 セリナはその魔石をじっと見つめ、静かに語りかけた。


「あのね、あなたは……魔力が枯渇する苦しさから、たくさんの人を、動物たちを殺めてしまったの」


 言葉が聞こえ、理解しているのか。

 魔石は語り掛けられるたびに煌めき、光にわずかな影を落とす。


「その罪は消せないの。だから……これから孤児院の皆を、町の人達を、護ってあげて」


 分かりました、と言わんばかりに輝きを増し、揺らめく魔石。

 セリナはそんな魔石に優しくキスをすると、穴の中へと静かに落とす。


 あまりの深さ故、魔石の放つ光さえも見えなくなる深い穴。

 「お願いね」と小さく呟き、再度魔法で穴を塞ぐ。

 そして……。


「スーおじいちゃん、お願い」

『任されよう』


 セリナの頼みにスードナムが応じると、場の雰囲気が一変。

 体が僅かに浮き上がると、辺り空気がヒリ付き、地面の土が振動する。


 再びセリナが地に降り立った時。

 そこに金髪翠眼の少女の姿はなく。


 古の魔王を彷彿とさせる、黒髪紅眼の少女が立っていた。


「これを行えば2、3日は動けんが、よいのじゃな?」

『うん、お願い、スーおじいちゃん』

「よかろう」


 セリナと入れ替わり体の主導権をすべて握ったスードナム。

 一言二言会話を交わした後、精神を集中。

 全力で魔力を練り上げる。


「この規模となると、生半可なことはできんのう」

『スーおじいちゃん、すごい……』


 セリナの師にして、全ての魔法を修めたとされる大魔導師スードナム。

 魔力の練り込みはすさまじく、大気が震え、雲が流れ、体からは陽炎が昇る。


「では、行くぞ」


 セリナには到底真似できない、すさまじい濃度で魔力を練り込んだスードナム。

 膝を折り、腰をかがめ、極限まで高めた魔力を溜めた手で、地面に触れた。


 瞬間。

 先程の比ではないレベルで大地が震動。

 草木は揺れ、鳥が慌てて飛び立ち、家が震え、屋根の瓦が地面に落ちる。


 教会に避難している人たちの慌てる声が聞こえる中。

 セリナを、セリナのいる菜園を中心とした、巨大な魔法陣が出現した。


 それは教会はおろか、シェリダンの町さえも超え。

 人々が我が子のように愛情を注ぐ、広大な麦畑をも範囲内に捉える結界魔法陣となった。


「これはなかなか……こたえるのう……」

『スー、おじいちゃん……おねが、い……』

「ほっほっほ。セリナに頼まれては、頑張らない訳にはいかんな」


 聖典や神話にも書かれていない、町どころか一つの領を覆ってしまうほど巨大な魔法陣。

 これだけでもすさまじいが、スードナムはまだ止めようとしない。


 魔法陣が完全になった後も地面に手を付け続け、高濃度の魔力を放出し続けていた。


「ここからが正念場じゃ、耐えるのじゃぞ……!」

『ううぅぅぅ……っ!』


 乾ききった土に、水を垂らすかの如く。

 吸い取られる魔力よりさらに膨大な量の魔力を、大地に流し込む。


 気を抜けば魔力どころか、命。

 生命力さえも吸い取られてしまいそうな感覚。

 それは術者のスードナムだけでなく、中にいるセリナも感じていた。

 

 時間にしてわずか数分。

 セリナとスードナムが持っている膨大な魔力を全て注ぎ込み、ようやく大地の揺れが収まった。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……あり、がとう、スーおじいちゃん」

『良いよ。出来る事は全てやった。あとは眠るのじゃ。ほれ、迎えも来ておるぞ』

「えっ?」


 全ての工程を終え、体の主導権はセリナへと戻っていた。

 魔王を思わせる黒髪と紅眼も、いつもの美しい金髪と吸い込まれそうな翠眼へと戻っている。


 が、その表情は疲労困憊。

 昨日の亀との戦闘とは比べ物にならないほどに疲れ果て。

 全魔力を使い切った事で息は絶え絶え、汗はびっしょり。

 地面に突っ伏した状態から起ちあがるも足取りがおぼつかず、孤児院の壁へともたれかかる。


 歩く事さえままならないセリナ。

 そんな彼女のもとへ、先程の揺れで目を覚ましたローラントたちが駆け寄ってきた。


「セリナ、ここに居たか! ……えっ!?」

「セ、セリナ、どうしたの!?」

「ふらふら!」


 突然大地が揺れるなど、天変地異か神の怒りか。

 はたまた、昨日の魔物の狂乱の続きか。

 急ぎ相談しようとセリナを探していたローラントたちだったが、セリナの様子が明らかにおかしいと大騒ぎ。


「えへへ……ちょっと、調子が、悪くて」

「セリナ、それちょっとどころじゃないよ!」

「な、なにがあったんだ!?」

「魔力……枯渇してる?」


 普段どれだけ激しい動きや、強力な魔術を使用しても汗ひとつ流さなかったセリナ。

 その彼女がこれだけ疲弊するなど、ただ事ではない。

 誤魔化そうとついた、「調子が悪い」という嘘など聞き入れてもらえるはずもなく。


 余計な詮索や心配をかけない為どうしようかと、まとまらない頭で何とか考えるセリナ。

 すると、一つの言葉が思い浮かんだ。


「あの、ね。聖女……様がね」

「聖女様?」

「うん。……聖女様が来て、作物を護る魔法陣を張ってくれたんだ」

「セリナ、あなた……」


 咄嗟に思いついた「聖女様」という言葉。

 その言葉の意味するところを彼らならばわかってくれるだろう。


「私……お手伝いして、疲れちゃったから、寝る、ね……」

「あぁ、ああ!」

「セリナ、セリナ……!」

「ありがとう、セリナ……」


 疲れ果て、今にも倒れそうなほどに辛そうなセリナ。

 もう話すもの限界と、ローラントに倒れ掛かるように眠りについた。


 さっきの地震が何だったのか。

 何故セリナがこんなにも疲弊しているのか。


 詳しく話してくれなくても、「聖女様」という言葉でローラントたちには全てを察することが出来た。

 この小さい子は、自分達だけでなく、この町を救ってくれたのだ、と。

 ローラント、アンナ、エマの全員が目に涙を浮かべ。

 眠りに落ちたセリナへ感謝を表すかのように強く抱きしめる。



 ――その横で。

 スードナムが刻んだ巨大な魔法陣が地面へと吸い込まれ消えて行き。

 孤児院の子供たちが野菜の種を撒いた菜園のうねには、新芽が出ていたのだった。

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