第90話 救うという覚悟


「スーおじいちゃん、何か手があるの?」

『あるにはある。かなり危険じゃがの』


 セリナにはなにも思いつかなかった、目の前で苦しむ亀を救う方法。

 このままでは森はおろか、街までも襲いかねず、そうなるともう殺すしかなくなってしまう。


 魔力が枯渇し、体が腐るという想像を絶する苦痛から亀を救うために。

 セリナは意を決してスードナムにその方法を聞く。

 だが、その反応は今までで一番悪い物だった。


『絶対に救えるかはわからん。完全にアンデット化しておらんというセリナの勘に賭けるものじゃ』

「それで良いよ! どうしたらいいの!?」

『成否にかかわらず、おぬしの寿命を縮め、後遺症を残すやもしれぬ。それでも、やるかの?』

「やる!」


 スードナムの「提案はするが出来れば拒否してほしい」という願いもむなしく。

 セリナの意志は亀を救う、ただその一点のみ。

 正直、今この場で暴れる亀を跡形もなく消し去っても結果は変わらない。

 むしろ、その方がずっと簡単であり、セリナ自身のダメージもないのだ。


 セリナの体に間借りし、彼女を弟子や孫のように感じているスードナムとしては、自分を大事にしてほしいというのが本心。

 そんなスードナムの願い虚しく。

 セリナは目の前の亀を絶対に助けると意気込み、覚悟を決めていた。


 こうなると、もう止めることはできなないだろう。


『あい分かった。では……』

「そんなことでいいの!?」


 亀を救う方法を教えられ、あまりの内容に呆れかえるセリナ。

 スードナムの示した方法は行ってしまえば文字通りの力技。

 特殊な魔法や、手順も必要としないものだった。


『そんな事とは言うがの。これはセリナとわしにしかできんことじゃ』

「そう、なのかな……?」

『成否はおぬしが耐えきれるかどうかじゃ。本気で耐えねば、死あるのみ』

「う……」

『覚悟は、よいかの?』


 普段は物腰柔らかく、好々爺という印象のスードナム。

 その彼が一切の余裕や優しさなく、重く冷たい口調でセリナの覚悟を問う。


 あまりの差に気圧されてしまうセリナ。

 だが……。


「うん、やる!」


 スードナムの立てた作戦はいたってシンプルだ。

 そうでなくても、結論など、最初から決まっている。


『その意気や良し。行くがよい、セリナよ』

「やあぁぁぁぁぁっ!」


 セリナの威勢のよい口調に、スードナムも覚悟を決め。

 彼の言葉を後押しに、セリナが一気に駆け出した。


 前方のゴーレムたちを【スプラッシュバースト】で薙ぎ払い、開いた空間を今までよりも一段強い身体強化で駆け抜ける。

 その目に見据えるのは、こちらへ向け攻撃魔法を放つ亀だ。


 セリナは躱せるものは躱し、無理な物はスードナムの防御魔法に任せ吶喊。

 正面から受け止めながら、さらに加速。


「うわああぁぁぁぁぁ!」

「グオオォォオォォォぉ!」


 亀の目の前まで来たところで、大きく跳躍、着地点を再度亀の背中、甲羅の上へと定めた。

 先程と違うのは、手に魔導刃を発生させたこと。


 ローラントを襲っていた魔物を倒した時よりも長く、鋭利に。

 刃の域を超え、剣か槍かと思うほどの長さの魔導刃を、落下の勢いそのまま。

 亀の甲羅へと突き立てたのである。


「ギャバアアァァァァアァァオオォォォ!」

「ああああぁぁぁぁああぁぁぁぁっっ!!!」


 瞬間、セリナを襲うのは激痛。

 持てる力全てを込めた魔導刃は甲羅を易々と貫き、セリナの肩口まで甲羅へと突き刺さった。

 甲羅にに乗っただけでも咳き込み、吐血する程だった瘴気だったのだ。


 腐った亀の体内に腕を突き立てるなど、まさに自殺行為に等しく。

 突き刺した手の感覚は一瞬でなくなり。

 全身がおぞましい感覚に襲われ、体が瘴気に侵され腐り落ちて行くのを実感する。


「スーおじいちゃん、お願いいぃぃっ!」

『任せよ! セリナよ、死ぬ出ないぞ!』

「ああぁっ……あぁぁああぁぁぁぁぁ!!!」

「グオオォォォオオォォォオオオ!」


 常人であれば一瞬で。

 鍛え上げた冒険者であっても、ものの数秒で死に至る瘴気の中。


 セリナは腐り落ちる体を全力の回復魔法で癒し、命をつなぐ。

 それはまさしく全身を犯す瘴気と回復魔法のせめぎ合い。

 おぞましい嫌悪感と迫りくる死の恐怖に負け、回復魔法の精度が甘くなった瞬間、心臓と脳が侵され息絶える。

 スードナムに言われるまでもなく、直感で察し、それでも決して突き立てた手を抜こうとしない。


 甲羅に魔導刃を突き立てられた亀も、その苦しさは今までの比ではないのだろう。

 体をよじり、もがき。

 口から手足から、甲羅に空いた穴から。

 大量の血と体液を吐き出しながら、背中のセリナを振り落とそうとする。


「ス、スーおじい、ちゃん……!」

『もう少しじゃ! えぇい、よもやこんな事になっていようとは!』

「はやく、がぼっ……私、もう……!」

『耐えろセリナ、耐えるのじゃ! おぬしが救うと言うたのではないか! 最後まで耐えてみせい!』

「ガボオオオォォォオオォォォォォォオ!」


 暴れる亀から振り落とされまいと、セリナも必死にもがく。

 手足からも魔導刃を発生させ、甲羅に突き立る事でしがみつき。

 何度も気が遠くなり、意識を失いそうになる中、それでも必死に回復魔法を使い続ける。


『よいぞ、引き抜けぃ!』 

「うわああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「ギシャアアアアアァァァァアアァァァ!」


 一瞬か、それとも永遠か。

 どれだけの時が経過したかもわからなくなるような回復魔法と瘴気、生と死のせめぎ合い。

 死神が幾度も顔を覗かせる戦いに終止符を打ったのは、スードナム。

 彼の言葉を合図に、セリナは甲羅に突き立て感覚のない手を全力で握りしめ、勢いよく引き抜いたのだ。


 だが、腕は瘴気に満たされた亀の体内に突き立てていた事で紫黒色に変色。

 色白く、天使のようだった細腕は肉が腐って削げ落ち、所々骨まで見えている。


 同時に響く、亀の断末魔。

 腐り落ちた体のどこにそんな力が残っていたのか、後ろ脚二本で立ち上がり。

 最後のあがきと暴れまわり、セリナを振り落とそうとする。

 

『飛べい!』

「……っ!」


 左右に振られ、瘴気により全身の感覚も平衡感覚も、視界さえおぼろげな中。

 スードナムの叫びにとっさに反応、残った力を振り絞り脚力を強化。

 ありったけの力を籠め飛ぶ先も定めぬまま、この場を離れるための大ジャンプを行った。

 跳躍したセリナは大空へと吸い込まれ、森の中へと消えてゆく。


 後ろ二本足で立ち上がっていた亀は、動きが弱々しくなり。

 限界を迎えたのか前足が千切れ、肉がボトボトと剥がれ落ち、体内からは一気に体液があふれ出し。

 力なく地面に倒れ込むと、もう二度と動くことはなかったのであった。

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