第89話 元凶


 みなが一瞬にして完治したことに人々が沸き立つ中。

 セリナはこっそりと広場を抜け出し、この騒ぎの主犯格がいると思われる森の最奥を目指していた。


 麦畑を抜け、ゴーレムはびこる森を駆け抜け。

 この森でセリナが入ったのは深部までであったが、最奥はさらに異様な雰囲気となっていた。


 際限なく育ち、生い茂り森の木々により、昼間だというのに薄暗く。

 鳥も虫の声もなく、獣などの気配はおろか、魔物の姿すらもない。


 あまりの気味悪さに眉をしかめるセリナを出迎えたのは、やはりゴーレム。

 地面の中からうめき声と共に現れ、行く手を塞ぐ。


「もう、しつこい!」

『ここいらは完全に敵の支配領域のようじゃな』


 スードナムの防御結界により、ゴーレムはセリナを攻撃するどころか触れることすら叶わない。

 が、当のセリナもゴーレムには近づかれるのも嫌なようで、適度に距離を取りつつ明確に進路を塞いだ者だけを的確に攻撃。


 【スプラッシュボール】で吹き飛ばし、森のなかをさらに奥へと駆けてゆく。

 この森は一体どこまで続いているのかとうんざりしそうになりながら走る事しばらく。

 ようやく反応があった地点へとたどり着いた。


「……ここ?」

『……そのようじゃの』

「なんだか……気味が悪い」


 その場所は、深い森の中にあってぽっかりと開けた場所だった。

 だが、周囲の木々は枯れ、倒れ、腐り果て。

 水はけが悪いのか土はぬかるみ、しばらく雨も降っていないのに残っている水たまりは紫色であまりにも毒々しく。

 いくつもの消えない泡が浮いていた。


 まるでおとぎ話や聖典にある地獄や魔界のような光景に、つい身じろぎするセリナ。

 そんなセリナに応じる様に、遂に黒幕が地中からその姿を現した。


「ゴオオォォォオオォ……!!」

「ひっ!」

『なんと、これは……』


 黒く腐った土をかき分けながら姿を現したのは、亀だ。

 それも、家一軒分はあろうかというきわめて大きな亀だった。 


「スーおじいちゃん、これ……」

『これは……アンデット化しておるのかの?』


 亀の大きさ以上にセリナを怖がらせたのが、その風貌。

 周囲の森同様、全身が腐り果てていたのである。

 立派であったであろう甲羅は黒く濁り、いくつも開いた穴からガスを噴出させ。

 四肢こそ残っているものの、全て腐り爪と肉が剥がれ落ち、所々骨が見えている。


 顔はさらにひどく、片目は無くなり眼窩が底を覗かせ、辛うじて残った片目も白濁。

 皮膚にはいくつもの水疱が浮かび、所々潰れ血と体液が滴り落ちていた。


 生きているのが不思議なくらいなその様は、スードナムの言う通りアンデットそのもの。


「これが、ゴーレムを操ってたの?」

『元は名のある主だったのじゃろうて。じゃが朽ち果て、マナを欲したのじゃ』

「じゃあ……」

『地中のマナを吸い取ったのもコヤツじゃろう』

「そんな……」


 長くシェリダンの街を悩ませたマナ不足。

 その原因が目の前の亀であると断言するスードナム。


 驚愕の事実に思考が追い付かないセリナを、見えているのかすら分からない白濁した瞳で見据える亀。

 「グボオオォォォ!」と叫び声とも悲鳴とも分からない声で叫び、セリナに向かって攻撃を開始する。


『気を付けい、来るぞ!』

「きゃあっ!」


 亀が放ったのは土魔法。

 亀の周囲にいくつもの魔法陣が浮かび、セリナと同じくらいの大きさはあろうかという岩石を飛ばしてくるのだ。


 セリナは咄嗟の事で反応が遅れるが、スードナムの張った防御壁が防ぎ無傷。

 後方へ飛んで姿勢を立て直し、狙いを付けさせないよう走り回る。


 亀はこれを追い反転。

 腐り果てながらも動きは機敏であり、いくつもの命中弾を浴びせてくる。


 セリナも反撃とばかりに【スプラッシュボール】を放つが、亀の大きさの前には効果がなく。

 さらに、周辺の地面から腐り泡立った土で造られたゴーレムまで現れ、セリナの行く手を阻む。


 セリナも初めての大型モンスター相手ゆえか動きが悪く、次第に追い詰められてゆく。

 スードナムの防御壁でダメージは一切なく、負けはない状況ではあるが、旗色が良くない。


『……セリナよ、ワシが変わろうかの?』


 大型モンスター相手もさることながら、このような状況で長時間戦闘を行うのも初めてなのだ。

 セリナ疲労を気にし、スードナムが代わりに討伐しようかと持ちかける。


 が、セリナの表情はスードナムの声を一切聞いておらず、何か考え込んでいるかのようだった。


「スーおじいちゃん、あの子、苦しがってる……」

『あの子、じゃと……?』


 セリナが放った、「苦しがっている」という言葉。

 それは間違いなく目の前の亀に向けられたものであり、スードナムには理解できない言葉だった。


『どういう事じゃ?』

「あの亀さん、サトリウス教の神話にある、神のお使いだよ!」


 突拍子もない言葉に、スードナムは首をかしげるばかり。

 確かに、神話やおとぎ話にあるような精霊や神獣は存在する。

 が、それらは人に益をもたらしている間だけの話。


 一度人に牙をむけば。

 否、人から都合が悪くなれば、それは一転して討伐対象のモンスターとなるのだ。

 そこには信仰も崇拝も、親愛すらもない。


 スードナムも生前、人のエゴのもと、そうしたモンスター達を幾度となく討伐してきた。

 アンデット化、凶暴化など理由は様々、時には大人しくしていても襲う恐れがあるという判断のもと。

 討伐の理由など人の解釈でどのようにもなるため、せめて苦しまないようにと一撃のもとに。


 しかし、セリナはこれを拒絶した。


「あの子は苦しがってるだけだよ! 殺したら駄目なの!」

『い、いや、しかしのぅ……』


 元はこの辺り一帯に実りと安寧をもたらす神獣であったのかもしれないが、今はもうアンデットと化している。

 魔石も腐り、濁り果てているだろう。

 ここまでくればもはや助ける手立てなどはなく。

 むしろ一思いに死なせてやるのが、せめてもの手向けだろう。


 そう説得するのだが、それでもセリナは納得しない。


「苦しがってる! 助けてって言ってる! 私にはわかるもん!」

『じゃ、じゃなのぅ……』

「スーおじいちゃんがやらないなら、私だけでやる!」


 よくよく見れば、アンデットとなった亀はセリナを攻撃するというよりは、苦しさから暴れ回っているようにも見える。

 ゴーレムも魔力枯渇の苦しさから魔力を欲し、藁にもすがる思いで操っているかのようだ。


 最初からモンスター、討伐対象としてしか見ていなかったスードナムでは気付かなかった、アンデット亀の苦しみ。

 いや、苦しんでいるという事であれば、まだ完全にはアンデット化していないのだろう。


 だが、ならば助けられるかと言えば、また別の話。


『これ、止めんか!』

「いま、助けるからね!」

「グオオォォォオオォォォォ!」


 スードナムの制止も聞かず、セリナが亀の方へと駆けだす。

 ゴーレムを掻い潜り、接近を警戒し迎撃とばかりに繰り出された魔法を躱し、防ぎ、甲羅の上へと飛び乗るセリナ。

 しかし……。


「げほっ、げほっ!」

『いかん、瘴気じゃ! 体が蝕まれておるわ!』

「で、でも……!」

『セリナが死んでは元も子もないであろう!』

「うぅ……っ!」


 腐り落ちた甲羅の上は、空いた穴から噴き出した猛毒の瘴気に満ちていた。

 飛び乗っただけで咳き込み、意識は遠のき、手足は痺れ変色してゆく。

 亀も背に乗ったセリナを振り落とそうと暴れた為、穴からさらにガスが吹き出し、セリナの体を蝕んでゆく。


 スードナムの必死の説得と、このままでは間違いなく死ぬと察したセリナも、慌てて飛び降り距離をあけた。


「げほっ、げほっ……がほっ!」

『回復魔法じゃ! 解毒魔法も併用せぃ!』

「くっ、うぅ……」


 体のあちこち、頬にすら疫病の様なシミを作り血を吐きながら、苦悶の表情を浮かべるセリナ。

 機敏に動けるような余裕はなく、スードナムの指示通り全力で回復魔法と解毒魔法を併用。

 自らの体を治療する。


 その間にゴーレムと亀がセリナを包囲。

 今にも襲い掛からんと迫っていた。


「どうしよう、どうしよう……」

『……セリナよ、どうしても亀を助けたいかの?』

「当たり前だよ!」

『ふむ……ならば命を賭す気はあるかのぅ?』

「助け、られるのなら!」


 治癒を終え、ゴーレムたちと亀を見据えるセリナ。

 倒すことは容易いが、セリナはどうすれば助けられのかと考えを巡らせる。

 だが、どれだけ考えても妙案が浮かばず、目に大粒の涙を溜めてゆく。


 そんなセリナの姿を見かねたのか。

 スードナムが、セリナに覚悟を訪ねたのであった。

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