第62話 オリファス教会Ⅰ


 日が落ち、静まり返ったインクの廊下に響く、コツコツという音。

 音の主はトーマス司教の靴。


 表情険しく、静かに急ぎながら、人の姿なき廊下を歩み進む。

 そして、ひと際豪華な扉の前で止まると、蝶をかたどった叩き金を鳴らし、ゆっくりと扉を開け中に入った。


「トーマス・ジブラルタル、参りました」

「呼び立ててすまないね。……始めようか」

「は……」


 豪華なインクの建物においても、より一層豪華な造りをしている部屋。

 壁には貴重な石をふんだんに使い、本棚やソファー、机といった家具には匠が持てる技を余すところなく用いて造り上げた最高級品。

 数あるインクの部屋の中でも一番豪華なこの部屋の主こそ、養成機関インクの学長、レイオット・アブドレオル大司教である。


 御年60を超えるレイオット大司教。

 世界に二つとなかろう威厳ある椅子に腰かけ、老齢を感じさせる皺を重ねながらも鋭い視線をトーマス司教に向ける。


 レイオット大司祭が言い放った「始める」の意味が分からず、思わず視線を外すトーマス司教。

 すると、部屋の中にいるのが自分と大司教だけでない事に気が付いた。


「マルク……」

「久しいな、トーマス」


 壁沿いにいたのは僻地で発生したトラブル解消に向かっていたマルク司教。

 横にはファリス、ラシールと言ったマルク司教お抱えのシスターの姿もある。


 さらに、その反対側。

 マルク司教達と対面する形で立っているのはインクで神聖魔法の指導教員を務めているニコラ司祭。

 他にも街の守衛騎士や宿舎寮長の姿もある。


 揃ったメンバーを見れば、これから何が行われるのか、分らぬほどトーマス司教は馬鹿ではない。


「……君が【無紋】として取り押さえた生徒だが、その後天使の姿を現し天に帰ったと言うが?」


 見るものを射殺さんとするほどに強い視線で、トーマス司教を見据えるレイオット大司教。

 そう、これは先日受章の儀で起きたトラブルに関する聴取。


 当初、トーマス司教が企てた計画は【無紋】として捉えたセリナを忌み子として内々に処理するものだった。

 だが、ファリスらマルク派の妨害に合い、逃走。

 市井で騎士も巻き込み、騒動となった。


 ここまでは想定内。

 魔王をかばったとして、逃亡を手助けした者も処し、マルク司教をも追いやる算段だった、のだが。

 セリナがインク屈指の【聖魔導士】であるニコラ司祭の攻撃を全て防いだ上、輝蝶を纏い、光の翼で天に飛び立つという前代未聞の事態に発展。


 白昼の街中で騒ぎとなった事もあり、大勢の市民が目撃。

 もはや隠すことのできない大問題となっていたのだ。


「……報告書に書いたとおりです、レイオット大司教様。セリナは忌み子、魔王の生まれ変わり。【無紋】となったのが何よりの証です」


 眉ひとつ動かすことなく、淡々と述べるトーマス司教。

 横に居るファリス、ラシールらが鬼の形相で睨みつけるが、気にする様子もない。


「【無紋】か。彼女が触れた瞬間、石板が砕けるのは私も見ていた」

「そうでしょう。それこそが真実であります」

「……レイオット大司教様、発言をよろしいでしょうか?」


 2人の会話に割って入るように口を開いたのはマルク司教。

 遮られたことで明らかに不愉快そうにしているトーマス司教を他所に、言葉を続ける。


「セリナが【無紋】となるのは当然でしょう。彼女は御子ではなく、現人神なのですから」

「貴様、なにを……」

「紋章とは脆弱なるヒトが険しき現世を生き抜くため、慈悲深き主が我らに与えた力。違うますかな?」

「それがどうした」

「セリナが現人神であるならば、神が我々に下賜される紋章が現れないのも道理」

「っ……!」


 喉まで出かかった「屁理屈を」と言う言葉を、間一髪で飲み込むトーマス司教。

 『紋章は神が力なき人に下ろした物』というのはオリファス教の聖典にある一節。


 実のところ紋章の石板が魔道具であるという事をオリファス教会上層部は知っている。

 しかし、聖典の一節にもある紋章の魔道具を人が作ったものとは出来ず、神が力を授けるために下ろした聖遺物として解釈。


 その為、マルク司教の言い分を「ただの魔道具だから関係ない」と論じれない。

 口にした瞬間、オリファス教会を否定することになるのだから。


 トーマス司教はマルク司教を睨みつけ、小賢しい狸が、と不快感をあらわにする。

 

「アレは魔王の生まれ変わりだ。主が紋章を与えるはずがない。事実、石板は砕け散った」

「石板はセリナの神聖力が高すぎた事が原因でしょう。そして、セリナが魔王の生まれ変わりというのもおかしいですな」

「……証拠は?」

「魔王は神聖魔法を使えないはずですぞ」

「チッ……」


 マルク司教はファリスたちから儀式進行を担ったトーマス司教が、セリナの受章の儀直前に石板を交換したことを聞いている。

 石板が砕けた事から、すり替えられた石板は偽物であり、セリナを【無紋】とする事が狙いだったと推測した。

 だが、それは状況証拠。

 石板の残骸は直後のドタバタにまぎれ、トーマス司教派のインク職員が回収、処分してしまっている。

 検査することは難しい。


 むしろ、石板が砕けた事を逆手に取り、セリナが現人神とする方が説得力がある状況だ。


「魔王が神聖魔法の才を持つ者に宿ったのだろう。ならば神聖魔法を使えてもおかしくはない」

「輝蝶も、ですかな? あれはオリファス教の神々に仕える精霊では?」

「ぬぅ……」


 まさにスードナムの計画通り。

 聖典では『魔王ストライトフは神聖以外のすべての魔法を使用した』という一節を利用し、追い詰められたあの場面でセリナに神聖魔法のみを使うよう指示。

 駄目押しとばかりに輝蝶まで使用した事は、天使の輪や光の翼以上に説得力を持たせていた。


 こと、これに関してもトーマス司教は反論が出来ない。

 ここで反論してしまうとオリファス教の聖典そのものに疑いをかける事になってしまうのだから。

 ましてや、今は大司教レイオット・アブドレオルの前なのだ。

 言えるはずもない。


 神に仕えるオリファス教の司教として何も反論できない状況となり、眉間にしわを寄せるトーマス司教。

 マルク司教もそれ以上追及せず、部屋が沈黙に包まれる。


 トーマス司教から聞けることは聞いたと言わんばかりに、レイオット大司教は視線を外し、俯いたまま微動だにしないニコラ司祭へと向けた。


「ニコラ司祭」

「はい……」

「そなたはセリナに【ジャッジメントエッジ】を使ったとあるが?」

「そ、それは……使い、ました……」


 まるで処刑台に上がったかのように冷や汗を流し、顔色すらも真っ青なニコラ司祭。

 敬虔なオリファス教の信徒であり、インクの教員も務める彼女。

 聖典にも詳しく、詳しいがゆえに、自らが刃を向けた相手が誰だったのか理解してしまったのだろう。


「それで?」

「防がれ、ました……セリナに。それも、無傷で」


 インクで神聖魔法の指導教員を務めるニコラ司祭が全力で放った【ジャッジメントエッジ】を、セリナは防いで見せた。

 一緒にいたファリスとラシールが防御不可能と死を覚悟したのに、である。


 ニコラ司祭の放つ【ジャッジメントエッジ】に耐える防御結界を張れる人物など、オリファス教会が誇る騎士団を見てもそう多くはない。

 全くの無傷、疲労もなしとなれば騎士団の最高峰、セオディウロ聖魔導士団のエースクラスでも難しい。


 必殺の一撃が防がれたことで気が動転し、続けて繰り出した攻撃魔法もすべて防がれた。

 挙句、殺傷能力皆無の初歩魔法【ライトボール】で返されるなど、前代未聞。


 直後、セリナが天使の輪と光の翼を出し、輝蝶まで出現したとあっては、ニコラ司祭もこう思うしかないだろう。

 この娘は忌み子や魔王の生まれ変わりなどではなく。

 神が遣わした、否、神自らが宿られた、現人神である、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る